第4話
それは深い夜が丑三つ時に差し掛かった頃だった。男は部屋の扉が開かれる僅かな音で目を覚ました。何者かが部屋へと入る気配がする。男は体を動かさず目線だけで侵入者の姿を捉えようとした。
月明かりに照らされたその姿を見た時、男は骨髄が震撼するような恐怖を覚えた。まるでミイラに眼球をくっつけたような人物が寝具に横たわる男を凝視していた。男は咄嗟に寝具から跳ね起き、枕元に置いてあった剣の柄に手を掛けた。ミイラのような男は意味不明な言葉を口にしながら男に掴み掛かる。男は恐怖に任せてその手を振り払い、ミイラのような者を全力で蹴り飛ばした。その体は羽毛のように軽く、宙に浮かばんとするばかりに吹っ飛び、その後頭部を棚の角に思い切り打ちつけた。
「オ・・・ガ・・ダ。イカ・・・レ。」
ミイラはそう言うと動かなくなった。男が恐る恐る近づくとそれはすでに事切れていた。次の瞬間扉の方から甲高い叫び声が響いた。そこには使用人がかっと目を見開いて立っていた。
「旦那様!旦那様!」
使用人の言葉を聞いて男ははっとした。今さっき自分が殺したこのミイラのような人物が女騎士の夫なのだ。男は底知れぬ恐怖と罪悪感に襲われ、次の瞬間には扉の前に立つ使用人を押しのけて無我夢中で走り出していた。この城から一刻も早く逃げなければならない。男は城を抜け、表に繋いであった馬に跨ると夜の闇の中を駆け出した。途中男は背後の闇より歴戦の女騎士の悲痛な叫びを聞いたような気がした。
それから数日を経て男は王都へと辿り着いた。通りは有象無象でごった返しており、街の中心にはそれら全てを見下ろすように高々と王宮が立てられていた。男は初めて訪れる王都を散策して回った。通路脇の屋台には目が眩むような金品が馬鹿みたいな値段で売られている。広場では露出度の高い衣装を纏った浅黒い肌の踊り子が笛や太鼓の演奏に合わせて舞を披露していた。裏路地では目つきの悪いごろつきが貧弱そうな男性に脅しを掛けていた。男は一先ず宿を探してから王宮に向かう事にした。
だが王宮に辿り着くと巨大な門の前で直槍を手にした衛兵に道を阻まれた。招待状を見せても衛兵は首を横に振った。聞くところによると催事が開かれるのは二日後であるとの事だ。衛兵は男に二日後の朝、鐘が九つ鳴る刻に出直すよう命じた。男は仕方なく来た道を引き返した。道中、男は何人もの修道士が布教活動を行っているのを目にした。彼らは口々に、神聖な樹を犯してはならぬ、果実を取ってはならぬ、忌まわしい催事は取りやめねばならぬと言って羊皮紙をばら撒いている。男は村でよくその宗教の噂を耳にした。「欲望の果実」をつける樹を神が世に与えたものとして崇める宗教が存在すると。先の戦争が「欲望の果実」の力によって勝利がもたらされたのだという話も、この宗教団体が作ったデマなのではないかという噂だ。男は道端に落ちた一枚の羊皮紙を拾い上げた。どうやら彼らは自分の参加する催事を取り止めさせる事に躍起になっているらしい。羊皮紙を凝視していると一人の修道士が男に近づいて来たので、男は咄嗟に持っていたそれを道端へと投げ捨てた。
二日後、男は王宮へと赴いた。その日は先日より王宮に出入りする人が明らかに多かった。だがそれは半年に一度の催事と言うにはあまりに閑散としていた。男はてっきり王宮の前に観衆が集まって野次や声援を飛ばしていたり、派手な音楽隊が太鼓や喇叭で行進曲を演奏していたり、鉄砲玉のような音を立てて空に花火でも上げられたりするものと思っていた。だが王宮前を行き交う人々は淡々と与えられた仕事をこなすように歩いていくだけだ。男が門の前で直立不動の姿勢を取る衛兵に声を掛けると彼はにこりともせず言った。
「お待ちしておりました。馬車の準備はすでに整っております。どうぞこちらへ。」
「馬車に乗って何処へ行くんだ。」
と男は衛兵に尋ねる。
「もちろん催事場でございます。」
馬車に揺られる事三時間、男は王都から遠く離れた森の入口で降ろされた。馬車は男を降ろすと早々に来た道を引き返していった。周りを見ると自分の他に六人の参加者が集っていた。そして男を含む七人の参加者の前に王宮の人間と見られる髭男が立っていた。
「聞け。諸君らは神聖なる催事の参加者として主より選りすぐられた者らである。これから諸君らにはこの国の宝とも言える欲望の果実を巡り競ってもらう。」
髭がよく通る声で言った。参加者七人は全員が睨むようにして髭の話を聞いていた。急に連れて来られた上随分と横柄な態度で髭が説明するので当然ながらその場は穏健な空気ではなかった。
集められた参加者は七人七色だ。一人は派手な金髪に大きな胸の女性。かなり美人だがその横顔を見るだけで性格がきつい事がすぐに分かる。腰には長剣を差している。彼女は視線だけで髭を殺そうとしているかのようにじっと睨んでいた。その金髪女にちらちらと怪しい視線を送る参加者が居た。身長が百九十はあるだろうか。肩幅もかなり広い大男で顔面は二、三発殴られたような形をしていた。男は彼を見て西の山に住むと言われるトロールを連想した。彼の背中にはトロールらしく巨大な棍棒が携えられていた。トロールとは対照的に小柄な参加者も居た。身長は百五十程だろうか。全身を黒いローブに包んでいて顔は良く見えない。とてつもなく整った顔をした男も参加者の中に居た。黒い長髪を後ろで縛り、全身を高価そうな鎧で包んでいる。腰にはこれまた高価そうな長剣を携えている。おそらくどこか有名な貴族の生まれなのだろう。その隣に立つ参加者は男と同じような服装をしていた。年齢は男より若いように見える。細身で頭にはバンダナ、耳にはピアス、腰のベルトに短いナイフを二本携えている。男がその若者の方を見ていると若者は男の方を見てにっと笑った。最後の一人は神官のような恰好をした男だった。白い装束に身を包み、表情の乏しい顔でじっと髭を見ている。
「諸君らにはすでに伝えられた通り、優勝者には欲望の果実が与えられる。」
髭は言う。
「優勝者を決める方法は至って単純だ。諸君らの目の前に広がる森。この森は大陸一巨大な森と言われており、抜けるのに最低でも丸二日はかかるだろう。欲望の果実をつけると言われる樹は森を抜けた先の草原に生えている。もう分かっただろう。そこにある欲望の果実を最初に手にした者が優勝者だ。」
「競う合うって事はお互い剣を抜くような事になっても構わないって事だね?」
金髪女が髭に問い掛ける。
「悪いが諸君からの質問は一切受け付けない。諸君らで判断してくれたまえ。」
「そうかい。じゃあ好きにさせてもらうよ。」
金髪女はにやりと笑って言った。それだけのやり取りを見ただけだが、男は金髪女には出来るだけ関わりたくないと思った。
「では行け、選ばれた者たちよ。己の欲望を叶えるために。」
髭がそう叫ぶと、どこからともなく催事の始まりを告げる大砲の音が大地を通して響いて来た。それと同時に七つの欲望が動き出した。
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