#0002 粕谷家にて【栞視点】
ボクの名前は
4姉妹の次女で、家族は母さんを加えた5人だ。
ついこの間、ボクたちの唯一の保護者である母さんが、結婚をしたいとボクたち姉妹に打ち明けてきた。
母さんはボクたち4姉妹を育てるためにいつも割に合わない仕事で忙しそうにしていて、まさか付き合ってる男の人がいるなんてまったく想像していなかった。
ボクだけが鈍感なのではなくて、4人姉妹だれもが気づいていなかった。
母さんはボクたち姉妹にとって本当に良い母親だ。
「ボク」なんていう、女の子らしからぬ一人称を使っていても否定されたことはない。
いい意味で放任的だし、ボクたちの意見も尊重してくれる。
物心ついた時から父親がいない環境だったけど、恨めしく思ったことなんて一度もない。
4姉妹ということもあると思うけど、寂しく感じたこともない。
思い思いに過ごして、のびのび育ってこれたとボクは思っている。
中学3年にもなれば、それなりに悩んだり落ち込んだりすることもあるけど……
少なくとも母さんや片親という環境のせいではないと思っている。
そんな母さんなので、一方的に決めるということはしなかった。
母さんの結婚の是非について、ボクたち姉妹に考える時間を持たせてくれることになった。
期限は夏休みの終わりまで。
それまでに姉妹で話し合って、賛成が得られなければ結婚はしないということだった。
ボクたちの意思を尊重してくれるのはいつものことながら本当にありがたいし、母さんらしい。
女手ひとつで4姉妹をここまで育ててくれた感謝もあるし、苦労している母さんには幸せになってもらいたいという思いもある。
しかしながら、スマホのメッセージアプリを使ったボクたちの話し合いはネガティヴな方向だった。
栞『やっぱり、賛成するのは難しいと思う?』
綾『私は、お母さんには幸せになってほしい気持ちもあるけど……』
綾『でも、
栞『そうだよね』
そういうボク自身も、今回の話にはどちらかと言うと反対だった。
綾というのはボクの双子の姉で、4姉妹の長女でもある。
綾の文面に登場した麗というのは、ボクたち姉妹の末の四女だ。
麗はとある事件のせいで男性に対してトラウマを持ってしまっているのだ。
それ以来、元々の人見知りに拍車がかかってしまい男性恐怖症というより対人恐怖症という具合で、見知らぬ人との接触を拒絶するようになってしまっている。
部屋に籠もりきりで、学校にも行けていない。
食事を持って行った時に軽く声をかけたり、メッセージアプリ越しに会話をしたりはできるけど、それでも接する回数は減ってしまっている。
麗がそういう状況にあるのに、見ず知らずの男性を家族として迎え入れても良いのだろうか?
母さんが結婚する相手は、つまりボクたちの新しい父親になるということだ。
しかも、その相手には同い年の男の子がいるという話だ。
ただでさえ精神的にダメージを負っているところに、追い打ちをかけることになってしまうことが一番の懸念事項だった。
栞『本気で言ってる?』
萌はボクのひとつ年下で姉妹の三女だ。
萌『ママが結婚したいっていうくらいだから、悪い人ではないでしょ』
栞『どんなにいい人であったとしても男性というだけで麗に悪影響だよ』
萌『もしママが結婚したら相手の家で暮らせるんだよね?』
萌『この家からおさらばできるチャンスでもあるじゃん?』
萌『この家に居続けることだって麗だけじゃなくあたし達全員にマイナスだよ』
その指摘はたしかに……違わない。が。
栞『だからと言って、見ず知らずの男子と家族になるなんて』
栞『今までだって皆で協力して、耐えて来ることができたのだから、これからもそうすれば良いだけだよ』
萌『もしかして、まだ葵くんに片思い中だから、他の男子と暮らすとかありえないってこと?笑』
栞『そんなことない!』
……こともない、けど。
萌が葵くんと言っているのは、昔ボクが習い事の大会で出会った男の子の事。
ボクはその大会で大きな失敗をして、自分が情けなくて家族にも会えずに一人で泣いていた時に、ある男の子が優しく慰めてくれたのだ。
今でも忘れていない。
あの時、彼と出会っていなければボクはその習い事を間違いなく辞めてしまっていただろう。
彼は恩人だ。
ボクが彼に抱いていた感情は、最初は深い尊敬と、憧れ。
だけど、あのやさしさを思い出すたびに、それはすぐ恋心になっていった。
葵とはその時以来まったく会ったことがない。
我ながら、叶う見込みがない初恋だと自覚している。
だけどボクは忘れられない。
ボクの大切な、宝物みたいな思い出だった。
せめて、いつか再会したいとずっと思い続けている。
再会して、お礼を言いたい。あの時言えなかったお礼を。
だから習い事も続けてきた。
続けていればいつかまた会えると思っているからだ。
萌『相変わらず一途だねえ』
栞『うるさいな』
栞『ボクのことはほっといてくれ』
萌『葵くんしか眼中にないもんね~』
萌『学校で告白されても全て断ってきたくらいだし』
栞『そう言う萌だって告白に応えたこと無いじゃないか』
萌『あたしは単に理想が高いだけだもん。実際に付き合うか迷った人も何人かいるよ』
萌『でも栞姉はいつも問答無用で拒否じゃん』
萌『ぶっちゃけさ、相手もそんな昔のこと絶対覚えてないと思うよ?笑』
ひ、人の恋で笑うのはやめてくれ!
