恋は寓目――⑭

7/29 雨


 喪失感。

 家に帰ってから、いや、美織の家を出た直後からずっと、胸の中を空白が占めている。

 寂しくて、切なくて――でも言葉で表すことなんてできないような、言葉にすることを勿体ないと思ってしまうような、そんな感情だ。

 自分でも訳が分からないと思う。勝手に惚れて、勝手に諦めて。勝手に背中を押して、そして泣きそうになっているのだから。

 どういう理由の涙なのかすら、わたしには判別できなかった。読書くらいしか趣味がないのに、語彙力とか読解力とかが著しく欠如しているようだ。

 一つ言い訳をするなら、わたしはもともと国語は得意な方だ。小学校も中学校も国語だけは学年で上から数えた方が早かったし、何度か満点を取ったこともある。語彙力も読解力も、人一倍のものを有しているはずなのだ。

 なのに何故か、わたしは自分の内面を言葉で表すことができなかった。数多くの小説から、涙の理由なんていくつも接種しているはずなのに、そのどれもが自分には当てはまらないように思えて仕方がない。

 当てはまらないというか、足りないように思えて。

 寂しいも切ないも、嬉しいも悲しいも好きも嫌いも何もかも、どれもわたしの心を満たさない。どれだけ言葉を詰め込んだところで、隙間が空いてしまうのだ。

 だからきっと、この気持ちは言葉なんて単純なものでは表せない類の、もっと別の、気持ちの悪いものだと、結論づけることにする。

 手にしたものじゃないと、失うこともできない。

 にも関わらず、わたしは心にぽっかりと穴が空いたような気がしてならない。


 それを、気持ち悪いと言わずして何と言うのだろう?


 矛盾、なんて気安いものでもない。

 愛情、なんて明朗なものでもない。

 嫉妬、なんて美しいものでもない。


 こんなもの、ただの独占欲だ。


 好きになってしまったこと自体が間違いだったのだと気づいているくせに。

 諦めたくせにまだ縋ってしまうのは、ただ自分が弱いだけだと分かっているくせに。

 それでもわたしは、彼女を独り占めしたいと思っているのだから。

 ずっと隣にいてほしいと、思っているのだから。

 昨日みたいな日々が、ずっとずっと、続いていけばよかったと、心の底から思ってしまっているのだから。


 同時に、彼女には彼女の望む幸せを手に入れてほしいとも思っている。

 樋上くんと結ばれて、毎日笑顔でいてくれたら、と本心から願っている。


 どうしようもない二つに挟まれて、身動きが取れない。


 ……分かっている。こんなもの、全部わたしのエゴだってことくらい。

 ずっとわたしの隣に居てほしいのも、彼女に幸せになってほしいと思うのも、全てわたしの勝手な願望だって、ちゃんと気づいている。それでも、だからこそ、わたしは呼吸をすることすら苦しくなってしまうのだ。

 告白――すなわち、エゴをぶつける行為。きっと美織は、迷いに迷って戸惑いに戸惑った末に、樋上くんに好きだって、自分の恋人になってほしいって願望を押し付けるだろう。

 それは美織に、樋上くんに自分の気持ちを背負わせる覚悟があるから。だからどれだけフラれるのが怖くても、彼女は告白をするだろう。

 わたしには、それがない。

 美織にこの気持ちを打ち明ける覚悟は、どうしても備わってくれない。美織にはずっとこの気持ちに気づいてほしくない。わたしにあるのは、せいぜいあふれ出しそうな『好き』を墓場まで持っていく覚悟くらいだ。

 だから。


 8月20日。

 約束の花火大会の日だ。

 その日を、終わりにしよう。

 美織の恋が実った瞬間。

 それがわたしの恋が、終わる時だ。

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