【5-3】それぞれの悩み

 朝霧あさぎりに戻ってから数日が経った。相変わらずキサラギは寝たきりだったが、顔色は少しずつ良くはなっていた。

 そんなキサラギの側に出来る限りマコトは居ようとしたが、昨晩からはそれも許されずに、ずっと静かに女中の世話になっていた。

 そんなある日の昼下がり。キサラギは天井を眺めていると、部屋に小さな影が差し込んだ。


「……」


 気配に気づいたキサラギはそちらを向く。そこにいたのは、不機嫌そうな表情を浮かべた一人の少年だった。

 最初は上層で会ったあの仮面を付けた少年だとキサラギは思ったが、その少年よりも幼くそして何よりも自分に似た顔立ちで、赤い着物の袖を揺らしながら歩み寄る。


「……どうした?」


 声を掛けると少年は見下ろしながら「ずるい」と呟く。その言葉の意味にキサラギはよく分からず固まると、少年は小さな手を強く握りしめて、より大きな声で「ずるい」と言った。


「皆、お前の事ばっかり見てて、オレの事なんか見てくれない……!」

「……お前、は」

「っ、オレは、お前の事、兄さんなんて認めないからな‼︎」


 そう叫んだ後、少年は逃げる様に部屋を飛び出す。その時、部屋に入ってこようとした雪知ゆきちとぶつかりかけ、雪知が走り去る少年に向けて「ハレ様‼︎」と呼ぶが少年は去ってしまった様だ。

 ぽかんとしてキサラギは雪知を見ると、雪知は頭を抱える。そんな雪知を見てキサラギは「知り合いか?」と思わず訊ねると、雪知は「ああ」と呟く。


「知り合いというよりは……俺の今の主だ。そして、お前の弟でもある」

「弟? 俺の?」

「ああ」


 だから自分に似ていたのか。とキサラギは思いつつも、雪知の表情からして何か事情があるのは察した。


「ハレ様は、お前が居なくなった後に生まれたお方だ。そして、お前の代わりとして次期当主となる様に育てられた」

「俺の、代わりに……か」


 そこまで聞いてキサラギは察する。まだ幼いながらも、相当苦労している様だ。と。

 傷を庇いながらも雪知に手を貸してもらい何とか起き上がる。


「所で、昨晩話があるって言っていたが……」

「あ、ああ」

「もしかして、朝霧家の次期当主についてか」

「……」


 雪知は何も言わなかった。だが、気まずい表情を浮かべている。

 キサラギはそれを確認した後、はっきりと「断る」と言った。それに対して雪知はまるで最初から分かっていたかのように「だろうな」と頷いた。


「十年も行方知らずになった奴が突然戻ってきて、しかも記憶がないと言う。そんな状態で次期当主に戻すのは正直な。……だが」

「あのジジイか?」

「ジジイ言うな。一応言っておくが、あの方はお前の父でもあるんだぞ」

「父……な」


 センテンを父だと言われても、キサラギにとっては納得が出来なかった。今のキサラギにとって父親像とは、あの鬼村の頭領だったからだ。

 

「まあ、とにかくセンテン様がそうお望みなんだ」

「……」

「気持ちは分かる。が、今はとにかく怪我を治す事に集中してくれ」 


 眉間に皺を寄せるキサラギに、雪知は「気にするな」と言いたげに肩に手を置く。

 だがキサラギは表情を変えず低い声で言った。


「悠長に寝ている暇はない。俺にはやる事があるんだ……出来るだけ早く戻りたい」

「……上層か?」

「ああ」


 雪知の言葉にキサラギは頷く。

 ちなみに雪知はまだライオネルとフェンリルの事を話してはいなかったが、キサラギとマコトの状況を二人には話していた。

 なるべく早く会わせると雪知は言ったものの、屋敷内は依然混乱しており中々外部の者が入れる状況ではない。


「(朝霧家としてはこのまま居させたいという感じだろうが……彼はもう)」


 屋敷の者でも最も多く接してきただけに、雪知はこの数日で察してしまった。

 キサラギはもうチハルじゃない。記憶を失ったきっかけがどうであれこんなに時間が経ってしまった以上、上層に居場所が出来てしまってもおかしくはない。

 目を閉じた後、声を掛けられている事に気付いた雪知は顔を上げる。


「ど、どうした?」

「いや、何でもない。ただ、あまり思い詰めるなよ」

「……あ、ああ」


 キサラギの言葉に頷くと、雪知は目を逸らした。



※※※



「熱はだいぶ下がったな」

「……まあ、一応は」


 フェンリルの手がライオネルの額から離れると、子ども扱いされている様で不服そうに口を尖らせながらライオネルは呟く。

 下層かそうに来て倒れた次の日、ライオネルは傷と慣れない環境からか高熱を出していた。そんな熱も数日経てば平熱に戻っていたが、やはり気怠そうだった。

 

「こんな所で倒れている場合じゃないのに、まさか高熱出すなんて……」

「あの怪我で川に投げ出されたりもしたんだ。無理もない」

「傷はすぐに治るし、普通ならば十徹しても……」

「……十徹?」


 ライオネルから飛び出したとんでもない言葉に、フェンリルはため息をついた。


「お前な……いくら、治癒力が高いからって、十徹は身体壊すだろ」

「えっ……あー、そう、か。壊すんだ。……そうだ。そうだった」


 ライオネルは忘れていたかの様に驚いた表情で呟くと、フェンリルは呆然とする。ライオネルはたまに常識が抜けているというか、ズレているらしい。

 

「さっきの話を聞いて改めて思うんだが……なんで、お前はそんなに生き急いでるんだ。たまにでいいから自分を大切にしてやれよ」

「自分を……大切に、か」


 静かに言った後、ライオネルは布団を握りしめる。その表情はしんみりとしていて一瞬だけ泣きそうな顔になると、目を閉じて「分からない」と言った。


「アユ達からもたまに言われるんだけど、自分をどうやって大切にすればいいのか、分からないや」

「……魔術師なのに、分からないのか?」

「ははっ、意外ときつい事言うな。……そうだよ。分からないよ。そう難しいことを言っている訳じゃないのは分かってるんだけど……」


 色違いのライオネルの目から光が消える。

 桜宮おうみやの魔術師、オアシスの二柱、三大魔術師……。様々な肩書きを持つライオネルは、それに相応しく実力と経験、そして頼れる性格の持ち主だとフェンリルは思っていた。

 実際、そう思っているのはフェンリルに限らず、様々な人が思い描いている人物像そのままでライオネルは振る舞っているのだが、ここに来てからはそれが仮面じゃないかとフェンリルは感じ始めていた。


「(凄いやつなんだが……何か、見ていてきつくなるんだよな)」


 その片鱗は普段からも覗かせてはいたが、ここに来てからはさらにはっきりとその正体を見せてきていた。

 自己犠牲の塊。はたまた、己自身に対して恨みでも感じているのかの様に、ライオネルは自分が傷付くことを厭わない感じがした。

 だが流石にキサラギとの一件については気にしていたが、それでも今まで何となく感じていたその違和感に名前がつき始めると、フェンリルは居た堪れない気持ちになった。


「ライオネル……」


 フェンリルがそう口にした時、障子が左右に開き二人はそれぞれ反応する。そこにいたのは雪知ではなく、スターチスだった。


「何故か下層に強い反応があるから来てみれば……」

「お前は……確か」

「スターチス。時と星を司る神であり、下層の創造神……って、知らないの?」

「あー」


 スターチスが自己紹介すると、フェンリルが思い出したかの様に頷きながら納得する。一方でライオネルは特に驚かずにじっとスターチスを見つめる。

 スターチスはライオネルの様子がいつもとおかしい事に気がついたらしく、歩み寄るとしゃがみ込んでライオネルの目の前で手を振った。

 

「何、してるの」

「お。一応反応はしたな。いやー、いつもと様子が違うから」

「ああ……」


 そう言ってライオネルは視線を逸らす。スターチスは二人を見た後、頭を掻きながら「とりあえず何もなくて良かったよ」と言ってその場に座る。


「ある程度の上位の神になると、俺の許可なく下層に入ったら力の制御が掛かる様にはなってるんだけど……それは二人とも受けてるよな?」

「力の制御? あっ、あれか」

「フェンリルは気付いてるっぽいけど、お前は?」

「……かなり怠かった」

「やっぱりね」


 さもありなんといった様子でスターチスは言う。するとそこでフェンリルはある事が引っかかった。


「神の制御がライオネルに何故掛かってるんだ?」

「え、知らなかった? いや、知らない方が当然か」

「?」

「……どういう事?」


 フェンリルはともかく、当の本人であるライオネルも疑問符を浮かべる。その反応も、スターチスの言う「知らない方が当然」と言う理由の一つであった。

 スターチスは二人の顔を見た後話そうか迷ったが、雪知の気配を感じて立ち上がると縁側に飛び出す。


「まあ、話は後々。詳しいことは夜にでも話すさ」

「お、おい」

「とりあえず、お前達はその場で大人しくしといてよ。いくら俺の作った世界だからって、面倒事にはしたくないからさ」


「じゃあ」と笑みを浮かべて手を小さく上げた後、スターチスは光に包まれて消える。

 二人はぽかんとしていると、雪知の足音に気が付き廊下の方を見る。


「? 今、誰か来ていたか?」

「……黒猫が来てたんだよ。すぐに行っちゃったけど」

「(息をする様に嘘をついた)」


 ライオネルの言葉に雪知は特に疑問もなく受け入れるが、側にいた小さな姿が声を上げる。


「雪知! あの者頭に獣の耳が生えている!」

「ハレ様、人を指差してはいけません」


 フェンリルを見て興奮するハレを宥めながら、雪知は申し訳なさそうに頭を下げる。逆に今までツッコまれなかった方がおかしかった気がした。

 フェンリルは笑って過ごしたが、ライオネルはハレを見て驚いていた。


「キサラギに、似てる」

「え? ……ああ」


「確かに」フェンリルがそう言うと、ハレの表情が曇り始める。そして雪知の手を握りしめると、絞り出す様に「オレはチハル兄さんとは違う」と言った。

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