第9話

 私は今日、人生で初めての退職届を提出した。朝、自分の上司の机まで行き、白い袋に包まれた辞意を丁寧に渡したのだ。


 今まで、あんなに辛く苦しかった心は、渡した瞬間、晴れ晴れと軽くなったのを覚えている。




 ああ、やっと解放されるのだ。




 そう、思った。




 誰かが引き留めに来ることも、私にお世辞で寂しいと言ってくれる人も、この会社にはいないだろう。だから、未練などないし、迷いもない。辞めまいと苦しみ藻掻いた心は、やっと楽になった気がする。




 もう、今月でこの濁った普通の世界とはサヨナラするのだ。




 そして、これからは、麗の家に帰るのだ。こんな私を、優しく認めてくれる、大好きな麗のところに。




 ずっと、社会の黒い海から抜け出して、南国の、透き通るエメラルドブルーへ飛び込みたかった。私がいても、良い世界に、私は飛び出したかったのだ。




 それは難しいようで簡単なことだったはずだ。三年は続けなければいけないだとか、良い会社だからとか、誰かが決めてしまった当たり前を信じてしまって、難しくしていただけ。


 三年続けなくたって、きっと飛び込めた。良い会社だからなんて、実際に中身を見たわけでもない癖に、決めつけ押し込めているだけだ。


 やってみないと分からないけれど。まだ、自信はないけれど。私は、麗と会って、やっとできることがあるように思えてきたのだ。


 この会社で、こんなにボロボロになっても、希望が先にあると、進めると思えた。


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