#0013 綾の四つのお話 (3)



 さすがにおれは困惑してしまった。


「もちろんおれは構わないけど、……」

「すみません。いきなりすぎましたよね……」

「いやいや、綾さんみたいな人なら全然、友達になれるならうれしいよ」


 反省するように声のトーンが下がるので、おれはあわててフォローする。


 だけど、あまりにも突然すぎた。

 いきなり、お友達になってくれませんか! なんて普段なかなか言う台詞ではないと思うから、びっくりしてしまう。



「なにか事情があったりするの?」

「いえ、事情とかではないんですけど……」


 両手を膝の上で組んでうつむきがちに話す綾さん。


「……葵さん、わたしのことだけ"綾さん"って呼んでいます。栞と萌のことは呼び捨てなのに」

「それは、ふたりから呼び捨てでって言われたからで、まだ知り合って数日だから綾さんみたいな距離感も正しいと思うよ?」


 それに、まだ会っていない麗さんのこともさんをつけている。数の上では2対2だ。

 それでも綾さんは腑に落ちないみたいだった。



「……栞と萌だけ葵さんと仲良くなってて、わたしだけなんだか置いてけぼりな気がするんです。わたし、仲の良い友達もすくないですし……」


 落ち込んだようにつぶやく綾さん。

 たしかに、栞も萌もコミュ力のかたまりだった。


 一方綾さんは初対面のときから一歩引いていて、良い意味で優等生的な接し方だ。

 おれも同い年だけどさん付けを忘れず、敬語も使って話している。



 その丁寧さが綾さんの清楚な印象をつくるひとつの要素だった。

 けど、綾さんにとっては同年代の相手とすぐ仲良くなれないという裏返しなのかもしれない。



 ……そう考えると、綾さんも同い年の女の子なんだな、とすこし親しみが持てた気がする。

 "天使"なんて呼ばれてる女の子も、対等に話せる友達を欲しているんだ。


 おれも友達と呼べる仲の奴なんて少ないから親近感がわいて、自然と嬉しくなった。



「おれは、綾さんと仲良くなれるなら嬉しいよ。呼び捨てで呼んでもいい?」

「はいっ、おねがいします」

「……綾」


 やばい、めっちゃ気恥ずかしい。

 綾さん、ではなく綾は目の前からまっすぐおれを見つめてくる。

 期待の眼差しを向けられながら女の子を呼び捨てするのが、こんなに胸にくるとは。



 気の紛らわしにおれは綾さんにも促すことにする。

 綾の目をみて(本当に吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳だ……)語りかけてみる。



「おれがやったんだから綾さん、じゃなくて綾も、呼び捨てで呼んでほしい。それと、敬語もいらないよ」

「じゃあ、えっと、葵…………さん」


 おれの名前を言ってからみるみるうちに顔が赤くなって、最後には恥ずかしさに耐えきれず"さん"をつけてうつむいてしまう。


 恥ずかしがる度にいちいち可愛いのはなんとかなりませんか……

 赤らめた頬に、ひざの上でぎゅっと握った手とか、しぐさといい見た目といい、とても心臓に悪い。



「すみません、恥ずかしいです……」

「こう見えておれも恥ずかしいんだけどな。……綾」

「葵……さん」

「あはは、まあ呼び捨てはいずれでもいいや。でも敬語はできればなくしてほしいかな。友達同士が敬語っていうのは、やっぱり変じゃない?」

「うん。じゃあ……やめる、ね?」



 不器用にも敬語使いをやめる綾(やっぱりおれも綾さんと呼びそうになってしまう)に、ふたりして顔を見合わせて思わず笑ってしまう。

 天使か女神さまみたいな美人なのに、同い年との人付き合いに関しては人並みに恥ずかしがったりするのが、ちょっとアンバランスでおもしろいと思った。

 初対面だと気づかなかったこの人の魅力を知れたみたいで、ちょっと嬉しくなる。


 まあ、距離の縮め方は人それぞれだから、いずれ自然と仲良くなれるだろう。

 気長に接していけばいいかな、と思ってふと腕時計に目をやると、ちょうどお昼を回っていた時間帯だった。



「おなかすかない? もうお昼だけど」

「わたしもちょっとすいた、かな」


 おれが問いかけると、(話し方はずいぶんたどたどしいけれど)敬語じゃなく答えてくれる。

