第86話 信長の細心、義元の泰然
庭先で平伏している三人を残し、信長は渡り廊下を歩いていった。書院には既に茶の準備が出来ていたが、信長は書院を通過した。
信長はどこへ行くとも言わず、ただただ無言で廊下を歩く。信長は感じている。どこにいるのか分からない今川の忍びの気配を。屋根裏か、軒下か、それとも闇に包まれている庭の中か。いずれにしてもどこかで息を潜めているのは間違いないだろう。今回の踊り
――信長は何の手も持っていない。
間者にそう報告させ、今川の油断を誘うのが目的だ。今このときだけでなく、清須の城や街の中にいるときも、彼はそのようにふるまっている。家臣の中には自ら得た今川などの情報を申し伝えようとする者や、自らの意見を具申しようとする者がいるが、信長は取り合わない。
そんな今現在、こういう措置を取らずに家臣でもない川並衆の報告を聞けば、実は信長は何らかの手立てを考えている、と思われてしまうだろう。今はこのようなことにも細心の注意を払わねばならない、と、信長は思っている。
「弁慶なりども判官なりども罷り候らえ、か」
奥の屋敷に入る手前で、信長は、ふと口ずさむようにひとり言をいった。
「あの者らも忠心でここへ来たのだな」
信長は足を止め、後ろの近臣たちの方へ振り向くと、
「あの三人を呼んでやれ。茶でも振る舞おう」
準備をしろ、と言った。
「はっ」
近臣全員が頭を下げ、一人が庭先へと足を戻す。
信長は再び歩き出し、自ら奥座敷の板戸を開いた。
――敵を欺くにはまず味方から。
この言葉が現実味をもって彼の頭の中に去来している。
三月三日、義元は駿府の浅間神社に舞楽の装束を寄進し、同日久能寺に
四月八日、今川義元は駿河、遠江、三河の諸宿に
伝馬とは公用での物資輸送や使者などの通信を馬で行う制度で、古代の律令国家からあった。
昨年の永禄二年、義元は三河の松平を完全掌握したことを機に伝馬一匹を駿遠三の各宿場に常備するよう布告したが、当年永禄三年は奏者の一人を朝比奈親徳とし、尾張への進軍と戦の際の駿府との通信策として配置した。
義元は軍をスムーズに遠征させるため、街道筋の整備と
また義元は刈屋城の水野信近に書状を送った。
水野信元の弟信近と連絡を取り合い、信元の織田から今川への寝がえりを後押ししている遠州掛川城主の朝比奈泰朝から要請されたもので、水野側は担保としての意味合いで義元の書状を欲したという。
さもありなん、と義元はすぐに承諾した。
夏になれば義元自らが出陣する。その前に尾張国境の砦については手勢を派遣する。そのような次第なので水野にも活躍してもらえると幸いだ。詳細は朝比奈泰朝から伝える。
書状の内容はそういうもので、要は義元自身が水野兄弟の今川家への参戦を承知し歓迎しているということを水野に納得させ、安心させるためのものだった。
義元は前衛の出陣を五月十日、自らの出陣を五月十二日とした。順調にいけば夏至(永禄三年は五月十九日)の頃には尾張に入ることが出来るだろう。
農民たちを招集する時期は丁度田植えの終わり頃と重なる。
梅雨の具合もあり微妙な日取りともいえるが、駿遠三の兵を徴収する村々には出立の日を伝え、調整するよう命じている。
戦場となる鳴海大高周辺は今川進軍の噂を聞いて田植えを遅らせる所が多いだろうと予想している。
現在すでに今川の領地で、この戦によって完全掌握を目論んでいる熱田より南となる南尾張は、あまり田畑を荒らしたくはなかった。
逆に熱田まで進軍することで、熱田以北は織田の動きを見ながら、今年の収穫に影響を与えようと目論んでいる。
ともあれ、戦の準備は着々と進んでいた。また、義元はそれを隠そうともしなかった。
尾張には細作を使い、軍勢は三万とも四万とも噂を流した。今川勢が尾張に侵攻するのは田植え前とも夏の盛りとも伝えている。混乱により不安感や恐怖感を植え付けるためだ。
(さて、尾張の若造はどう出るか)
義元は余裕をもってそう思っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます