第108話 織田秀敏の笑み

「このしわがれの首、誰が取るかな」

 鷲津の付城、それまでの沈黙を織田秀敏が微笑みをもって破った。

「伯父上、そのような」

 飯尾信宗が絞るような声で言った。彼の父定宗は目を閉じ、口をぎゅっと結んだままでいる。

 注進の声を聞かずとも、彼らのいる広間の中で敵が守りを破ったことは直ぐに察しがついた。音が違う。

 と、

「申し上げます。二の曲輪が今川勢に抜かれました」

 駆け足で来た注進が息を継ぎながら言った。

「承知」

 織田秀敏が答えた。

 注進の兵はすぐに去り、評定の間は彼ら三人と十人ほどの家臣だけの空間となった。

「さて、近江守殿」

 秀敏は弟の定宗に目を向け、言った。まだ病が完治していないせいか、顔色が悪い。

「儂はこの現状を殿に注進すべきだと思うが、どうか」

「そうですな」

 目を開け、飯尾定宗は同意した。

「では、隠岐守おきのかみ殿、殿への注進を頼み申す」

「え、わたくしですか」

 飯尾信宗は驚いたように言った。

「そうじゃ。この付城の最期の注進を頼みたい。そしてそのまま殿の陣に従え。殿はきっと今川殿を攻める。そなたは若い。命を散らすならこのようなところではなく、もっとそなたらしい死に場所を選べ」

「しかし」

 信宗このとき三十二歳、目の前の二人は共に六十の坂を越している。

「いや、兄上のおっしゃるとおりだ」

 飯尾定宗が目を開け、息子に言った。

「行け。無駄死には、するな」

 飯尾信宗はしばらく二人の老人の顔を見ていたが、やがて思いを決したように、

「はっ」

 深々と頭を下げ、広間を出ていった。

「お主らも行け。隠岐守殿に付き従え」

 織田秀敏がその場にいる家臣全員に言った。

「頼む」

 続けて定宗が頭を下げた。その場にいた家臣たちは皆黙っていたが、一人、二人、意を決したように立ち上がり、そして全員がその場を出た。

「……」

 一人一人の家臣は一礼をして広間を出た。最期に出て行く家臣が深く一礼をする時まで、織田秀敏は笑顔でそれに応えた。

「本当に、清須の殿は、今川を迎え撃つと、思われますか」

 皆が出て行った後、飯尾定宗が上目遣いで秀敏に言った。

「さあ、分からぬ」

 秀敏は白髪頭を指で撫でると、

「しかしの、あのお方は我等に命じているのだ。今死ねと。これだけは間違いなかろう」

 口角を上げながら、刺すような目で言った。病気のせいもあろうが、普段の好々爺なイメージに無い鬼気迫る表情になっている。

「さて、そなたと手を取り合って黄泉にいけるはうれしい。殿の粋なはからいじゃ。そろそろ行こうか」

 秀敏は床几から立ち上がり、愛用の槍を手に取った。定宗もふっと笑顔を見せ、立ち上がった。

「そうですな。共に老いの死に花、咲かせましょうか」

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