探湯



盟神探湯くかたち探湯瓮くかへの底のゆ石は取りかつましゞ罪あらなくに



◇短歌



 「盟神探湯くかたち」とは、律令時代より前の太古における裁判手法である。

 「探湯瓮くかへ」という釜(土器か?)に湯をたぎらせ、釜の底に小石或いは泥土を沈める。その小石や泥土を訴訟当事者に素手で拾わせ、正否を判別するものである。

 湯に手を入れた者が正しければ、神の加護により火傷を免れ、邪ならば、無事では済まぬというもの。

 しかるに、いかに正しくとも、たぎり湯の中に素手を入れて平気なはずがない。今日としてはそれが道理であるが、太古の道理はまた別にあった。怖ろしいことである。


 語法に関して、歌中、第三句冒頭の「ゆ」は、他動詞「にる(煮る)」の未然形「に」に受身の助動詞「ゆ」(上代以前に用いられた助動詞)が付いたものである。

 中古以降においては、助動詞「ゆ」は「る」「らる」に取って代わられたが、「にゆ」という言い方は、「にる」の自動詞として後の時代までずっと残ることになった。


 ところで、「にゆ」という形が、上代以前の文献において認められた事例を私は知らない。上代に著された文献中の語を集めた、三省堂の『時代別 国語大辞典 上代編』の見出し語には「にゆ」の所載がない。

 そして、主たる古語を網羅した、小学館の『古語大辞典』における「にゆ」の用例の出典にも、上代の文献は見られず、それよりも時代が下がった今昔物語(平安期)や宇治拾遺物語(鎌倉期)などとなっている。

 上代の文献に記された「にゆ」の例は、私が調べた限り、どうも見当たらないのである。

 なお、「にゆ」ではなく、他動詞「にる」の用例は、万葉集など上代の文献にも存在する。

 そうであるならば、他動詞「にる」の未然形に、受身の助動詞「ゆ」が付いた形態も、上代において存在した可能性は十分にありうる。


 以上のことを総合的に勘案し、上代以前においても「にゆ」という言い方は、おそらく存在したであろうと、私は推察する。この判断をもとに、この歌では「にゆ」を使用している。


 また、「ゆ石」という言い方は、活用語の終止形が体言に付いた形である。

 一般に、上代以降の日本語では、活用語が体言に連なる場合は、終止形ではなく連体形をとる。

 すなわち、「ゆ石」ではなく、「ゆる石」が、尋常な語法である。ところが、上代よりさらに前の太古においては、活用語の終止形に体言が直接連接する例があったらしい。

 例えば、「猪鹿しし(矢で射られた猪や鹿)」「うまし國(素晴らしい国)」などの表現である。

 これらはいずれも、常套句として慣用されるものであるが、「ゆ」も「うまし」も、体言を引き連れる連体形ではなく、終止形である。太古に行われていたとされる語法の残滓、すなわち、終止形が連体形の働きを為していた古い時代の実例が、当該慣用表現に見てとれるのである。


 さて、冒頭でも触れたように、盟神探湯くかたちが行われたのは、上代より前の時代、太古である。

 したがって、太古の風習を詠んだこの歌では、古法にならい、終止形を体言に連接させる語法として「ゆ石」という表現を行った。



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