#0012 綾の四つのお話 (2)
「それで、わたしが葵さんに話さなきゃいけない事の3つめですけど、……これが一番の本題なんです」
栞のリサイタルチケットを財布に仕舞ったおれに、綾さんは真剣な面持ちで話しかけてくる。
「葵さんは、わたしたちが4人姉妹っていうことは聞いてますか?」
「えっと、この間おれが会ったのはお母さんの里香さんと、綾さんと、栞と萌の4人、だったよね。4姉妹っていうことは、もうひとりお姉さんか妹さんがいるっていうことだよね?」
「やっぱり、葵さんには伝わってなかったんですね」
てっきりあの場にいた3姉妹なのかと思っていたけど、違うらしい。
父さんは4人の姉妹っていうこと言っていたかな?
……聞いてない気がする。父さんの伝え忘れかな。
「もうひとりは、わたしたちの一番下の妹で、麗っていう名前です」
「麗さん……みんな漢字1文字で綺麗な名前だね」
「あ、ありがとうございます」
おれが素直な感想を口にすると、照れくさそうに顔を赤らめてお礼を言う綾さん。
どうでもいい偶然だけど、おれの下の名前も漢字1文字だ。
「麗は萌と双子なので、わたしと栞みたいに1文字で統一性をもたせたんだと思います」
「……ちょっとまって、麗さんは萌と双子なの?」
「はい」
「綾さんと栞が双子の姉妹で、1歳下の萌と麗さんが双子ってこと?」
「珍しいですよね」
相当珍しいと思う。
そんな例他にあるのか? というレベルで聞いたことがない。
しかし萌の双子の妹とか、いったいどんな子なんだろうか……
おれがそう思っていると、綾さんは沈痛そうな表情になっていて、ケーキを食べていた手を膝において話しはじめた。
綾さんはうつむきがちで、それでいてどこか縋るような表情にも見えた。
「わたしたちの妹の麗が、"顔合わせ会"に来られなかったのには理由があるんです。それは――――」
綾さんの話は理路整然として、末子の麗さんがどういう状況にあるのかを簡潔に教えてくれた。
麗さんは、長らく学校に行けてない状況が続いているらしい。
原因はある事件をきっかけに精神的に不調になってしまったことらしい。
詳しい事件の内容はあえてぼかした言い方だった。まだおれには伝えられないということなのだろう。
ただ、そのとき以来麗さんが男性恐怖症になっていて、一時期は対人恐怖症と言っていい域にあったという。
最近は改善しつつあるけど、依然として姉妹以外の人を遠ざけているらしい。
そしてその精神的な不調は身体的な具合にも影響していて、いまはまったく学校には行けず自宅で養生しているという状況だという。
その話を聞いて、おれは心が痛んだ。
詳しくは教えてくれなかったけど、男性恐怖症になるということはその事件というのはきっと……いや、無粋な推測はやめよう。なんの意味もないことだ。
とにかく、とても大変なことがあって、いまもつらい気持ちで過ごしてるんだろうな、と思うと同情してしまう。
綾さんが深刻な表情でおれに話し出した理由が分かった。
こんな話、他人においそれと話せるような内容では到底ないから。
「……なるほど。妹さんの重大な秘密なのに話してくれてありがとう」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとうございます」
「これは、ますますこの間の萌のことを怒れなくなったね」
会話の空気が重くなりすぎないよう、つとめて優しく冗談めかして言ってみる。
萌があそこまでおれの理性を試してきたのは、実は男性にトラウマをもっている妹がいたからだったと気づく。
万一にでも妹が傷ついてはいけないから。
萌も自分なりに家族のことを思ってるからこそ、身体を張っておれを試したのだろう。
「それで、葵さんとお父さんが家族になったら、なんですけど」
「ちょっとまって、そもそも麗さんがそんな状況ならおれらは家族になるべきじゃないと思う」
おれは綾さんの言葉を遮って意見を言う。
言うまでもなくおれも父さんも男性だ。
男性恐怖症で、男性に対してトラウマをもっている麗さんと同居なんてさせてはいけないはずだ。
綾さんは近頃体調が改善してきているとは言うものの、まだ学校に行くことはおろか家からも出られない、と言うからには、やっぱりまだ家族以外と接触することができていないんだろう。
そんなところに赤の他人であるおれがいきなり家族になったらどうか。
正直、せっかく改善しつつある麗さんに悪い影響しかないのではないかと思う。
そういうおれの意見を率直に綾さんに伝えてみた。
「――おれとか父さんのことなんか気にせず、麗さんが安心して生きていけるかを第一に考えた方が良い。もし父さんたちが結婚するとなったら、もちろんおれも父さんも、麗さんを傷つけないように最大限協力するよ。だけど、男と同じ家で暮らしていく以上それは間違いなくリスクを高めるだけだと思う」
それに対する、綾さんの返答は落ち着いていた。
