その八 幣

 車夫しゃふ*に為度なりたいとうのが、子供の頃からの、こうさんの口癖だった。

 県都の中学*を出て高等学校*に進み、長期の休みなどには、弊衣破帽へいいはぼう*に長髪のマント姿と云った恰好かっこう颯爽さっそうと村に戻って来る鑛さんに、陰で眉をひそめるような村人も少なくなかった。成程なるほど年寄としよりなどには到底とうてい理解出来まい。しかるに、自分には、其姿そのすがたこそがあこがれだった。そうして、鑛さんは、高等学校に行く程の大人物であったが、偉そうな素振そぶりは露程つゆほども見せず、自分なんかにも人懐こかった。顔を合わせるたびに、それでも矢張っぱり、車夫に為度なりたいのだと、はにかむように笑っていた。


車夫:人力車を曳くことを生業とする者。車曳くるまひき

中学:旧制の中学校。中等教育機関で、五年制。現代の中学一年生から高校二年生に当たる年代の男子が通った。昭和初期の中学進学率は、一割程度と言われる。ちなみに、現代の進学率は五十パーセントを越えている。

高等学校:旧制の高等教育機関で、三年制。中学校を終えた男子が進学する。現代の高校より、むしろ大学に近い雰囲気。飲酒や喫煙も、一般には許容(黙認)されていた。大正時代の高等学校への進学率は、一パーセント程度とも言われ、大変なエリートである。

弊衣破帽へいいはぼう:傷んだ衣服に破れた帽子。旧制高等学校の学生が好んだスタイル。



 其鑛そのこうさんは、高等学校を終えたと云うのに、何故だか大学には進まなかった。

 実家に帰って来た時の、鑛さんの姿と云ったら、蓬髪ほうはつ*髭面ひげづらで、擦切すりきれた粗末な久留米絣くるめがすり*、たけが極端に短いながらも立派な仙台平せんだいひら*の袴、足下あしもと白足袋しろたび冷飯草履ひやめしぞうり*という、どうも、益々ますます奇抜きばつでちぐはぐな出立ちだった。

 此処ここいらでは、高等小学校*に上がらるる者も、滅多めったらぬと云うに、高等学校まで出て置きながらあの風体ふうていでは、中々迚なかなかとて身上しんしょうが持ちまするまい――人々は隠れてそう噂し合った。

 ういう仕儀しぎとなってからは、何でも、鑛さんの御父おとつさんは、一言も鑛さんとは口を聞かぬと云う事であった。御母おっかさんの方は、或日突然に、自分を訪ねて来て、あんたぁ、鑛一こういちを頼みますと、何度も何度も拝むようにして帰って行った。鑛さんは、小さい頃から良く面倒を見てれた兄さんのような人ではあるし、自分の家では、我田畑わがでんぱたの外に、鑛さん所の小作もしていた行掛ゆきがかりもあり、御母おっかさんの頼みは無下むげに出来るものでは無かった。


蓬髪ほうはつ:ぼさぼさに伸びた髪。

久留米絣くるめがすり:福岡で生産されるかすり生地きじ。また、その生地で作った着物。庶民的な木綿の生地であった。

仙台平せんだいひら:仙台で生産される、袴用の高級な絹織物。

冷飯草履ひやめしぞうり:粗末なわらの草履。

高等小学校:尋常小学校を卒業した者にさらなる初等教育を施した機関で、二年制。現代の中学一年生から二年生に相当する年代が通った。高等科。大正時代の高等小学校への進学率は、四割程度とも言われ、女子に限って言えば、二割程度とされる。地方の農村などでは、更に一層低い進学率だったと見積もられる。



 それから三日程みっかほどして、鑛さんの様子を見に行った。

 何でも、邸内やしきうちの離れに一人暮らしているらしい。声を掛けると、浴衣姿ゆかたすがたこうさんが出て来て、開口一番、おい、車曳くるまひきはもう止めたよと云った。んな田舎じゃ、車に乗る者なんぞりゃあせん。其処そこで近頃思い附いたんじゃが、鳥刺とりさし*にるのは、うじゃいね。田舎じゃけぇ、鳥はようけるじゃろ。

