恋は寓目――⑧

 床に散らばっていたゴミや服を拾い集め、本を本棚に差し込み、掃除機をかけ、窓を拭き、最後にベッドのシーツをピンと張って、美織の部屋の掃除は幕を閉じた。

 所要時間、約三時間。

 わたしも美織も拭いきれないほどの汗を流し、達成感と疲労感に導かれるまま大の字に寝ころんだ――それから十数分。


 わたしは柚月家のお風呂に入っていた。


 二人とも足もとに水たまりが出来そうなほど汗をかいており、ついでにほこりも嫌と言うほど被ってしまったので、まずはお風呂に入ろう、という話になり(小心者のわたしにそんなことを言いだせるはずがないので、発案者は美織だ)、今に至る。一番風呂を頂いてしまったわけだが、これも「お客さん優先」と美織が譲らなかったから。


「……それにしても、広い」


 意味もなく呟いた言葉は、たっぷり数秒かけて壁から跳ね返ってきて、浴場を飽和した。

 浴場というか、大浴場だ。この広さは。

 わたしの家では当然、お風呂は一人で使うことを想定されているので、わたし一人が入ればそれで他人の入る空間はなくなってしまうのだが、しかしこのお風呂ならば二人くらい余裕だろう。頑張れば二十人くらいは入れそうだ。

 しかもヒノキ風呂である。作られた香りで満たすだけの入浴剤とはレベルが違う。これが『本物』の癒しか……!

 広い風呂というのはそれだけで心地が良い。子供のように泳ぎたくなってしまう。さすがに他人の家でそれはしないけれど。

 木の色が透けて見えるお湯に肩まで浸かり、長い息を吐き出す。この三時間、ずっと美織の隣にいたため、緊張の解ける暇もなかったのだ。それが今、ようやく解放された。いつのまにか握り締めていた拳を開くと、じんわりとお湯がしみ込んでくる。こんなお風呂なら毎日三十時間くらい入っていたい。


 それにしてもわたし、本当に美織の家に来てるんだなー、と今更のように思う。

 なにせ急な話だったし、現実味もなかったので、今の今までわたしの頭がついにいかれて、やばめの幻覚を見てしまっているだけなのかもしれないと思っていた。

 だが頬をつねっても救い上げた水を顔にぶつけてみても、見える景色は変わらない。クロールの練習が出来そうな広いお風呂があるだけだ。

 ……考えてみれば、美織は普段、毎日このお風呂を使っているはず。お風呂に入るのに服を脱がないはずがないので、この浴槽には生まれたままの姿の美織が、何度も入っていることになる。

 そんな場所に、わたしも裸で入っている。


 …………。

 …………。

 …………。

 …………。

 ……ボンッ!


 頭の中で何かが破裂する音がした。


 いや。これは仕方ないと思う。わたし悪くない。誰だって好きな人が入っているお風呂に入れば邪な妄想の一つや二つや三つや四つや五つや六つくらいするだろう。決してわたしがむっつりとか、エッチな子とかそういうわけではなく。これは仕方のないことで、生理現象と言い換えてもいい。それくらい誰にでもあって当然の妄想であり、わたしが美織を常に性的な目で見ているということではない。断じて。神に誓って。


 早口でまくし立てるように脳内に言い訳を並べて、自分を正当化していく。先ほどは肩までしか浸かっていなかったのに今は首まで沈めたのは、美織が入っている風呂の水を出来る限り多く接種したいからとかそういう考えはなく……ただ単に、気持ちいいからもうちょっと浸かろうと思っただけだ。


 水面に映るわたしは、歪んだ鏡越しでも分かるほどに顔を真っ赤にしていた。これはきっと、気づかぬうちにのぼせてしまったからなのだろう。

 いつまでも美織を汗だくのまま放置しておくわけにもいかないし、そろそろ出ようか。


 と、わたしが立ち上がって浴槽から出ようとした、その時。


 がらりと音を立てて浴室の扉が開かれ、一糸まとわぬ姿の美織が、入ってきた。

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