恋は寓目――②

7/11 晴れ


 高校生であるわたしたちは、基本的に保護者の管理下にある。

 親の金で飯を食い、寝床を手に入れているのだ――扶養され、生活させていただいているのだ。

 寮生活をしている人などを除くと、わたしのようなごく一般的な市民は、こうして家族と同じ家に住んでいるはずだ。一つ屋根の下で、のうのうとぬくぬくと、暮らしているはずだ。

 一人で暮らしているわけではないのだから、自分の力で暮らしているわけではないのだから、そこには報告・連絡・相談の三点セットが付きまとうはずで。外泊なんかをする際は、もちろん事前に一報いれておかなければならない。

 わたしが知る限りの、普通では。

 例えわたしのお母さんが美織に泊まっていくよう促したところで、しかしこことは別のところに両親という存在のいる、自分の家があるはずの美織は、即答はできないはず――そうわたしは高を括り、わずかにあるはずの猶予を以てなんとか美織をうちに泊まらせない方向に話を進めようと、そんな甘い考えをしていた。幻想を抱いていた。


 しかしわたしの幻想は、直後の美織の言葉によって、ぶち壊されることとなる――


「いいんですか?」


 即答だった。間髪入れずに美織はそう答えたのだ。わたしの母に。泊っていかないかと言われて。


「もちろんよ~、いいわよね、星火」

「え、あ、うん……」


 流されるまま、わたしは頷いてしまった。

 だってここで嫌だとか言ったら、友情が崩壊しかねないし。

 というか別に、美織が泊まっていくことそれ自体が嫌なわけではない。むしろ嬉しい。夜通し一緒にいられるとか、普通に楽しみですらある。

 わたしとて、お泊まり会というものに興味はあるのだ。消灯後に寝るまでたわいもない話をしたりとか、してみたい年頃なのだ。こちとら禄に友達がいたこともないので、修学旅行でみんながこそこそと恋バナに花を咲かせている横で狸寝入りしてたんだぞ。もちろんお泊まり会をしたことなんてあるはずもない。


 だが一つだけ……いやいくつか問題があるのだ。

 例えばウォークインクローゼット。

 美織は着替えを持っていないだろうし、着替えの際にはわたしの服を貸すことになるはずだ。だがあのクローゼットの中は、テレビのネタにされているようなゴミ屋敷と変わらない有様である。ひとたび着替えを取ろうとしたら、この部屋がクローゼットの中の荷物に浸食されることは想像に難くない。

 服を取り出す瞬間を美織に見られなかったとしても、なだれ込んできた荷物を処理するのにまた時間を要してしまう。それだけの長時間、美織をこの部屋から遠ざけることができるのか……?


 今はベッドの下に隠している見られたくない物も見つかるかもしれないし(いかがわしいものではない)、夜までの長い時間、美織を退屈させないための設備も我が家にはない。わたしはテレビゲームなどはしない人間なので、ゲーム機もないし。


 色々と不安は残るが、しかし一度承諾してしまった以上、もう引き返すことはできない。

 なんとかボロを出さずに、切り抜けるしか道は残されていないのだ――



 ――幾多の戦いを乗り越え、危機を逃げ切り、日付が変わるころになってわたしはようやく人心地ついた。

 あとはもう、寝るだけだ――が、油断はできない。自己認識はないが、もしかしたらわたしはいびきが酷かったり歯ぎしりがうるさかったり寝言が痛かったりするかもしれない。眠っている最中のことは防ぐ手だてがないため、ここからが本当の戦いと言ってもいいだろう。


 戦いと言っても、自分とのだが。


 つまりわたしは――徹夜をするつもりなのだった。

 眠らなければ、いびきも歯ぎしりも寝言も、物理的に防ぐことができるから。

 我ながら完璧な作戦である。

 一徹くらいならわたしは余裕だし。


 絶対にボロを出さずに、乗り切って見せる……!


 決意新たに、わたしは机の上に置いてあったノートを閉じ、シャーペンと消しゴムを筆箱にしまい込む。

 今は部屋に一人だ。美織はリビングでお母さんに捕まっている。わたしが初めて連れてきた友達ゆえ。

 さて、美織が寝るための布団の準備でもしようか。当然ながらわたしの部屋には、わたしが使っているベッドしかないし。わたしが布団で寝て、美織にベッドで寝てもらうという方法もあったのだが、泊まらせていただく分際で、と美織に断られ、そして押し切られてこうなった。わたし、弱すぎない?

