#0056 桜家にご招待 (8)





 綾と栞と一緒に来客用の布団を整えていた。



「しまってた布団だから埃っぽいかな……一応、干したりはしてたんだけど」

「ぜんぜん大丈夫だよ」


 おれは一体なにをしているんだろう……


 こんな奇妙な状況を前に、おれはどこかずれたことを口にしていた。

 って、気にしないといけないのはそんなことじゃない。



「本当にここで寝るの?」


 おれは再度確認してみた。

 けれど、栞がもうニコニコ笑ってしまっている。



「だって、綾眠いんでしょ?」

「う、うん……」


 さっきのことは綾もつい口をついてしまっただけだと思うけど……

 栞が面白がるせいで引くに引けなくなっている。


 ……いや、だからといって本当に寝るの? 今から?



「しかも、なんでわざわざダブルの布団……」


 床のうえに敷いた布団はダブルサイズが1枚だけだ。

 普通に2人ぶんのシングルもあるんだけど……


 しまってあった布団を出そうとしたとき、栞がコレを見つけてしまったのが運の尽きだった。



「ボクが何か抱きしめるものがないと眠れないの、葵も知ってるでしょ?」

「それは……」


 この間の旅行で栞と泊まった折、身をもって思い知ったばかりだ。



「……必要ならクッションでも持ってくるけど」

「何言ってるんだ、葵がボクたちの抱き枕に決まってるじゃないか」

「おれはいつの間に栞の抱き枕係になったんだろう」


 っていうか、おれは別に休むつもりはないんだけど……


 ふふ、とおれを見つめてくる栞と目が合う。

 何も悪いことと思ってない顔だった。


 ……いや、ちょっとまて。



「ねえ栞……?」


 一拍おいて、おれと綾がその違和感に気づくのはほぼ同時だった。



「栞……いま、『ボクたち』って言った?」

「え?」


 おれが訊いても栞はキョトンとしたままで、



「……ボクと葵と綾の3人で寝るんじゃないの?」

「は……はあああああ!?」


 思わずおれは声を上げてしまった。


 だいたい栞と寝るのだって大概おかしい。けれど、それはもう経験済みだからまだいい。

 しかし、綾もっていうのは全く意味が違う。


 ……栞とくっついて寝るのだって限界まで精神を擦り減らすのに。

 さっきおれの部屋で栞からされた「ゆーわく」も、心の中で絶叫してしまうくらいの刺激だったのに。


 そこに、綾も加わる……? 究極に清らかで気品のある女の子が、おれの隣で寝る?


 想像しただけでやばすぎる……!



「し、栞。それは……っ」

「まって栞、ひとまず落ち着いて。そもそもおれは眠くないんだけど」


 おれと綾は栞を説得にかかっていた。


 添い寝が必要というのはひとまず置いておくにしても。


 そう、栞と綾が2人で寝れば良いじゃないか。

 朝からこの2人と過ごしてみてすごく仲良しということも分かったし、何も問題が無いと思う。


 しかし、



「だめ。ボクは葵と一緒が良いんだ」


 栞は譲らない。



「なんで……」

「葵が好きだからに決まってるじゃないか。今日ずっと葵と一緒にいたのに、ぜんぜん葵とくっつけてない。旅行が終わってからボクはずっと葵のことが恋しかったんだ、さっきのだけじゃぜんぜん足りないよ」


 こんなストレートに恋愛感情を伝えられて、おれはどんな顔をしたら良いか未だわからない。



「ボクは、葵の気持ちを感じたいんだ」

「だからって……」

「ボクのことぎゅってしてくれるって約束したじゃないか。それとも葵はもう、ボクと一緒に寝たくないの?」


 だからずるいよその質問!



「……そんなわけない。そんなこと、栞に言うわけない、けどさ」


 この質問禁止にできないか……?

