第43話 ジャック・アイリッシュという男

 ジャック・アイリッシュのお屋敷は奇妙だった。


『シベル魔術団』団長にして、ギルドの最高責任者。そして国家魔術師。

 数々の肩書をもち、かつては勇者と旅をしたアイリッシュさんの邸宅は何ともこじんまりとしていた。

 小さな庭にはベンチが一つ、邸宅の入り口には季節の花が咲いている。

 花壇や鉢植えはとてもよく手入れされているようだが、どこか不自然に感じる。

 ここに咲いているのではなく、まるでここに咲かされているような。

 何かが不自然。だけれどそれは説明できないほどには自然だった。


 私とサガンは、その大して重くもなさそうな、ごく普通のドアをノックした。


 コンコンッ

 ・・・・・・返事はない。


 もう一度。


 コンコンコンッ

 ・・・・・・ガチャリ。


 やはり一般的な開放音をもって、その一般的なドアは開かれた。

 そこには一人のメイドが立っていた。そのメイドは丁寧な姿勢で私たちを迎えてくれた。

「ようこそいらっしゃいました。わたくしは当お屋敷のメイド、ピノでございます。お二人のことはギルドの従業員から聞いておりますわ」

 ピノと名乗る小柄で可愛らしいメイドは、軽く自己紹介をした後、私たち二人を室内に招いてくれた。


 室内はとても整頓されていた。


 それでいてなんとも庶民的。

 窓は鳥がぶつかりそうなほどに美しく磨かれ、床にはチリ一つない。

 適度に使い古された家具がこの部屋の人懐っこさを表現していた。

 恐らくはメイドのピノさんが一人で手入れをしているのだろう。

 そこはかとなくピノさんの趣味が反映されているような気がした。

 主人はそれを良しとしている。

 もしかすると主人とメイドは主従関係以上の繋がりを持っているのかもしれない。

 少し羨ましくなったが、そんな邪推は振り払った。


 短い廊下を歩いた先の部屋に通される。

 応接室などはない様で、案内されたソファは普段から部屋の主人が使っているものだろう。

 ソファに腰かけた私たちは、やはり居心地の悪い様子で運ばれた紅茶をいただいていた。



 二杯目の紅茶を飲み干すくらいには時間が経った頃、玄関先を歩く音が室内まで聞こえてくる。


 私たちもあんなに足音をさせていたのかしら。

 そんなことを思っていた時、玄関のドアが勢いよく開かれた。

 そしてそのまま大きな音を立てて閉まるドア。

 そのドアの閉まる衝撃が窓をカタカタと揺らす。

 ちょっと苦手かも・・・・・・私はそう思った。

 自然と眉を顰める私。

 隣のサガンは落ち着いた笑顔をしていた。


 ピノさんと主人が何かを話している。


 そしてズンズンと足音が近づいてくる。

 私たちはソファの上で自然と姿勢を正した。


 バンっ!

 部屋のドアがやはり激しく開け放たれた。


 勢いよく入ってきたのは、年齢にして30歳前後の男性だった。

「ようこそ! 俺がジャック・アイリッシュだ。 ジャックと呼んでくれ!」

 豪快な言いぶりに面食らった私たち。

 そして何より驚いたのはその若さだった。


「お初にお目にかかる。サガンだ! アイリッシュ卿。」

「ホ、ホノカと申します。突然訪ねて来て申し訳ありません。アイリッシュ卿」


 アイリッシュさんの表情が曇る。

「・・・・・・ジャックだ!」

 びくつく私。

「し、失礼しました、ジャックさん。私たち、リリアス師匠からジャックさんを訪ねるように言われてきたんです。」

「さんはいらないよ」

「で、でもいきなりの呼び捨ては・・・・・・」

「分かった! 今日のところはジャックさんで許してやろう。ところでリリアスの野郎はもう死んじまったのか?」

「・・・・・・はい。」

「そうかそうか。エルフのくせに情けねー奴だ。」

「リリアスさんは立派な方だった。」

 サガンから怒りの念が漏れる。

「ああ、分かってるさそんなことは。俺とあいつは昔っからの腐れ縁でな。よく喧嘩もしたもんだ。意見が合わねー。性格が根本的に違いすぎるんだよ。」

 それはなんとなく私にも想像できた。

 穏やかで控え目なリリアス師匠。

 横柄なジャックさん。

 ジャックさんが二人の仲を「友人」ではなく「腐れ縁」だと表現したところに二人の信頼や関係性が垣間見える。


「お嬢ちゃん。あんた、転生者だな?」

 えっ、どうしてそれを・・・

「あー、違ったか? 最近は見えづらくていけねえ」

 。まるで視力の話をしているかのような口ぶり。

「そうです。私は転生者。でもどうしてそれが分かったんですか?」

「やっぱりそうか。お嬢ちゃんからは転生者特有の魔力を感じるんだ。俺の知り合いににも一人居てな、いや、もう今は人じゃねえんだった」

「人じゃない・・・・・・。まさか」

「ああ、お嬢ちゃんたちが探している奴のことさ。驚いたかい?」

 立ち上がるサガン。

「ジャックさん!! そいつのことをもっと詳しく教えてくれ!!」

「おい少年。落ち着けよ。今からたっぷり教えてあげるんだからよ。だがいいか、俺が知ってるのはあいつが人だった頃の話だ。それに、人じゃなくなっちまったあいつのことは、正直よくわからねえ」


 人だった頃、そして人ではなくなった後、その間にはいったい何があるのだろうか。


 ピノさんがグラスを運んで主人の前に置いた。グラスの中から強いお酒の匂いが漂った。

 ジャックさんは礼も言わずにグラスを一気に空にした。

 ピノさんは事もなげにグラスを下げ、奥から酒瓶を持ち込み一度酌をした。そして酒瓶をトレイに乗せたまま入り口に立っている。


「いいか、お嬢ちゃんたち。今から俺が語ることはこの世界と他の世界の真理に関することだ。にわかには信じがたいこともあるだろうが、理解しようってのがそもそも無理な話だと思っていい。それだけ不可解だし、胸糞悪い話も混じっている。それでも聞くかい?」

 どんな話でも、受け止める構えはできていた。ここまで続けてきた旅の答え合わせでもするかのような気持ちになる。

「頼む、ジャックさん。俺の一族に関わることなんだ」

「少年。お前は竜族だな? そうか・・・・・・」

 人には呼び捨てを強要するのくせに、自分は名前さえ呼んではくれない。


 ジャックさんは再びグラスに口を付けると、大きく一度ため息をついた。

 甘いお酒の匂いが漂って消えた。



「100年前、俺たちは若すぎた」

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