あまりにむかついて言葉が出なかった。
彼の優しい性格なら、きっと覚えてくれているはずだ。
もしも忘れてしまっていたとしても、それでもボクはまた会って話がしたい。
綾『……なんだか話が脱線してない?』
議論の軌道修正をしたのは長女の綾だった。
綾『さっき萌が言った「会ってすらないのに」って、私もたしかにって思った』
栞『それは、実際に一度会ってみるってこと?』
綾『そういう機会が一回くらいあってもいいかなって』
綾『父さんになる人も含めて、問題のありそうな人かどうかは会ってみた方が分かると思うし』
綾『もちろん男の人を家族に加えることは特に麗にはリスクになると思うけど、もしかしたら協力してもらって良い方向に働くかもしれないでしょ?』
綾はいつもボクたち姉妹の話し合いで意見をまとめている。
いつも全員の意見をききとってくれるし、綾の意見にはいつも説得力があった。
誰よりも優しい綾だからこそ、ボクたち姉妹はまとまることができている。
ボクたちの絆の生命線と言っても良い。
萌『さんせーい!』
栞『まあ、一度会ってみて決めるというのはあってもいいかな』
綾『でしょ? でもその前に、やっぱり麗の意見が一番重要かなって私は思う』
このメッセージアプリのグループは、ボクたち4姉妹がメンバーだ。
つまり、今までのやり取りは麗も見ているのだ。
麗はいまも自分の部屋にいるはずで、今まで発言せず静観しているみたいだけど、ボクの発したメッセージにはちゃんと既読のマークが三つついているので、内容は読んでいるのだろう。
綾『わたしたちが実際に会って決めようとか、やっぱり良い人かもしれないって言ったところで、麗自身が男の人と家族になるとか絶対無理! って思うなら、やっぱりこの話は断るべきだと私は思う』
たしかに、そうだ。
栞『ごめん。ボクたちは真っ先に麗がどう思ってるか聞くべきだった』
姉妹全員が納得しないままで決定していい話ではない。
麗からのメッセージをボクたち3人でしばらく待っていると、
麗『えっと、』
ぽつり、と麗からの言葉が送られてきた。
麗『結論を言うと、わたしもまだ迷ってる、かな』
綾『迷ってるんだ?』
綾が聞き役になって、続きを促していた。
麗『わたしが男の人が苦手っていうことは、ごめんなさい、やっぱりまだ克服できてない』
綾『麗が謝ることじゃないよ』
綾『わたしたち全然気にしてないから』
麗『ありがとう』
綾『でも、迷ってるってことは絶対ダメってことでも無いの?』
麗『うん』
麗『やっぱりお母さんには幸せになってほしいから』
ボクたちは固唾をのんて麗の言葉を待っていた。
麗『お母さんいまも苦労してて、なんとかしてこの家からわたしたち家族だけ早く出て行った方が良いって思う』
麗『私だって男の人が怖いこともこのままじゃいけないって思ってるし……』
麗『私ひとりにみんなが配慮して、その結果みんなに不幸を押し付けたくはない』
麗『だから、迷ってる』
……こんな重大な話、誰だって簡単には決められない。
麗の思いを聞いて、難しい問題だとつくづく思ってしまう。
萌『確かに、ママのことも考えたら簡単には決められないか』
綾『今急いで決めるべきことじゃないから、ゆっくり気楽に考えよう?』
栞『やっぱり、会って話してみてから決めるのが良いと思う』
皆にそう言ったのこのボクだった。
栞『会って人物を確かめずに判断できることじゃないと思う。もちろん麗は留守番ってことになるけど、ボクたち3人で責任もって相手を観察してくるよ』
綾『じゃあ結局、わたしがさっき言ったことだね』
綾『他のふたりは意義ある?』
萌『なーし!』
麗『私のためにありがとう。よろしく』
綾『ということで、決まりだね』
そんなわけで、ボクたち4人の意見として"顔合わせ会"の開催希望を母さんに伝えたのだった。
