恋は名目――⑤

 カリッ。

 りんご飴をかじる音が、やけに明瞭に鳴り響いた。

 人の群れから離れ、ベンチに腰掛ける男女二人。わたしはその後ろの木に隠れ、そっと行く末を見守っている。

 二人が恋愛小説の登場人物ならば、わたしは脇役だ。いや、それすら不適格かもしれない。あまりにも力不足だ、わたしなんかに脇役という役目は。

 わたしは脇役にすらなれない、通行人Fがいいところだろう。誰の記憶にも残らないし、何の役割ももたない。

 それでいい。彼女が幸せなら、それでいい。

 胸に渦巻く痛いくらいの感情の津波を必死でこらえて、わたしは二人の会話に耳を傾ける。


「次、どこ行く?」

「たこ焼き食べたい!」

「美織、さっきから食べてばっかじゃねえか」

「せっかくお祭りに来たんだから、いっぱい食べたいじゃん?」

「いい加減、太るぞ」

「毎朝ランニングしてるからダイジョーブ!」

「遅刻しかけてるだけじゃねえか。てかいま夏休みだから走ってないだろ」

「えへへ、実は休みの間に……」

「太ったのか」

「ううん、痩せた。二キロ」

「なんで!?」


 先ほどまでのおっかなびっくりさはどこへやら。いつも通りの美織と樋上くんが、そこにいはいた。むしろいつもよりも仲が良い気がする。祭りということもあって、二人とも心無しかテンション高いし。

 しかしまあ……、男女の緊張感が皆無である。普通、「太るぞ」とか言われたら女子側としてはぶん殴りたくなるものだと思うのだが。そこは長年の付き合いがなせる業なのだろうか。


「そういや、あと十分くらいで花火上がるらしいぞ」

「ほんと? じゃあ早くたこ焼き食べて見える場所に行かなきゃ」

「本気でまだ食うのかよ」

「あ、かき氷も食べたい」

「……もう好きにしろ」


 気だるそうに立ち上がった樋上くんに続いて、美織もベンチから離れていく。

 二人の背中はどうみても、男女のそれでしかなかった。

 夏祭りということもあって、二人の周りはカップルだらけ。熱い抱擁を交わしたり、はぐれないようにと初々しく恋人繋ぎをしている彼ら彼女らに、けれど美織と樋上くんは少しも浮いていなかった。

 抱き合ってこそいないものの、手こそ繋いでいないものの、そこにいるのはお互いに意識しあっている男女でしかない。

 雑踏に紛れていく横顔に、幸せそうに破顔するその瞳に写っているのは、わたしではないけれど。

 それでもわたしは、なんとか涙をこぼさないでいられた。

 二人が幸せなら、美織が笑顔でいられるなら、わたしはそれだけで構わない。満面に広がった笑みを友達として、一番近くで見られるなら、それで。

 どれだけ苦しくても、我慢できると思うから。


 破裂しそうなくらいに痛みを訴える胸を握りしめる。

 意味もなく髪をいじってみる。

 左手の人差し指で右手の輪郭をなぞってみる。

 彼女の思い出を握りしめて、わたしはまだ温もりの残るベンチに腰掛けて、空を見上げた。

 まだ腫れたような赤みを残した空に、うっすらと星が輝いていた。


 ……行こう。こんなところにいたところで、何も始まらないし、終わらない。彼女の恋の行方をこの目で見届けるために、行かなきゃ。

 失恋するために、行かなきゃ。


 しばらくして、導かれるような人の流れは止まり、祭り会場の一点に人が集まった。

 二人に見つからないよう、少し距離を取って、けれどはっきりとその背中が見える位置をなんとか確保し、わたしは固く目を瞑った。

 もうじきに花火があがるだろう。

 散るために生まれた花束が、夜空を彩るだろう。

 心の中で、何かがそっと囁く。


――どうか、上手くいきませんように


 と。

 悪魔の声が、どこからか聞こえた気がした。

 最低だ。

 あれだけ幸せになってほしいと願いながら、最後の最後に、そんな思いを抱えてしまうのだから。

 心の底から自分が嫌になる。

 それでも希望に縋ろうとする、自分が。決意の弱い自分が。何も出来なかったくせに、願いだけは込める自分が。

 美織がわたしを好きにならなくてよかった。

 もしそうなっていたら、きっとわたしは美織を嫌いになっていたから。

 わたしは自分が嫌いだから、わたしを好きな人を好きになることは、きっとできない。

 だから、これでいい。

 美織がわたしを好きにならないまま、他の人と結ばれて。わたしの気持ちには少しも気づかずに終わって、二人の友人としていつか結婚式なんかに参加する。それだけできれば、もういい。

 もういいんだ。

 だからさ、わたし――

 その瞬間、むせ返るような夏の匂いが漂ってきた。

 茹った草の匂い。フランクフルトの焼ける匂い。汗とデオドラント、香水の入り混じった匂い。誰かが零したジュースの匂い。下ろしたての浴衣の匂い。火薬の、匂い。

 紫色に散っていく、強い光が目に焼き付いた。

 一瞬にして、周りの音を奪っていく。変わりに、銃弾でも打ち抜いたような音が、これでもかと空から降りそそいだ。

 夏の終わりを飾るに相応しい、大きな花火だった。隣に素敵な恋人でもいれば一生忘れない思い出になるような、綺麗な円を描いていた。

 だからわたしは、それを見なかったことにしようと思った。

 背伸びをしてめかし込んだ女の子が、背の高い男の子の耳元に、口を近づけているのを。

 色とりどりの花火を背に、頬を朱に染めて、両膝をすり寄せながら、すこし距離を取ったのを。

 今度は男の子が近づいていって、やっぱり耳元でささやいたのを。

 不安げに揺れていた女の子の瞳が大きく見開かれ、目元に涙をたたえながら喜んでいるのを。

 全て記憶から消し去ってしまいたいと、強く願った。

 赤く燃え上がった花びらが、一段と大きく開いて消えていくさまが、最後にまぶたに映し出された。

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