そして、おれからしたらかなり意外なものだった。
「……葵さんが麗のこと考えてくれるのはとてもありがたいです。でもわたしたちは、お母さんと葵さんのお父さんとの結婚を受け入れようと思ってるんです」
「本当に? 麗さんは大丈夫なの?」
「麗の意見はいまのところ保留という感じで、わたしと栞と萌は賛成しています」
「……どうしてか、理由を聞いてもいい? 普通に考えたら、男の家族が増えるとか問題外だと思うんだけど」
さすがに困惑していた。
綾さんに尋ねると、綾さんはおれの目を見て微笑みかけて――まじで心臓が止まるかと思うくらいのの破壊力の表情で、温かい声色でこう言う。
「この間葵さんと初めて会って、優しくて良い人だなって思いました。栞のことを助けてくれたこともありますし、萌も葵さんのこと気に入ってます。わたしも、今日はなしてみてやっぱり、葵さんのこと良い人だなって再認識しました」
「この間と今日の2回会って話しただけで、そんな信用できる?」
「……わたし、あまり人と会話続けるのがうまくないんです。葵さんは、わたしが話すのを待ってくれてますし、雰囲気もやさしくて、なんて言いますか……話してて苦にならないんです」
「……なにもしてないのにそこまでべた褒めだと、ちょっと返答に困っちゃうな。だけどありがとう。うれしいよ」
ますます困惑してしまうけど、お礼を言うと綾さんは恥ずかしそうにはにかんでくれた。
「それからもうひとつ、ネガティブな理由になってしまうんですけど、……わたしたちがいま住んでる家っていうのが、お母さんの実家なんです」
「おれも父さんの実家に住んでるよ。ふたり暮らしだけど」
片親の家族が親の実家に戻ってくる、よくある話だと思う。
綾さんはまたうつむきがちになって、話しはじめる。
「うちの場合は、実家を継いだお母さんのお兄さん、わたしたちからみて伯父さんと、その奥さんがいるんです」
「お母さんのお兄さんと、その結婚相手の人ってことね」
「はい」
伯父の妻は、血のつながりはないけど伯母ということになる。
「それで……その伯父さんと伯母さんと、わたしたち家族が、その、仲が良くないといいますか」
「仲が良くないって……喧嘩してるってこと?」
「いえ、その……疎まれてる、という感じです」
「疎まれてるって……」
「姉妹が4人もいますし、父親がいない上に勝手に家に居座っていて、邪魔、なんだと思います」
「邪魔ってそんな……」
綾さんの話は次のように要約された。
綾さんたち姉妹とそのお母さんである里香さんは、現在里香さんの実家である粕谷家で暮らしている。
粕谷家は今、里香さんの兄である瀬一郎さんという人が跡を継いでいて、綾さんたちは瀬一郎さんの家に半ば居候として住まわせてもらってる形になっているという。
そして、瀬一郎さんの妻の雪子おばさんと綾さんたちの関係が険悪らしい。
雪子おばさんが里香さんと姉妹にとても冷たく当たってくるのだという。
雪子おばさんからすれば、義理の妹と姪が4人という大所帯が住みついていて迷惑なうえ、そのうち1人が引きこもり状態になっているのが目ざわりに思っているのだろう。
……だからといって、ここは母さんの実家でもあるので追い出すわけにもいかず鬱憤がたまっているのだ。
一応いまは麗さんの状況には理解は示しているフリはしているけど、学校にまったく行けてない麗さんの存在に内心穏やかではないことはみんな薄々気づいているという。
そんないまの状況で、麗さんの精神的な不調を理由に里香さんの再婚を認めなかったとして、綾さんたちはそれが必ずしも麗さんにとって最良の選択になるというのは自明ではないと考えている。
もし雪子おばさんが麗を部屋から出そうと強硬な手段に出たら……
最悪、麗さんはもう再起不能なダメージを負ってしまうのかもしれない。
そんな最悪の想像、とても考えたくないけれど、姉妹はみんな麗さんのことを心配しているのだという。
綾さんはなんだか泣き出しそうに顔を歪ませていて。
「瀬一郎おじさんは、放任なんですけど。雪子おばさんが、とくにわたしたちのこと嫌いみたいで」
「……難しい、問題だね」
「麗がこれから立ち直っていくためにも、葵さんたちと家族にならないことが最善とは限らないんじゃないかって、みんな話してるんです」
「たしかに、同居する人が協力的じゃないなら難しいよ」
綾さんたちが不憫でならない。
たしかに母親と姉妹で5人というのは大きな人数かもしれない。
だけど、綾さんたちの父親がいないのだってきっと理由があってのことだ。
誰が悪いとか、誰のせいという話ではない。
綾さんたち姉妹にしてみたら、いまの家を取り上げられたら居場所がなくなってしまう。
おれたちはまだ中学生だ。まだ子供で、居場所を選んだり自分で作ったりできる立場にはない。
親戚である伯父や伯母は綾さんたちを守るべき大人で、疎むのは真逆の態度じゃないか?
