第一症:恋は沈黙

恋は沈黙――①

6/25 くもりのち雨


 昨日に引き続き、今日も窓の外には雨雲が広がっている。

 泣きじゃくる幼稚園児のように昼ごろから降り出した雨は止むことを知らず、放課後になる頃にはグラウンドを沈めかねん勢いで降っていた。

 本日は壊れていない傘をちゃんと持ってきたので問題はないが……、もっさりと広がっている髪を思うと、憂鬱な気分は隠せない。

 スマホで天気予報を調べてみる。明日の朝まで、この雨は降り続くらしい。

 ため息をつきながら、わたしは鞄を持って教室を出た。

 どうせ止まないのなら、早く帰るに限る。

 雨でグラウンドを使えなくなった運動部がひたすらに登り降りを繰り返している階段の脇を通り、昇降口へと降りていく。

 湿り気を含んだ風は冷たく頬に打ちつけ、わたしが一人であることを強調するように、周りの音を奪っていった。

 靴を履き替え、傘を開く――


「――あれ、夢宮?」


 その姿を認めた瞬間、びくんっ、と肩が跳ねた。


「ひ、樋上くん!?」


 樋上幸彦。わたしの友人の一人である。わたしよりも頭一つ分高い身長に、一般的な男子高校生以上に筋肉のついた体躯。見上げると威圧感を感じるが、しかしわたしは彼の内面にある優しさを知っている。

 遅刻癖のある美織を毎朝迎えに行ったり、朝ごはんを食べ損ねたわたしにパンを恵んでくださったり。そういう優しさに、心が温かくなるのだ。例えそれが、自分に向けられたものでなくても。


「どうしたんだ? いつもすぐ帰ってるのに」

「あ、えっとね、えー、そう、図書室! 図書室に行ってたの!」


 なんとなく教室で窓の外を眺めていた、なんて言うのが恥ずかしくて、意味もなく嘘をついてしまう。深窓の令嬢ごっこをしていようと、それを彼に知られようとどうだっていいはずなのに。

 口を突いて出たのは、正直者のわたしではなかった。


「夢宮、いっつも本読んでるもんな」

「う、うん! それ以外にやることもないし……」

「ゲームとかしないのか?」

「あんまり、かな。これ以上目が悪くなても困るし」

「その辺、美織とは正反対だよなぁ……」


 そういえば、美織がよく遅刻してくる理由は、夜中までゲームに勤しんでいるからと前に聞いたことがある。樋上くんの口ぶりからすると、昔から相当に手を焼いているのだろう、美織のだらけた部分に。


「ところで、樋上くんはどうしたの? 部活とかやってなかったよね?」


 六限が終了してから、すでに一時間ほどが経過している。理由もなく居残りしているのは不可解だ。わたしの言えたことではないけれど。


「あー……実はな、傘をパクられたんだよ」

「え、誰に?」

「美織に」

「……喧嘩でもしたの?」

「あいつ、傘忘れたみたいでな。バイトに遅れるからーって言って勝手に俺の傘持っていきやがったんだよ」

「ああ、なるほど」


 美織は学校から数駅離れたところにあるファミレスでバイトをしているのだが、どうやら今日に限ってシフトが入っていたらしい。


「で、雨に濡れて帰るのもいやだから、ワンチャン止まないかなーって」

「災難だったね。それに、雨も止みそうにないし」

「だよなあ、天気予報、明日まで降水確率100%だし」


 ふと、自分の手中に収まっている傘が目に入る。何の変哲もないビニール傘。だが、わたしが一人で入るには、少々大きすぎる傘だ。

 まるで――二人で入れと、言わんばかりに。


「あ、あのさ、」


 困ったように唸っていた樋上くんに、わたしは意を決して、傘を差しだした。


「よかったら、一緒に入る? その……駅まで」


 ぱちくり。樋上くんのまばたきの音がやけに鮮明に聞こえた。

 かあ、と顔が赤くなっていくのを感じる。わたしは一体、なんて提案をしているんだ。相合傘とか、恥ずかしすぎるでしょ。

 沈黙。雨に濡れた世界、二人きりの昇降口、雨が地面を打つ音以外、何も聞こえなくなった。


「……いいのか?」


 やがて、樋上くんはわたしの差し出した傘をつかみ取った。

 わたしは何を言うでもなく、ただ一度だけ頷く。そして傘から手を離した。

 樋上くんとわたしの身長差では、樋上くんが傘を持たないといけなくなるから。


「ありがとな、夢宮」


 樋上くんは笑う。そこに曇りなんて一つもなく、純粋な心で。


「…………」


 何か返そうとして、言葉に詰まる。言いたいはずのものが、どうにも喉で引きこもってしまい、出て行ってくれない。


「夢宮? どうかしたか?」

「……なんでもないよ」


 わたしは樋上くんから顔を逸らす。なぜだか分からないが、まともに彼の顔を見れない。


「……行こ」

「あ、ああ」


 樋上くんは不思議そうな顔をしていたが、わたしの言う通りに傘を開き、自分とわたしが濡れないように位置の調整をし、歩き出す。


 どくん、どくん、どくん。


 心臓がうるさい。殺人事件の犯人を告げるように早鐘を打っている。


「濡れてないか?」


 樋上くんが、優しい笑顔で問いかけてくる。


「だ、大丈夫」

「そっか」


 駅までは約5分。

 たったの300秒だ。

 けれど、その300は。


 わたしには永遠に感じられるほど長く、同時に一秒よりも短い、そんな時間となった。

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