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「帰りますよ! 付き合ってられません!」

「でも、ここまでやってるくらいだから、たぶん夜になったらおもてなし料理が出てくるぞ」

「でも、そのおもてなし料理って、あそこから受け取るんですよね?」


 指でさしたのは、戸の下に備わった引き戸。

 A4サイズくらいの隙間で、食器の受け渡しのためにあるようなスペースだった。


「夕飯のリクエストをするなら今だぞ? 好きな食べ物はあるか?」


 天狗さんがそわそわとスマートフォンを手にする。

 正直、呆れた。


「連絡するなら、鍵を開けるようにおばあさんを説得してくださいよ……」

「いっても無駄だと思うよ。あの人は、鏡さんに最高のおもてなしをしているつもりだから」


 最高のおもてなし――。

 ここにお客を閉じこめることが、ねえ……。

 ため息をついた。


「好きな食べ物なら、お肉です。兄が、お肉さえ食べておけば世界は平和になるっていってたので」

「肉を食べておけば世界が平和に――深いな」


 天狗さんが、息をのむようにうなずいた。

 ――深いのか?


「いいじゃないか。まだバイト中ということにしてゆっくりしていけばいいよ」

「これ、バイトなんですか?」

「午後四時半から勤務開始だろ? いまの鏡さんは、クライアントの関係者から過剰な接待を受けて、帰りたいのに帰れない従業員だ。通常業務をしていないからと、この時間を給料が出ないサービス残業にさせるのはブラック企業がすることで、おれの主義じゃないな」


 いいことをいっている気がするけど。

 従業員に優しいホワイト企業のような、この状況がそもそもブラックなような。


「それとも、今日はなにか予定があったか?」

「いいえ」


 サークルにも入っていないし、学校の授業は終わったし、バイトはここだけだ。

 大急ぎでやらなくちゃいけない課題もないし、明日は土曜日で授業もない。


「それに、鏡さんは一人暮らしだろう? 外食の許可を誰かにとる必要があるのか?」


「おれなら、実家住まいだから事前に家に連絡をいれるけど」と、天狗さんはいう。


「一人暮らしだし、もっと自由でいいんじゃないか? 突然の外泊も自由なんだろう? おれの友達も、その場の流れで朝まで遊んでいて、親に知らせずに自由にできてうらやましいと思っていたよ」

「それは、そうですけど――」


 そうだよね、一人暮らしって、自由なんだよね。

 実家住まいだったら、夜に娘が帰ってこなかったら心配させてしまうから、早めに電話するよね。誰と、ここに行きますって。

 それでも、結局いい顔はされないのは目に見える。

「もう……早く帰ってきなさいよ?」って不機嫌に電話を切られて、もしも朝帰りなんてしようものなら、小言をいわれるにきまってる。


 一人暮らしだったら、知らせずにいれば、朝帰りも外泊もバレない。

 自由だよ。

 けどね――。

 天狗さんはほくほくと笑っている。


「おれもべつに、自分の家だし、ここで泊まることになっても平気だよ。布団も押し入れに二人分入ってるし。一度ここに泊まってみたかったんだ」

「ちょっと待ってください」


 ここに泊まる?

 天狗さんと二人で?


 天狗さんは、お客さんがふしぎな部屋に泊まっていくのに、わくわくしているように見える。

 へんな意味がないのは見ていてわかるんだけど、この人、やっぱりどこか抜けてるんだよ。

 天然だ!


「あの、さっきからいおうと思ってたんですけど、年頃の女の子を強制的に自宅の一室に閉じこめてるんですよ? 無理やりご子息と、二人っきりで泊めようとしてるんですよ? いくらおもてなしでも、おかしいですよ!」

「えっ? あ――」


 天狗さんの顔が真顔に戻る。

 やっと気づいたようだ。

 遅いよ!


「それは……よくないな。鏡さん、もうしわけなかった」


 見る見るうちに、天狗さんの顔が赤くなっていく。

 すっかり赤面して、恥ずかしそうに口もとを手で隠して、目を逸らして、うつむいた。


 ――乙女かよ。


 恥ずかしがるのはこっちのはずなんだよ。

 なにより、わたしよりも可愛らしく恥じらわないでほしい。


 わたしは、盛大にため息をついた。


「すみません、いってみたかっただけです」


 二人っきりで男女が泊まるっていう事実だけを考えれば、おかしいんだけど。

 天狗さんも、天狗さんのおばあさんも、一切そんなふうにはわたしのことを見ていないんだろうなぁ。

 ありがたい神様を招く鏡餅とか、幸運を招くザシキワラシとか――。

 いや、最悪、金運アップのお守りグッズ程度に見られてるかもしれない。


 女の子扱いされて、天狗さんと妙な雰囲気になるよりは、いまのほうがいいんだけど。

 いいんだけど!





 閉じこめられてから、しばらく経過。

 ふいに大きな音が鳴る。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……。

 柱時計だった。


 古いものを集めたギャラリーのような部屋の隅に、これまた古い柱時計があって、時刻を指していた。

 午後六時だ。


「それにしても、時間がとまったみたいな部屋ですね。柱時計に、古い箪笥に、むかしの雑貨屋さんみたいな置き物に――レトロなアミューズメント施設みたいな」

「そうだ、これをやってみないか?」


 そういって天狗さんが手に取ったのは、おばあさんお手製の紙包み。

「おくつろぎセット① 謎解き! 脱出できるかな? 宝探し体験」だ。


「天狗さん、遊んでる場合じゃ――」

「いや、宝がなになのかなと――あと、『脱出』って書いてあるのが気になって。この部屋からの脱出方法じゃないのかな」

「えっ?」

「あの隙間が気になっているんだ」


 天狗さんの目が向いたのは、木戸の中央に取り付けられた小さな金具。

 金具は廊下側と部屋の中をつないで貫通していて、棒のようなものがあれば、金具の内側の隙間をくぐらせて、木戸の向こう側に飛びださせることができそうだ。


「でも、ごはんの搬入口よりも狭いですよ。通れるのはWi-Fiくらいですって」

「あの場所だと、おそらく鍵に近いと思うんだ。鍵といっても、この木戸についているのは、かんぬきっていうんだっけ、棒を渡して、戸を開かないようにする程度の簡単な構造のもので、しかも、部材の端に輪っかがついていたはずなんだ。ちょうどその隙間の先あたりだよ。つまり――」


 木戸に近づいて、穴の奥を覗き込みながら、天狗さんはうなずいた。


「この穴は、内側からかんぬきを外す道具を使うために設けられたものじゃないのかな。つまり、その棒があれば――」

「あっ! かんぬきを内側から操作して、この部屋から脱出できるっていうことですね?」

「そう。この宝探しで見つかるお宝が、棒の在り処を示していたらいいなぁと。ひとまず、開けてみようか」


 白い和紙でくるまれた「おくつろぎセット①」の包みをあけると、厚紙があった。

 かるたの札のようなしっかりした厚みのある紙で、色紙に近い。

 そこにも、達筆でこうあった。


  脱出のヒント もっとも大切なものの背後を探せ

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