 おれは嬉しくなる。


 気が付いたら、おれは目の前の女の子をごはんに誘っていた。


「このあとって予定とかある? せっかく仲良くなりたいって話してたし、どこかでご飯食べて、そのあとお買い物とかどうかな?」

「えっ、えっと、まってね……」


 そう言って、カバンから手帳を出して予定を確認しだす綾。

 スマホじゃなくて紙の手帳を使ってるところが、なんとなく彼女らしいなあと思う。

 のぞき見える文字は綺麗な楷書体だった。ほんとに天使さまみたいな女の子だ。



「……晩ご飯までに家に帰れれば大丈夫、です」

「そっか。おれは今日暇だから、午後もどこかで過ごさない?」

「……いいんですか?」

「もちろん。せっかく少し気楽に話せるようになったんだし、おれも綾さんと仲良くなりたいと思うから」

「……また"さん"がついてます」

「あ、ごめん……。というか、そっちも敬語」

「あっ」


 ふたたび顔を見合わせて苦笑し合う。

 お互いに慣れない呼び名のせいでコミュニケーションがたどたどしいけど、どうしてか会話するのが楽しくて心が躍ってしまう。



「じゃあ、そういうことで今日はよろしくね」

「うん」


 まさか、午後もおれと過ごすことになるとは思ってなかったんだろう。

 嬉しそうな笑顔で返答してくれる。



 ともかく、午後の予定は綾とデートということに決まった。

 そうしておれたちはお皿に残ってたケーキを片づけてお店を出たのだった。




 そのあとおれたちはバスに乗り、やってきたのは、郊外にあるショッピングモールだった。

 市の中心部から離れたこのモールは非常に大きい。


 元々ここは、郊外型ショッピングセンター3社が一体になった大型商業施設としてオープンしたのだけど、今は建物はそのままに全館が1社に吸収されている。

 なので、それだけ規模が大きくて内容が充実している。


 ここならそこそこ手頃なレストランもたくさんある。

 手頃で有名な服屋とかおしゃれな雑貨屋も多く入っている。

 市内唯一の映画館もここだし、ゲームセンターも大きいのが入っている。


 平日であるのに夏休み中の高校生や大学生っぽい友人同士、それからカップルが非常に目についた。


 というか、おれたちも傍から見たらカップルに見えるのだろうか……

 そういう疑問も無くはないけど、とりあえず置いといて、昼食をとるお店を見繕うためにふたりで館内を見て回ることに。



「ごめんね、せっかくふたりで過ごそうと言っておきながらこんな場所で」

「全然。わたしも家族以外とは全然来たことがないから、なんだか新鮮なの」


 引け目がないわけではないので、こんな田舎の象徴のようなデートになってしまったことを詫びると、綾はとんでもないと手を振って答えてくれる。

 敬語をやめた綾は最初こそぎこちない話し方だったけど、バスのなかで世間話をしてるうちに慣れて、到着したころにはだいぶ気安く話してくれるようになった。



「あまり友達と来たりしないってちょっと意外」

「実は、学校以外で会ったりするような友達はあまりいないの。学校では話す人はいるんだけど……」


 さっきも言っていたけれど、綾はあまり交友が広いタイプではないらしい。

 委員長をやっていて慕われているって萌は言っていた。

 実際に話してみても思いやりが溢れるような人柄ということが分かるし、間違いなくまわりの子から信頼されるとは思う。


 誰にでも優しく手を差し伸べる半面、特定の誰かと深くかかわることができないのかな。

 そんなことを思ってしまう。



「放課後はいつもどうしてるの? 部活とかは?」

「部活はやってないの。……普段は学校が終わったらそのまま家に帰って、勉強したり家の掃除した晩ご飯つくったり、……麗の様子も気になるから、部活はお断りしないといけなくて」

「綾は家事もやってるんだ。大変だね」

「うちは母さんが忙しいから姉妹の誰かがやらないといけなくて。わたしのほかにも栞が分担してくれてるけど、ただ栞はピアノの練習が毎日あるから」

「……部活には入りたかった?」

「……よくわからない、かな。スポーツはあまり詳しくないから。でも、みんなが一生懸命に運動してたり、休み時間に仲良くしてたりするのをを見ると、……ちょっぴり羨ましいなって思う」

