恋は寓目――④

7/26 晴れ


 夏である。

 長期休暇に入り、梅雨もあけたことで太陽もより一層光を増し、じりじりと肌を焼いてくる、忌々しい夏である。

 セミの鳴き声を背に、日陰に設置されたサマーベッドでドリンクを一口。流れる水の音と無数の声が遠く聞こえた。

 じんわりと押し寄せてくる熱が、肌にくっついた水滴を容赦なく奪っていく。普段は部屋に引きこもっているせいで、先ほど数分ほど日の光を浴びただけで日焼けしてしまったらしく、晴れたように赤くなっている。


――明日、プール行かない?


 昨日の夜、何の前触れもなく電話をかけてきて、開口一番に美織はそう言った。

 そんなわけで、今日は美織と樋上くんとの三人で、プールにやってきたのだが。


「人、多すぎでは……?」


 かんっぜんに夏休みをなめていた。いいよー、なんて気軽に言わなければよかった。

 ぐるり、と辺りを見渡してみる。

 人。人。人――360度どこを見ても、人しかいない。

 お前ら、頼むから海に行ってくれ。美織も海よりは人がマシだろうからとプールを提案してくれたのに、その気遣いが無駄になってしまったじゃないか。

 ……まあわざわざ海に行く理由もないのだろうけど。ここ、砂浜付きのプールもあるし、天井のない、晴天の下にもプールが続いてるし。潮風でベタベタしたりしない分、こちらの方が利便性がいいというのはある。その前にわたしのような人間は絶対に海に行かないけれど。

 今日来たのだって、美織に誘われたからだし。これがもし樋上くんが言い出しっぺだったら、来なかった気すらする。

 しかし、人の母体数は海よりは少なくとも、泳げるスペースはどうしても限りがあるので、その分プールの方が密集しては見える。流れるプールとかもはや水じゃなくて人が流れてるみたいで気持ち悪い。


 ちなみにわたしは今、泳ぐのに疲れて休んでいる。まだ来てから30分も経ってないけど。

 仕方ないだろう、普段運動しないんだから。むしろここに来るまでの電車の中ですらわたしは疲労困憊していたんだ。美織や樋上くんみたいに、何十分も泳ぎ続けられるはずもない。


 それに――あの二人の邪魔、したくないし。


 美織の気になる人というのは、樋上くんと思ってまず間違いない。本人に直接聞いたわけではないが、ここ数か月の二人を見ていただけのわたしでも、なぜ付き合っていないのか不思議に感じてしまうほどに親しく近しい間柄なのだから。

 問題は、美織がこの気持ちが恋かどうか分からない、と言っていたことだろうか。自覚がなければ告白もしないだろうし、そもそも美織の性格的に、樋上くんの気持ちが分からないまま告白することもないだろう。ああ見えて色々と繊細で、憶病な子だから。根の部分で似ているところがあるからこそ、わたしと美織は友人になれたのかもしれない。


 美織のことが好きなわたしではあるが、しかし美織と付き合いたいなどとおこがましいことを思っているわけではない。むしろ美織に好きな人がいて、その人との関係を進めたいというのなら、わたしはそれを最大限に応援するつもりですらある。

 わたし如きはどうでもいい。どころかわたしのような人間が誰かと愛し合うなどありえないことなのだし、だったらせめて、好きな人には世界で一番幸せになってほしいと願うそしてそれを、一番近くで見たいとも。


 悲しくはない。美織が幸せなら、それがわたしの幸せと言ってもいいくらいだ。

 辛くないと言えば、それは嘘になるけど。

 辛い。辛いに決まっている。初恋が、初まる前から終わっているのだから。

 けれど、それでもいいと、思えるから。

 美織が笑顔でいられるなら、その隣に居るのが自分でなくとも、わたしは構わないから。


 その相手が今みたいに、わたしとも仲の良い樋上くんだと言うのなら、これ以上に何を望むというのか。

 いつか来るであろう、二人が結ばれるときを。

 一番近くで、傍観できるなら。

 どれだけ辛くとも、わたしはこの気持ちを断つと、心に決めていた。


 流れるプールを二人で歩いているのを、一人遠い場所で眺める。

 わたしの視線に気づいたらしい美織が、ぶんぶんと大きく手を振ってくる。

 それに手を振りかえしながら、わたしは表情に憂鬱さを出さないように気を付けて、そっと、ため息を漏らした。

 どうしてわたしは、美織を好きになってしまったのだろう、と。

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