 まあ美織をわたしのベッドで寝かせてしまうのは、個人的にはあまり好ましくないし、自分の弱さがありがたくすらあったのだが。


「˝あー、疲れたー……」


 布団を敷き終わったところで、げっそりとした表情の美織が帰ってきた。


「お母さん、お喋りだから大変だったでしょ。ごめんね」

「うん、星火と真逆の人だった」


 昔からわたしの代わりにお母さんが喋りまくるので、わたしは黙りこくっていて問題ないという背景が、わたしの性格の形成につながっていることは間違いないだろうし。

 それにしても、ここで頷いてしまうあたりがなんとも美織らしいと言える。わたしだったら「そんなことないよー」とか言ってお茶を濁している場面だろう。


「どうする? もう寝る?」


 ちらりと時計を見やると、針が天辺で重なっていた。まだまだ夜はこれからという時間だが、早く美織を寝させてしまえば、もうボロを出す心配もないのでわたしとしてはすぐにでも布団に潜ってほしい。


「寝るにはまだ早いけど……電気は消そっか」


 と、美織。電気を消しても眠りはしないということは──つまりアレをするつもりなのだろう。

 女の子だけの空間。お泊まり会。消灯後にすることと言えば、一つしかない。


 恋バナ、である。


 聞きたいような、聞きたくないような……。楽しみな気もするが、ちょっと怖い。美織からそういう話を聞くのは。

 現状が崩壊しかねないものを、わたしが抱えているから。


 さりとて女子高生が集まった以上、避けられない話題ではある──いやまあ、集まったことないんだけど、わたし。全部クラスメイトとかが話してた内容を盗み聞きしただけなんだけど。

 盗み聞きと言うと、ちょっと聞こえが悪いか。たまたま聞こえてきたと言い直しておこう。わたしの席の後ろで声も潜めずに話されたら、そりゃあ嫌でも聞こえてしまうし。


 ここに来て、まさかの最難関ミッション開始である。美織にわたしの胸のうちを、悟られないようにしなければならない。まだ友達でいたいなら、心が痛いのを承知で秘めているしか、ない。


 電気を消し、わたしも美織も寝床に入り込む。(今は)物が少ない空間だ、暗い部屋の中でも、お互いの居場所くらいは目視できた。

 友達が、美織がわたしの部屋で寝ようとしている。

 チルチルとミチルは青い鳥を家の中にある鳥かごで見つけたが、まさにそんな気分だった。

 どんなフィクションを読み重ねても、本質的な幸せなんてものは今この瞬間、現実における自分の身近にしかないものなのだと。

 直視するべきは、いつだって目の前にあるものなのだと。


「ねえ、」


 どんな二次元よりも高次元な存在が、吐息のような声を漏らした。

 わずかに震えている。普段の美織らしくはない、弱々しい言葉だ。


「星火は、好きな人っている?」

「──っ!」


 前言撤回。美織らしい、ド直球なセリフだ。まだ何も言っていないのに、恥ずかしくなってしまうような


「……いないよ。いたこともない」


 嘘を吐くのは忍びなかったが、しかしなりふり構ってはいられない。


「美織は、どうなの?」

「……わかんない」


 再び芯のない声を吐き出す美織。怯えているような、戸惑っているような、知らないものにおののきながら触れる野生動物のような、子供のような声だった。


「最近、なんか気になるなーって人はいるんだけど……、これが好きって気持ちなのか、わかんない」


 けれど、美織はどこか幸せそうに、そう続けた。


「……どんな人なの?」


 わたしは思わずそう聞いた。本来なら、聞くべきではなかっただろう。破滅の呪文と同義の、この言葉は。


「んーとね、お調子もので、瀬が高くて、顔はまあまあかな。でも……とっても優しい人」


 ──ああ、だめだ。


 わたしは期待していたのだと思う。

 美織が、その人のことを想っていないことを。

 1パーセントにも満たない可能性に、賭けてみたかったのだと思う。


 美織が気になっている人なんて、すぐに看破できてしまった。わたしだって、知っている人だから。数少ない友達の、一人だから。


 どうしようもなく、胸が苦しくなる。泣きそうなくらいに、痛くなる。この痛みは、覚悟していたはずのものなのに。

 それでもいいって、思ってたはずなのに。

 だって。



 好きな人から他人を好きだと聞かされるなんて、地獄でしかないじゃないか。



 どうか、と願う。


「……多分それは、好きってことなんじゃないかな」


 どうか美織がわたしの恋に気づかないまま、終わりますように、と。

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