 こう返答する以外選択肢がない。



「なら問題ないじゃないか」

「栞は、わたしも一緒にいて、いいの……?」


 おれが窮していると綾もおずおずと栞に尋ねる。

 綾も顔が赤くなっていて、……恥じらう姿が超絶的に可憐だった。



「眠たいって最初に言い出したのは綾だよ?」

「でも、葵くんは栞がずっと好きだった男の子だし……」

「ボクは綾も一緒が良い。3人が良いんだ」

「わ、わたしは……」

「綾は葵と一緒は嫌?」


 そう栞に誘われた綾は、困ったようにおれのほうをを見つめてくる。

 恥ずかしそうにはにかんで、視線を外す姿なんかもう……


 しっかりして!

 そんな、どう見ても満更でもなさそうな表情しないでくれ!



「葵もだよ」


 急に呼ばれてドキリとする。

 至近距離から栞が見上げていた。



「綾はボクの半身なんだ。ボクのことを大切にするのは当然だけど、綾を独りぼっちにするのはダメだよ」


 栞は腰に手を当てて忠言をする。

 いやまて、栞との添い寝もまだ承諾していない。



「葵は綾のことが苦手? ……ううん、そんなことないよね。だって綾はボクと双子なんだ、綾のことも気に入らないわけないよ」

「……綾は栞と違って、まだおれと出会ってから日が経ってないんだよ。綾だって、おれに完全に気を許したわけじゃないから困ってるんだ」

「綾の気持ちを一方的にきめつけるのは良くないよ。綾はどうなの?」

「わ、わたしは……」

「何をそんなに揉めてるのよ?」


 その時、もうひとりの影が和室の入口から入ってきた。



「あ、母さん」


 里香さんだった。

 午後はピアノ部屋で好きに過ごしてもらっていた里香さんにはおれたちの会話が聞こえていたみたいだった。



「あら布団広げたのね。お昼寝するの?」


 ――そうだ、今日はおれたちの他に里香さんもいるんだし、おかしなことはやめないと。

 おれはそう栞に念を押そうと思った、のだが。



「良いわね~、両手に花なんて」

「り、里香さん……?」


 里香さんは愉快そうな表情をおれに向ける。



「私が言ったことさっそく実践するのね?」

「……いや、待ってください、おれはまだ何も言ってないじゃないですか」

「でも見ればわかるわ。こんな大きなお布団出して、3人でイチャラブする以外にあるのかしら?」


 何を言ってるんだこの人……

 そして綾は頬を染めながら「い、いちゃらぶ……」と呟いている。



「母さんがさっき葵に言ったことって、何?」

「栞も良いけど綾だって負けないくらい可愛いのよって薦めてあげたわ」


 里香さん! ここにはみんないるんですよ!

 自分の娘に何言ってるんですか!


 おれは頭をかかえたくなっていた。



「おかあさん……!」


 綾は真っ赤になったほっぺに両手を当てて、見るからに狼狽している。



「綾も、付き合うなら葵くんはおススメよ。栞が先に好きになったからと言っても、綾だってチャンスはあるわよ?」

「葵くん……。わたし、その、えっと」

「……葵。ボクの気持ちを尊重するって言ったの、忘れてないよね?」


 対抗して栞がおれに腕を絡めてくるし――!

 ああもう! なにこの状況!



「待ってください! 里香さんには伝えてませんでしたけど、おれたち一緒に暮らす上で恋愛関係にはならないと約束してるんです」

「え、そうなの?」


 意外そうな顔の里香さんに訊き返されるが、これは忘れてはいけない約束だ。


 麗さんが問題なくこの家で暮らしていけるよう、みんなとは家族の距離感で接する。

 おれたちが麗さんの刺激になってはいけないから。


 それがみんなとの協定だった。



「……でも栞はあなたに告白したのよね?」

「気持ちを聞いただけで返事はしてません。栞もそれで納得してくれてます」

「ふぅん、そんなことしてたのね。あんまり意味ないと思うけど……」


 ――まあ、実際どういう関係になるかは貴方たちに任せるわ、と里香さんは続けた。



「よく耐えられるわね、この子たちに迫られてそんな生殺しなんて」

「いえ……」

「でも、そういうことならなおさら3人でお昼寝しちゃえば良いじゃない。家族ならそのくらいできてもいいんじゃないかしら」

「やった!」


 里香さんからまさかのお墨付きを貰って栞は歓喜の声を上げて、おれの腕をぎゅぅと抱きしめて――感触が!