 相変わらず、突飛とっぴな事を云う。返答にきゅうしていると、明日が鳥刺の初仕事じゃ。あんたも、一緒に行こまい。ほなら、そういう訳じゃけえ、今日はもうんで、明日に来てつかぁさい。そう早口で捲立まくしたてると、鑛さんは、障子戸しょうじどをぴしゃりとてた。

 鑛さん鑛さん、一寸ちっくと待ってつかぁさい、此処ここな開けてつかぁさい、障子に向かって、そう呼びかけても、うんともすんとも返事が無かった。


鳥刺とりさし鳥黐とりもちを付けた長い竿で、小鳥を獲ることを生業にする者。



 翌朝――

 だ日も明けぬと云うのに、激しく戸をたたく者が居る。何事かと思っていると、母の声で、ほれ、入田いんだの鑛一さんが見えとるで、と自分を呼ぶ。出て行くと、蓑姿みのすがたの、山師やまし*のような恰好かっこうで鑛さんが立っていた。成程なるほど、長い黐竿もちざお*を二本担いでいる。一本はどうやら自分のために持って来てれたらしい。

 んな早くにうしたのかとたずねると、鳥刺とりさしじゃもの、暗い内から出張でわらんでどうする、あんたぁ、覚悟がないのぅ、と笑っている。あっけにとられたが、何にしても、逆らっては毒だと思い、自分も急いで身支度を整えて、竿を一本引き受けた。朝飯を食うひまもない。弁当を持って来る算段も無かった。

 連れ立って歩いていると、しばら押黙おしだまっていた鑛さんが、唐突に、あんたぁ、いくつにならぁなといた。そうして、あんたも、もう中学に上がる年頃ならぁにと云い出した。何を云うがいね、鑛さんとは二つしかたがわぬに――怪訝けげんな顔を作って、そう答えると、ほうかね、ほうかいねぇ、したれど、あんたぁ、えろうに若う見えらぁがいと笑っている。これが今の鑛さんかと思えば、心底しんそこ残念に思われた。それに、中学など、自分が行かれるわけが無い。尋常科じんじょうか*だに真面まともに通われなんだを、鑛さんとて良う知っとる筈がじゃのに随分な事じゃわい、と情けなくも思ったが、あの鑛さんが、到頭とうとううなりおおせられたかと思い返せば、何やら非常に気の毒でもあった。


山師やまし:山林で働くことを生業とする者。鉱山業、伐採業、山林売買業など。

黐竿もちざお:鳥黐が付いた竿。この竿を使って、鳥刺が鳥を捕獲する。

尋常科じんじょうか:尋常小学校のこと。旧制の初等教育機関で、六年制。現代の小学生に相当する年代の児童が通った。義務教育であり、大正時代の就学率は9割後半。



 やがて道はだらだら登り始め、其内そのうちに、森の中へと入って行った。此処ここら辺りは自分も余り来た事がない。しかるに、鑛さんにとっては、良く知った道と見えて、迷いなくずんずんと奥に進んで行く。息を弾ませながら附いて行くと、やがて、朽ちかけてかしいだように立っている木の鳥居があった。元来もともとは、黒漆くろうるしが塗ってあったと見えるが、半分以上剥げていた。丹塗にぬり*の鳥居は一般だが、黒漆くろうるしの鳥居など見た事がない。いぶかしく思っていると、鑛さんは何やらごそごそと動き出し、鳥居の脚の下で這蹲はいつくばるような恰好かっこうをした。何をしているのかと近附ちかづくと、腰に提げた籠から小さな御幣ごへい*を取出し、鳥居の脚のそばの、地面に突立てた。そうして其紙垂そのしで*の先に丁寧ていねい鳥黐とりもち擦附なすりつけると両手を合わせ、何やらごにょごにょと拝み始めた。

