恋は沈黙――⑥

 恐怖。

 砂が一粒舞うごとに、血の気が引いていくのを感じた。一歩ずつ、着実に、死に近づいている。例え殺されはしなくても、二度と生きようだなんて思えなくされそうだ。


 わたしは自分が嫌いだ。

 弱虫で、泣き虫で、何もできない自分が。コミュニケーションすら上手く取れない自分が。たまらなく嫌いだった。きっと、生まれたその時からずっと。

 だから、いつ死んだって構わないと、常々そう思っていた。


 けれど今、その場面に直面してしまうと、しかしどうしてか、両の眼から零れ落ちそうな何かがあった。


 悲し涙とか、悔しさとか、溢れ出たままになっていた気持ちとか、そんなものが。


 脳裏に浮かぶ光景がある。


 例えば入学式の日、美織に話しかけられた時のこと。

 例えばお弁当を家に忘れた日、お腹を抱えて笑いながらも美織も樋上くんも半分ずつお昼ご飯を分けてくれた時のこと。

 例えばなんでもない日、三人で学校帰りにクレープを食べた時のこと。


 ただの日常としか言いようのないものが、わたしの胸の中には溢れている。

 何か特別なことがあったわけではない。思い出にすらならないようなものが、そこにあるだけだった。


 けれどそれでも、わたしはまだ、日常に浸っていたかった。


 ぬるま湯でも。なれ合いでも。それでもいいから。せめてあと少しだけ、あと一回だけ、会いたい――


――恋してるってことでしょ?


 こい。

 コイ。

 恋。

 誰かを好きになって、その人に自分を好きになってもらいたい。

 胸が痛んだり、宙に浮かぶような気持ちになったり。

 ああ、そうか。


 これが――


 お母さんの言うことは間違ってなかった。

 だからもう一度だけ、会いたいと思った。だから他の人と話していると、嫉妬に胸が痛んだ。だからわたしと話してくれると、宙に浮かんだような気持ちになった。


 だけど、どうやら気づくのが遅すぎたらしい。きっとわたしは、もうここで終わりだから――


「――悪いね、そろそろ集合時間に遅れそうなんだ」


 ふと、聞きなれた声が聞こえた気がした。


「さ、今のうちに逃げよっ」


 それが幻聴でもなんでもなく、純然たる現実だと、樋上くんの声だと理解した瞬間、声とは別の方向から手を引かれた。


「み、美織? なんでここに……」

「いやあ、星火が路地に入ってく辺りで見つけてたんだけど、こわ~い人達がその後つけてたから、応援呼ぼうと思って。そしたらこんなに遅くなっちゃった」

「応援?」


 美織はにやりと口の端を吊り上げ、指をぱちん、と鳴らした。


「じゃ、あとはよろしくお願いしまーす!」


 美織の合図と共に、大量の人がなだれ込んでくる。

 怖い人達とは全然違う装いの――むしろ、真逆とすら言える服装の。

 それは、どこからどうみても警察だった。


「迷子の捜索って言って、連れてきちゃった」


 美織はテヘペロっと舌を出し、警察の人たちとは逆の方へと走っていく。


「あとは警察と幸彦に任せとけばいいから。とりあえずもっと明るいところに出よっか」

「う、うん!」


 手を引かれるだけでなく、わたしも自分の意思で、足で走りはじめ、美織の背中を負う。


 ああ、やっぱり。


 今も、ドキドキが止まらない。ただそれだけのことで、それだけのことが、無性に嬉しく感じてしまう。


 ――やっぱりこれは、恋だ


 わたしは泣きそうな気持ちを必死に堪えながら、光の指す方へと駆け抜けた。

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