 そして絶句しているおれと綾に、里香さんは有無を言わさぬ笑顔で、



「葵くん? 女の子のおねだりはちゃんと聞かないと。『恋愛禁止』だからこそできることだってあるわ。一線を超えないっていう保障があるなら、むしろ3人で仲良くなれる良い機会よ。それに綾のことも」

「……おかあさん?」

「ううん、2度言う必要はないわね。3人で仲良く楽しみなさい」


 満足そうに頷いて部屋をあとにするのだった。

 残されたのは、瞳に期待をいっぱいに湛えた栞と、



「…………」

「…………」


 そわそわと視線を交わしながら、胸の高鳴りを抑えきれない、おれと綾だった。




 そしておれたちはぎこちなくも1枚の布団を共有して、すずしい夏の昼さがりに、3人並んで横になっていた。



「えへへ、葵……」


 おれの左側数センチの距離で、目を閉じた栞が心地よさそうに喉を鳴らしている。


 栞はおれの隣にくるとすぐに腕枕を要求したのだ。

 おれの腕のなかで抱きつく栞、その小柄なカラダがくっつける感触と、とろんとした表情は、否応なしにおれの思考を浸食してきて。


 それを意識しまいと、ちらと右側を見やると、



「やっぱり、ちょっと狭いね……」

「そ、そうだね」


 そこには上目遣いの綾がいて、おれはまた心臓が跳ねる。

 透き通るような美貌から目が離せなくなって、呼吸すら忘れてしまいそうになる。



「葵くん……」


 ふと視線が交わると恥ずかしそうに声を上げるけれど、視線を切ることなくこちらを見つめ返してくる。

 そして頬はますます上気してきて。


 そんな綾の姿が可愛らしすぎて、動悸がもう抑えきれなくなっている。

 栞のように抱きついてくることは無いけれど、布団のなかでたまにちょんと触れる、そのいじらしさで意識が持っていかれる。

 かと思えば、栞がすこし身じろぎしただけで、胸元に感じる女の子の感触が……



 ヤバすぎる!

 栞のゆーわくの10倍ヤバい!


 意識しないようにと目を閉じてみると、ふたりの感触だけじゃなくて息遣いがより鮮明になって。

 ……なにより、左側からは柑橘の香りが、右側からはお花の良い匂いがふわりと鼻孔をくすぐってくる。



 おれの予想と覚悟を遥かに上回るふたりの破壊力に、理性はあっという間に限界状態だった――!



「し、栞……ちょっとこのままだと、本気で理性がもたないんだけど」


 あまりの余裕のなさに、おれはあっけなく音をあげた。

 おれの声に反応して目をあけた栞は、しかし遠慮なくじゃれつくのをやめてくれない。



「家族なら……兄妹ならこのくらい普通だよ。この間だってボクと一晩過ごしたの、忘れたの?」

「忘れてないけど……」


 でもあの時と違うのは、今日の栞は積極的だった。

 ひとたび栞が攻勢に出ると、こんなにも簡単に篭絡されかけてしまうというのが恐ろしかった。


 吸い込まれそうなくらいキラキラしてる瞳はあまりにも危険で、おれが視線を外そうとすると栞はさらにぎゅ、とおれを抱きしめてきて。

 おれと栞のカラダはもはや密着といって良いくらいくっつきあっていた。



「まって栞、いまは本当にマズい」

「でも萌とはもっと過激なスキンシップをしたらしいじゃないか」

「それは……」

「ボクたちにもこのくらいしてくれないと不公平だよ」


 栞はそう言うと、おれの腕を取って自分のカラダに巻きつける。

 そうすることでおれも栞を抱きしめ返すような体勢になり……これは完全に恋人同士の距離感だ。


 嬉しそうに目を閉じた栞におれは発狂しそうだった。

 これで付き合ってすらないのはやっぱりおかしいよ……



 何か言葉を発してないと正気を保てそうになくて、綾に声をかけることにした。


「あ、綾は……」



 もし、おれとこんなことして嫌だったなら、今からでも……

 そんなこと言おうとして、里香さんの言葉がよぎったおれは咄嗟に口を噤んだ。



――"おとなしくて優等生な綾とか麗は仲を深めるための大事な一歩が大変かもしれないの。だから、葵くんが手をとって仲良くなってほしいのよ"


