恋は寓目――⑤

7/27 くもり


「…………」


 冷房の風に当てられながら、わたしは半ば引っ掻くように、ノートにシャーペンを走らせた。


「…………」


 ふと外を見てみれば、アスファルトがうだるような暑さに湯気をたて、辺りの景色をゆがめて居るようにすら見える。先ほど確認した天気予報によると、今日の気温は35度を超えるらしい。

 猛暑日である。わたしの天敵だ。今日は絶対に一歩も外に出ない。絶対に。


「…………」


 わたしは机に突っ伏した。暑さにやられたわけではない。そもそも現代日本にはエアーコンディショナーという最強の武器があるので、室内にいる限りわたしの体は暑さから保護されている。


「う゛~~~~~」


 そのまま、低い唸り声をあげる。


「あ゛~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 泣きじゃくるように袖口に額を押し付けた。いや涙なんて一滴も出てないけど。汗と同じくらい出る気配もないけれど。


 それでも、心に空いた消失感はとんでもなく大きく、夏休みの課題なんて一向に手につかなかった。


 昨日のプールの後。三人でファミレスに行ってご飯を食べた後、解散したのだけれど。

 三人のうちわたしだけ、家の方向が違うのだ。幼なじみである美織と樋上くんは当然のように解散後も並んで歩いていく。それを見て、つい思ってしまったのだ。


――羨ましい


 と。

 分かっている。こんなこと、わたしに思う権利はないと。わたしは美織を応援すると決めたし、それは同時に自分の気持ちに蓋をすることでもある。すでに諦めたわたしに、何も思う資格はない。

 けれど、それでも、奥歯を強く噛み締めてしまった。

 わたしだって、もっと美織の隣に居たい。もっと長い時間を一緒に過ごしたい。もっと彼女を知りたいし、彼女に知ってほしいと思う。もっと、もっと、もっと――


 嗚呼。


 今まで、学校がないことをこんなに辛いと思ったことはない。


 学校があれば、毎日のように顔を合わせられるから。

 特に最近はテスト期間で、席が出席番号順だった。『柚月(ゆづき)』に続く『夢宮(ゆめみや)』であるわたしは、テスト中ずっと彼女の背中を眺めることができた。それが今年最大の幸せと言ってもいい。


 ちょっと猫背で、丸まった背中。慌てて学校に来たのだろう、襟も立っている。

 だらしなさがどうしようもなく愛おしくて、つい口元が緩んでしまったほどだ。


 だが夏休み。授業もテストも、学校に行くこともない。昨日のように美織に誘ってもらえれば会えるが、しかしそれも、いつ誘われるか分からないし。なんなら夏休みが終わる一カ月後まで、一度も会えずに終わる可能性だって十分に会える。わたしが美織の立場だったら、わたしのような根暗コミュ症ドブスなんて遊びに誘うだけ邪魔だろうし。しかも大抵のケースで樋上くんも一緒に遊ぶことになるのだから、なおさらわたしは邪魔者である。どう考えても二人きりの方がいい。美織と樋上くんの、二人きりが。


 これも学校があれば、遊びという明確な目的もなく、ただだらだらとお喋りを出来る休み時間があるから、解決だったのだが。


 それにしても夏休みの課題が進まない。どれだけ机に向かってもやる気の一つも起きてこない。脳に湧いてくるのは美織のことばっかりで、今解いているはずの数学の問題の数字の一つも頭に入ってこない。

 重症だった。

 せめて、一目だけでも美織に会いたい……。それが出来たらちょっとはマシになる気がする。


 いやわたしから遊びに誘えば全部解決だろと言われてしまえばそれまでなのだが。しかしわたしにそんな勇気を求めないでほしい。

 第一に普通の女子高生がどこで遊ぶのかすら知らないし。カラオケ? ボウリング?

 どちらにせよ、わたしは歌は下手だしボールを真っ直ぐ転がす技術すら擁していない。わざわざ好きな人の前で自分に不向きなジャンルをさらけ出す必要もなかろう。

 それに何に誘うかの案があったところで、何といって誘っていいのか分からあない。今どきの女子高生としてわたしもメッセージアプリの使い方くらいは心得ているが、普段あまり使わないのでどんな文面でやり取りをしていいものなのかすら分からない。


 あまりにも女子高生として不完全すぎるな、わたし。そもそもちゃんと人間で入れてるかすら怪しい。


 ため息が漏れる。昨日から、何度目のため息か分からない。ずっとため息ばかり吐いている気もする。


 「わたし……どうすればいいんだろ」


 自分の中に生まれた矛盾した感情に、書いた数式が一本の線で上書きされていった。

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