綾さんの話し口は、彼らのことを家族という言葉に含んでいない。
自分たちのことを疎んじてる家主たちと、家族とよべる人間関係にはないのだろう。
しかし彼らは、麗さんがこれから恐怖症を克服していく上で、まず接することになる人たちでもあるのだ。
麗さんの快復のカギになるだろう人たちが、そもそも綾さんたち家族のことを嫌っていたらどうなるか。
ままならないのは目に見えている。
……おれが言うべきことはひとつに決まっていた。
「綾さんたちの事情はわかった。話しづらいことばかりだっただと思うけど、話してくれてありがとう。……簡単に決められることじゃないと思うから、綾さんたちがおれたちと家族になるかは、これから綾さんたちでしっかり話し合って決めたらいいと思うよ。おれたちは、綾さんたちのこと大歓迎だから。おれも父さんも、麗さんのこと刺激しないように過ごすことは約束する。田舎だけどその分自然だけは溢れるほどあるし、家も結構広いから麗さんもゆっくりと休めると思う」
「ありがとう、ございます」
いつの間にか綾さんは、そんなつもりなかったんだろうけど、感極まって涙ぐんでいた。
それだけ普段の暮らしの中で綾さんもプレッシャーを感じていたのだろう。
黙ってハンカチを取り出して、渡してあげる。
綾さんは恥ずかしそうに手早く目元を拭って、顔を上げてみせる。
安堵したような表情だった。
「……実は、葵さんに協力してもらえないか訊く、というのが今日の一番の目的だったんです。麗のことを正直にお話して、葵さんたちに麗が暮らしていけるように協力してもらえるかを、麗もみんなも知りたくて」
「そうだったんだね。じゃあおれの答えは、文句なしのイエスだよ」
「……ありがとうございます。本当に」
まだ涙は乾ききっていなかったけど、そのとき見せた綾さんの笑顔は、控えめでありながらとても嬉しそうで。
春の青空みたいにすがすがしい心地よさがあった。
まだ家族になれると決まったわけではないけど、綾さんたちと良い家族になりたいと思った。
「……話してたらコーヒー冷めちゃったね」
綾さんたちが抱えていた心配事も、おれたちがこれからなんとかしていけば良いだけのことだ。
麗さんも最初は環境が変わって大変かもしれないけど、いつか会える時があれば話してみたい。
綾さんや栞や萌の妹なのだから、きっと優しい心を持った女の子なんだろうなと思う。
……そしてふと、そういえば今日の綾さんの用件って4つあったよなと思い出す。
ここまでにこなしたのは、この間の萌のことを謝るというのと、栞のコンサートチケットと、麗さんの話。
あとひとつ残っていた。
「……あの、葵さん」
綾さんも冷めきったコーヒーを一口飲んで、ややあって口を開いた。
4つめの用件だろうか?
「なにかな?」
「えっと……」
何やら言いづらそうに言葉に詰まる綾さん。
彼女が言い出しやすいよう少し待っていると、意を決したように綾さんが口を開く。
「わ、わたしとお友達になってくれませんか!」
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