 こうして3人で昼寝することを決めた時、里香さんが最後おれに念押ししかけたのはきっとこのことだ。



「えっと……葵くん?」


 緊張した様子の綾の返事。

 おれはさっきから動揺しすぎて、この緊張が何のためなのか判別がつかない。



「おれたち、なんかすごいことしちゃってるね……」

「う、うん」

「そういえば綾とモールに行ったときも、勢いでハグまでしちゃったよね」

「あ、あれは……!」


 プリクラ機での一幕を思い出した綾は、口元をわなわなと歪ませて悶えている。



「でも、おれは嫌な気はぜんぜんしないよ」

「あ、葵くん……」


 ああ、おれは何を言ってるんだろう……



「出会ってから日が経ってないのにおかしいんだけど……、でもおれは綾といるのがすごく心地良いんだよ」


 口が勝手に動いている。

 思考もぜんぜん冷静じゃない。

 けれど、考えてみれば綾に伝えなければいけなかったことがたくさんあったのかもしれなかった。



「でもおれだって男だし、ちゃんと歯止めができてるかも分からないんだ。こんなふうに女の子と仲良くなるのなんて全然経験がないから……だからもし、綾がまだこんなことはダメって思ったら遠慮なく言ってほしい。そうしないと、おれ」

「………………」


 綾はおれに視線を固定したまま固まってしまっていた。

 背後から声が聞こえてくる。



「……確かに、綾のことを大切にしてとは言ったのはボクだけどさ。よくそんな恥ずかしい台詞ばかり言えるよ、葵」


 おれの左を掴まれる力がギュと強まっていた。



「本心、だよ」

「恥ずかしげもなく本心言えるのがおかしいって言ってるんだ。それに、さっき綾とボクが葵の枕を堪能してるところを見てるんだから、綾が悪く思うはずないって言われなくても分かるだろう」

「し、栞っ!」


 いちばん恥ずかしい記憶を掘り起こされた綾は、耐えきれなくて布団の中に頭まで隠れてしまう。

 その仕草は世界でいちばん可愛くて。


 って待って! 布団の中は見られたらいけない!



「葵くん……?」


 しばらくすると熱に浮かされたような2つの瞳がおれを見上げていた。

 恥ずかしそうに目線を右往左往させてから、最後はやはりまっすぐにこっちを見て。



「えっと……、わたしも男の子とこんなことしたことないから、すっごくドキドキしちゃってるけど……葵くんなら、わたしも嫌じゃない、よ?」


 布団のなかで綾の太ももがもじもじと動いてるのがわかって。

 そして、おれの反応を伺うような、健気でとろんと蕩けたような眼差し。


 思考が完璧にクラッシュした。



「ふふっ。綾も腕枕してもらおうよ」

「う、うで……っ、栞っ!」

「葵。ボクと同じで、綾も何かを抱いてないと眠れないんだ。葵の腕もちょうど2本あるんだし、良いよね?」

「まって葵くんっ! それはまだちょっと……っ!」


 おれをはさんで言い合っている声も、熱暴走している脳内には入ってこなかった。

 やがて気が付くと、おれは布団から顔をだした綾と至近距離で見つめあっていて、



「じゃあ……手、つないでもいい?」

「う、うん」


 おれは本能的に承諾していた。

 すると綾は、この世のすべての幸福を凝縮したような微笑を綻ばせて、



「ありがとう。葵くん……♪」




 その綾の表情を見てしまったおれは一瞬、天国の光景が脳裏に見えたのだった。
















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