恋は寓目――⑨

 きめ細やかな肌が泡に包まれていく。

 細長い指を全身に這わせ、しゃわしゃわと音を立てながら、鼻歌を歌う美織。

 肩や肩甲骨、本来水着などで隠すべき部位までもが、丸見えである。

 風呂場なのだから、当然ではあるのだが。


 直視できない。好きな子の裸を見られるなんて、一生に一度あるかないかの僥倖ではあるが、しかしじろじろと見るのは失礼だし、恥ずかしくて真っ直ぐ見つめるなんて出来るはずがなかった。

 後ろを向けば美織の裸は見えなくなるので、今のようにぶくぶくと息を吐きながら沈んでいかずに済むのだが、それもそれでいくつか問題がある。

 わたしは決して、美織の裸を見たくない訳ではない。むしろ見れるものなら見たい。四六時中ガン見していたい。欲望を包み隠さず言うのなら、一生に一度たりとも目を離さずに居たいくらいですらある。

 ……性知識を身に着け始めた中学生男児みたいな思考回路をしているわたしだが、きっとこれも恋をしたことがある人なら誰もが持っていて当たり前の回路だろうそうなのだろうそうに違いない。

 それに後ろを向いてしまうと、「女同士なのに何を恥ずかしがってるの?」と思われ、わたしが美織のことを意識しまくりであることが露見してしまう。それはなんとしても避けるべき事態であった。

 結果、こうして美織が体を洗うさまをちらちらと見ながら、完全にお風呂から出るタイミングを失ってしまったわたしである。

 体についた泡を流し終えた美織が、シャワーを止めてゆっくりと立ち上がった。

 手を体の横に添えながら、浴槽へと歩いてい来る。泡がないせいで、先ほどよりもはっきりと、見てはいけない部分が見えてしまっている。

 一つ救いがあるとすれば、わたしの視力がクソ雑魚であるという点だろうか。


 お風呂に入る時、メガネは曇ってしまって逆に視界を遮ることになるので、今のわたしは裸眼である。視力矯正器具が必要なくらいなので、わたしは裸眼では殆どのものがぼやけて映ってしまう。

 離れた位置にある扉から入ってきた美織を「美織だ」と判断できたのは、はっきりと顔が見えたと言うよりは、輪郭から導き出した結論で。だから今も、美織がそこにいるのはわかっているが、実は大事な部分はぼやけて見えていなかったりする。

 だが今日は、この視力が人生で唯一役に立った瞬間と言っていいだろう。もしも全てはっきり見えていたら、今頃この浴槽は血の海だ。わたしの鼻血で。

 とはいえ、見えにくいだけで、完全に見えないわけではない。

 服の上からでも分かるほどのスタイルの良さが、余計な布切れを取っ払ったことでよりはっきりと分かってしまう。腰周り、ほっそい。怖いくらいに細い。細いと言うか棒。月並みな表現だが、内臓が入っているのか心配になってしまうほど。

 よくスイーツなどを食べに行っているらしいのに(わたしもたまに付き合わされる。そして尻尾を振ってついていく)、どうしてこんなに細いのか。甘いものを摂取する量だけなら、わたしの方が少ないはずなのに。

 ……いやまあ、引きこもっているわたしと毎朝走って学校に来る美織の運動量の差というのは分かっているのだけど。女子としてはこのスタイルのよさは羨ましいものだ。


 ちゃぷ、と音を立てて、美織の長い足が浴槽へと伸びてきた。細い。白い。ムダ毛の一つもない。ツルツルだ。

 ふー、と艶めかしい息が、耳の近くで吐き出される。白い湯気の中、視力と相まって美織の姿はぼやけているが、それでも心臓が破裂するには十分な破壊力で、お風呂に高波ができしまいそうなほどに心臓がうるさい。


「あ゛ー、汗かいたあとのお風呂は最高だね゛ー」


 と、年寄りみたいな声を出す美織。可愛い。

 じゃなくて!! 可愛いけども!! それよりも、え、なに、何なのこの状況? 美織と一緒にお風呂に入ってる? 同じお湯の中にいる? え? は? これ法律的に大丈夫なの?? わたし捕まったりしない? しないよね? 女同士だし。

 ……考えてみれば、当たり前なのだけれども。

 美織は体を洗っていたのだから、それが終われ浴槽にインするのは至って普通のことだ。ここはアメリカのようにシャワーだけで済ますのが基本ではないのだから。むしろ、こんなに良いお風呂があるのに、入らないなんて損しているとしかいいようがない。わたしだったら毎日朝晩の二回は入ってしまいそうだ。


 何が起こっているのか理解した瞬間、体が凍り付いたみたいに動かなくなる。

 なにか言葉を返そうとしても、何一つ喉は震えてくれず、浴槽内には美織が水と遊ぶ音だけが流れた。

 お湯の温度が急に上がった。実際には、多分、わたしの体温が著しく上昇しただけだろうが、暑いのが苦手なわたしにとって、ここは地獄とさして変わらない。

 美織には悪いが、精神的にも肉体的にも、そろそろ限界が近い。一足先にお風呂を出よう――立ち上がろうとして、やはりわたしは硬直した。


 わたしと違って、美織の目は非常にいいはず。このまま立ち上がってしまえば、わたしの裸を美織に見られてしまう。

 自分の体のことは、自分が一番よく知っている。太っているというほどでもないが(そう思い込みたい)、痩せているともいえない体形(こっちはただの事実である)。毛の処理もしておらず、見るに堪えない醜悪な肉体だ。

 それを好きな人にさらすと、どうなるか。

 あまりの見た目の醜さに、嫌われること請け合いだ。下手をしたら「泊まらせるの嫌」とか言われて追い出されるかもしれない。そうなったらもう二度と学校にはいけないし、死ぬしかなくなってしまう。

 で、でれない……! なんとしてでも美織よりもあとに出なければ……!


 座り直し、わたしは深呼吸をした。

 長く苦しい戦いが、始まる。

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