 呆気あっけに取られて見ていると、なにしとらぁね、あんたも一緒にらいでうする――突然下から自分を見上げたと思ったら、きっぱりと叱附しかりつけられた。鑛さん、なにを拝みよるんね、と訊ねると、山の神さん拝みよるに決まっとらぁな、鳥刺とりさしじゃもの、あんたも鳥刺とりさしの弟子なら、早う伏して拝みんされ、と云って、すっくと起ち上がった。何時の間にやら、すっかり弟子にされている。随分ずいぶん辻褄つじつまの合わぬ成行なりゆながら、かく逆らっては不可いけないと考えた。拝むにしてもなんにしても、鑛さん、先刻さっきなにやら唱えとらいたがいのぅ、ありゃあ、なんぞいね、なんて云うて拝めばえか分らんがいな、教えてつかぁさい、と訊ねると、途端に鑛さんはにこにこ顔になり、ええか、さえふたぎにかさかきたぼり南無南無聖天しょうでん*六根清浄ろっこんしょうじょう*じゃ、分かるかいな、さえふたぎにかさかきたぼり南無南無聖天しょうでん六根清浄じゃけぇな、それ五遍ごへん唱えんされ、と云う。

 何の事だかさっぱり分らない。そもそも、聖天しょうでん様とは、山の神の事だっただろうか? まあ、何にせよ、逆らわぬに越した事は無い、そう自らを納得させながら、鳥居の脚の下に蹲踞しゃがんで、ごにょごにょ五遍誦ごへんずした。

 出来でけた、ほなら、こっちゃでも、拝もまいか、そう云うと鑛さんは、鳥居のもう一方の脚の下にうずくまった。逆らわぬよう、逆らわぬよう――自分も鑛さんの隣に這蹲はいつくばり、御幣が地面に立ち、鳥黐とりもち擦附なすりつけられるのを待った。やがうながさされて、鑛さんの敬礼きょうらい真似乍まねながら、南無南無聖天しょうでん六根清浄ろっこんしょうじょうを唱えた。


丹塗にぬり:顔料であるしゅなどで、赤色に塗ること。

御幣ごへい:棒の先に紙などを飾りのようにはさんだ神への捧げもの。或いは、神が憑依する依代よりしろ

紙垂しで:御幣や注連縄しめなわなどに、飾りのように下がる紙。

聖天しょうでん:歓喜天のこと。夫婦和合や子宝などの功徳がある。もともとは、インドの神で、ガネーシャに相当。

六根清浄ろっこんしょうじょう:眼、耳、鼻、舌、身、意の六根が清らかになること。また、そうなることへの祈り。



 あんたも大分だいぶん鳥刺とりさしらしゅうなったのぅ――それからのこうさんは上機嫌で、早足で山道を登って行った。何処からのような元気が出るのか、皆目かいもく分らない。自分は、滝のような汗を拭き拭き、鑛さん待ってつかぁさい、そがいに早うは、附いて行かれんで、そう頼んでも一向に容赦はなく、鳥刺の修行は中々厳しいもんじゃで、あんたも、覚悟なされぃよぅ、と愉快そうに笑っている。疲れた様子はごうも無く、自分を振返り振返り、余裕綽々しゃくしゃくで間合いを計りつつ進んで行くのだった。

 そうして、途中に大岩や大木を見附けると、其度そのたび御幣ごへいを立て、南無南無聖天しょうでんの祭事を一頻ひとしきりり行った。自分にとっては、それこそが、難有ありがたい休憩の時間となった。朝飯も取らずに腹は大いに空いていたが、やがそれも通り越し、かく、必死に鑛さんに附いて行くので精一杯であった。

 鳥居を過ぎて、小一時間もっただろうか、二人は、人の背丈程せたけほども無い、低いがけの下に辿たどり着いた。崖の腹の、赤土が剝出むきだしになった所に、いくつか穴が開いている。むじなか狐の穴だろう、そう思っていると、これじゃ、これじゃ、顔鳥かおどりの巣じゃわい――仔細しさいらしくうなづながら、声を潜めるようにして呟いた。一体、顔鳥とは、何の事だか分らない。んな鳥が有るものだろうか、訊ねてみても、鑛さんは返事もせずに、穴の前に蹲踞込しゃがみこむと、御幣ごへい取出とりだして、例の南無南無を始めた。