「そっか」

「ごめんね? なんだか暗い話ばかりで……」


 その口調は何でもないふうで、綾は一言も大変ともつらいとも言わない。

 決して卑屈にならず、むしろ純粋に家族のことを心配していて、部活の誘いを断らないといけないことを申し訳なくさえ思う綾の清廉さは、やっぱり印象的だ。


 それだけに、この子がおかれた環境はちょっと不憫だった。

 さっきも少し話したけど、同居してる伯父さんや伯母さんは、あまり綾たちや里香さんには協力的ではないらしい。

 そうなると、長女の綾に家族の負担が自然と集まっているのか。



 ……なんだか、さっきからおれたちの会話が暗くなってしまってる気がする。

 妹の麗さんの話題は大事な話だから仕方ないにしても、伯父さんと伯母さんの話とか、友達があまりいないとか、家のせいで部活にも入れないとか。



「……」

「……」


 暗い話題のせいでふたりとも口数が減ってしまう。

 なにも言わずに並んで歩くのは、ちょっぴり居心地が悪かった。


 綾はなにも言わないけど、やっぱり気まずさは感じてるだろうな……



 もともと綾との仲を深めるためにここまで来たのに、暗い話ばかりなのは良くない。

 何か楽しい話題はないだろうか、楽しい話題は……



「綾が、生きてて楽しい瞬間っていつ?」


 楽しい話題が思いつかなかったおれは、思い切って綾に何が楽しいかをそのまま聞いてみることにした。

 そして出てきた質問がこれだ。

 特に深い考えがあったわけじゃない。

 日々どんなことを楽しんで生きているか、つまり趣味を聞いたつもりだった。



 ――だけど、綾とってはおれが思いもよらない意味がある質問だったのだ。

 このときのおれはまだ気づいていない。



「……質問の意図を、訊いてもいいですか?」


 綾はおれの質問に思わず立ち止まって訊き返してくる。

 敬語に戻ってしまっていた。

 困惑した目で、すこし前を歩いていたおれを見ていた。



 おれは、もしかして癇に障っちゃったかなあと思いながら、綾との会話で感じていたことを率直に言ってみた。


「深い意図とかはないんだけどさ。でも、妹の面倒も見いくちゃいけなくて、家族が多いのにほぼひとりで家事をさせられて、部活にも入れなくて。おれは詳しい事情は分からないけど、伯父さんと伯母さんからはつらく当たられるんだよね? でも綾は弱音も吐かないし、ぜんぜんつらそうな口ぶりじゃなくて、なんかすごいなあって思って」

「ぜんぜん、すごくなんてない、よ……」


 謙遜してみせる綾。

 苦笑いを浮かべていた。



「もしおれが同じ状況だったら、毎日大変だしとてもつらいと思う。……人生、大変なこととかつらいことばかりだと、死にたくなってしまうでしょ? でも、綾がいまこうして生きているってことは、なにか楽しいと思えることがあるんじゃないかって思って。なにか趣味とか、好きなこととか」

「……」

「綾は全然つらいとか大変とか思ったことない?」

「……えっと」


 おれの問いに少しの間考えるそぶりを見せた後、綾はためらいがちに口を開く。

 話す様子は、あまり自信がなさそうだった。



「……正直に言うとね、家事とか家のことが大変だって思うことは、あるよ。雪子おばさんに怒られて泣きたくなるときも……。でも、やっぱり栞とか萌とか麗とか、もちろん母さんも、家族みんなが笑っててほしいって思うから、自然と頑張ってる……のかな」

「……優しいんだね、綾は」


 綾の献身は、長女としての責任感と家族想いの優しさによるものだった。

 やっぱり綾は、健気で天使のような女の子だと思った。



 それから綾は、戸惑いと申し訳なさが入り混じったように告げてきた。


「趣味とか、好きなこととか……ごめん、よくわからない」


 ごめんね、と告げる言葉に込もった感情は、少なからず引け目が含まれていた。


「趣味が無いってこと?」

「これといってないの。栞みたいに楽器ができればいいんだけど」

「……」


 とても寂しそうな口調に、おれは返す言葉を見つけられなかった。



 双子の妹の誇るべき特技を引き合いに出した綾は、ひとりごとのようにぽつりとつぶやく。



「わたしが生きてて楽しいことって、なんだろう……」



 ――綾の自身への問いは、孤独の後味を残してショッピングモールの喧噪の中に儚く溶けて消えたのだった。







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