母さんとしても、ボクたち姉妹と相手をぜひ会わせたいということで、快諾された。
そして今回の顔合わせ会でボクたちに相手の良いイメージを印象づけたい、このチャンスをものにしたいと張り切っているのがなんとなく伝わってきた。
その最たるものが会場だった。
一見して高いレストランと分かるところだった。
ボクたちが普段来るようなところとは一線を画していた。
そして当日、約束の時間にやってきたのは相手親子の父親の方だけで、もうひとり来るはずの同い年の男の子は事情で遅れてくるということだった。
なんでも夏休みにもかかわらず学校に行っていて、その用事が長引いた上に電車まで遅れてしまっているらしい。
とりあえずということでレストランに入って、その男の子と料理が運ばれてくるのを待ちつつ、父親の方の話を聞いていた。
不躾にならないように観察する。
見た目は普通、というか年齢を考えたらかなり綺麗なほうなのではないかと思った。
とりあえず不潔そうとかだらしない見た目してるとか、生理的に受け付けない感じではなくて安心した。
ううん、むしろオシャレなくらいだ。ネクタイの柄がちょっと変わってて面白い。
話によると、大学の研究所で先生をやっているということだった。
だから、普段は大学での仕事が忙しくて家を空けがちであること、研究の関係上海外出張の多い分野であることを知った。
話した感じも、悪い意味ではなく少し変わった人だなと思った。
その後は、なんというか可哀そうな目にあっていた。
相手の隣に座っていた萌が、やたらと距離感を近づけて話し始めたのだ。
完全に色仕掛けが狙いだった。
萌は姉妹の中で唯一、芸能関係の仕事をしている。
スタイルは姉妹の中で一番良い。
胸の大きさも……、姉妹で一番大きいものをもっている。本当に不本意ながら。
その上困ったことに男の人を会話で手玉にとるのが得意なのだ、この妹は。
軽い口調で相手に過激な質問なんかをしだして、もう目も当てられなかった。
いつもなら、初対面の相手にそんな態度は失礼だと指摘するところだけど(というか萌も普段はこんなことはしないけど)、今日は狙いがあってやっているので手出し無用だと言われていた。
だから綾もボクも、目線のやり場に困っている気の毒な様子をただ眺めてるしかできなかった。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
しばらく話していると相手のお父さんが急に席を立って、店の入り口に向けて声をかけていた。
どうやらもうひとりの顔合わせ相手・同い年の男の子が到着したようだった。
その、父親が息子を呼ぶ名前を聞いた一瞬、ボクは心臓が止まりかけた。
別に、それほど珍しい名前というわけではないと思う。けど、ボクにとって特別な意味をもつ言葉と一致していた。
……えっと、この人の名前は? 苗字なんて言ってたっけ。
姉妹の中でただひとり、ボクはそんなことを考えていた。
その人はすぐにボクたちのテーブルを見つけてやってきた。
制服姿だった。
ボクたちも初対面の相手ということで自然と席を立っていた。
相手の容姿をみとめて、ボクは目を見開いた。
呼吸ができなかった。
だって……
「こちらは息子の葵。いま中学3年なので、綾さん栞さんと同じ学年になるよ」
そんなお父さんの紹介に続いて、自己紹介する彼は――
「はじめまして……じゃない人もいるみたいだけど。
彼の自己紹介の言葉はほとんどボクの耳には入らなかった。
だって、ボクがずっと会いたいと思っていた葵が、ボクが想像していたまさにその通りに成長した姿で目の前にあらわれたのだから。
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