 ええか、大けな声を出したらあかんで、口の中で、泡がふつふつつぶるる如くに御祭文ごさいもん*を唱えんさい、ええな、そう念を押され、自分は細心さいしんに鑛さんのひそみならった。

 一頻ひとしきり、神事が終ると、鑛さんは穴を背に胡坐あぐらいた。自分も並んで腰を下ろす。鑛さんは、腰の籠から竹の皮の包みを取出した。開けると、大きな牡丹餅ぼたもちが二つ入っている。あんたぁ、朝飯もわいで、腹ぁ減ったっつろ、これぇ、一つずつ分けておまい、そう云ってつつみを自分の目の前に突き出した。これぁ、だんだん、おおけに難有ありがとう、そう礼を云って、一つよばれたが、鑛さんの家は、村に並びも無い分限者ぶげんしゃ*だと云うのに、案にたがって、砂糖の少しも入っていない塩餡しおあんであった。


祭文さいもん:神仏に祈願するときに唱える言葉。願文。祝詞。

分限者ぶげんしゃ:財産家。金持ち。


 て、扨て、そろそろ顔鳥かおどりも出てようまい、じゃな、じゃな――にこにこしながら、黐竿もちざおを小脇に、穴の中をめつすがめつ眺めている。

 すると、突然に奥から、すぽんと勢い良く何かが飛び出して来て、空へと舞上った。見上げると、頭の上、七、八尺*程の所に、何でも毛みたような物が、恰度ちょうど、人の拳程こぶしほどな大きさに丸まって浮いている。そうして、蘿藦ががいも*の毛種けだねが風に飛ぶように、ふわふわと宙を流されて行く。其色具合そのいろぐあいと云ったら、まるきじの雄の、くびの毛でこしらえたまりのよう。見え方によって、青とも、緑とも、紫とも、ちらちらと、とりどりに色を変え、美しい事此上このうえ無い。

 出ぇらいた、出ぇらいた、あれこそ顔鳥かおどりじゃ、そう云ってこうさんが喜んでいる内に、新たにもう一つ、すぽんと飛び出した。

 二つの毛玉は、附かず離れず、風に吹かれて遠ざかって行く。

 あんたぁ、其処そこで穴をば見張っとらんせ、まだ、何ぞ出て来るやも知れん、わしは、彼方あっち追掛おいかけて行くで、そう云うが早いか、鑛さんは竿を担いですたこら走り出した。

 顔鳥とは鳥ではないんかいの、あれはどう見ても鳥ではなかろうに――鑛さんの背中にそう訊ねてみたが、矢張り一言も返って来ない。あっと云う間に、遠く姿が見えなくなった。

 仕方無しかたなしに、云われた通り、穴の前に陣取じんどっていると、しばらくして、又すぽんすぽんと、毛玉のまり打上うちあがった。今度は、一つや二つではない。二十や三十でもかぬ。大方、百、二百を遥かに超えた鞠が、一斉に、空をおおわんばかりに広がって舞っている。

 自分は大いに慌てて、竿を振るって鞠を刺そうとした。しかるに、毛玉のまりは、竿さお鳥黐とりもちが触れようとすると、ひらりと身をかわすようにらいで、中々、容易に刺されるものでは無い。ごくまれに、竿の先が当たる時もあるが、すぐに、ぱちんと、石鹸シャボンの玉のようにはじけて、消えてしまう。或いはどんどん風に流され、或いは弾けて消えて、あれ程飛んでいた毛玉のまりは、悉皆無すっかりなくなって了った。

 がっかりしていると、何やら後ろから、獣臭けものくさい匂いがする。

 振返ふりかえると、何時の間にやら鑛さんが戻って来て、がっくり肩を落として立っている。手には、最早もはやもち竿ざおすら持っていない。

 結句、一羽いちわれなんだの――

 そう頭を振る鑛さんの目の周りは、何だか、見る見る黒ずんで行くような気がした。


尺:昔の長さの単位。一尺は約三十センチ。

蘿藦ががいも:つる性の植物。秋に、先のとがった紡錘形の実を付け、熟すと縦に割れて、中から白くて長い毛の付いた種子が、風に飛ばされる。





                         <了>




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