探湯
◇短歌
「
「
湯に手を入れた者が正しければ、神の加護により火傷を免れ、邪ならば、無事では済まぬというもの。
しかるに、いかに正しくとも、たぎり湯の中に素手を入れて平気なはずがない。今日としてはそれが道理であるが、太古の道理はまた別にあった。怖ろしいことである。
語法に関して、歌中、第三句冒頭の「
中古以降においては、助動詞「ゆ」は「る」「らる」に取って代わられたが、「にゆ」という言い方は、「にる」の自動詞として後の時代までずっと残ることになった。
ところで、「にゆ」という形が、上代以前の文献において認められた事例を私は知らない。上代に著された文献中の語を集めた、三省堂の『時代別 国語大辞典 上代編』の見出し語には「にゆ」の所載がない。
そして、主たる古語を網羅した、小学館の『古語大辞典』における「にゆ」の用例の出典にも、上代の文献は見られず、それよりも時代が下がった今昔物語(平安期)や宇治拾遺物語(鎌倉期)などとなっている。
上代の文献に記された「にゆ」の例は、私が調べた限り、どうも見当たらないのである。
なお、「にゆ」ではなく、他動詞「にる」の用例は、万葉集など上代の文献にも存在する。
そうであるならば、他動詞「にる」の未然形に、受身の助動詞「ゆ」が付いた形態も、上代において存在した可能性は十分にありうる。
以上のことを総合的に勘案し、上代以前においても「にゆ」という言い方は、おそらく存在したであろうと、私は推察する。この判断をもとに、この歌では「にゆ」を使用している。
また、「
一般に、上代以降の日本語では、活用語が体言に連なる場合は、終止形ではなく連体形をとる。
すなわち、「
例えば、「
これらはいずれも、常套句として慣用されるものであるが、「
さて、冒頭でも触れたように、
したがって、太古の風習を詠んだこの歌では、古法に
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