【4-3】それぞれの梅雨明け
いつもと違う一週間を過ごしたある日、外は再び嵐と化していた。きっと梅雨明けが近いのだろう。
窓から時折差し込む眩い光が暗い部屋を照らし、激しい雨音も合わさって騒騒しい。
この雷雨が過ぎたらフェンリルは旅に出る為、荷物をまとめていた。
すると突然の爆音と共に振動が伝わる。どうやら近場に落ちたらしい。
尻尾を逆立てながら無意識に押さえた耳から手を離した後、ふと気配を感じて立ち上がる。
「(なんだ?)」
妙な胸騒ぎがした。転がったナイフや食料そのままに、外に駆け出すと家の目の前に見慣れた姿が倒れていた。
「っ、ルディ‼︎」
走り寄ると辺りに焦げた匂いと共に、倒れた木々が燻っていた。フェンリルの声に反応するように、ルディは顔を少しだけ上げると小さな声で「すまない」と謝る。
「何があった。誰に……‼︎」
「以前、来ていたあのヴェルダの奴だ……。あの男、シルヴィアを狙って、きて……」
傷だらけの顔を歪ませて、「私がもっと強ければ」と後悔を口にする。
フェンリルは目を見開いた後、冷静を装うように「そうか」と言うと、ルディの頭を撫でる。
先程の雷からして、きっとまだそう遠くには行っていないはず。とはいえ傷だらけのルディを一人残すわけにもいかずフェンリルはルディを抱き抱えた後、麓の村を目指す。
雷と雨は相変わらず酷いまま。ひたすらに山を降りている中、フェンリルの脳裏ではどうしてもトトの事を思い出してしまっていた。
間に合って欲しいという願いと、助けられなかったらどうしようという不安。それがごちゃごちゃとして足をより急がせると、意識朦朧としていたルディが「フェンリル」と掠れた声で名前を呼ぶ。
足は止めなかったがフェンリルは「どうした」と言うと、「置いていけ」と言われ思わず「ダメだ」と声を荒らげる。
「あの子が何をされるか分からない。だから、早く、私を、置いて……」
「それでもダメだ!」
頑なにルディを手放さずにいると、強い電力を感じてルディを落とす。尻餅をついた後、ルディはフェンリルを睨みつけるように見上げながら「行け‼︎」と叫ぶ。
「私は半神だ! しばらくすれば傷も塞がる! けど、あの子は神の血なんてながれていない、ただの半獣人の娘だ……!」
護身程度に魔術を身につけているとはいえ、あのヴェルダに拐われてしまった以上無事ではすまないだろう。何よりもその事を一番実感しているのは、フェンリル本人だ。
だがフェンリルは同時に目の前の傷だらけの妹も心配だった。半神だから大丈夫? そんな訳がない。下手をすれば命を落とす事だってあるのに。
二人揃って雨で濡れていると、ルディは側にあった木の幹に手をついて立ち上がると「早く行ってくれ」と言う。
「だが……」
「多少動けるまでには回復した。それに、ここまで来れば麓の村も近い。……だから、頼む。シルヴィアを」
手を握りしめ、悔しげに目を閉じる。ルディもまた、トトのあの日の事を思い出していた。
今日みたいな荒れた天候の中でトトも連れ去られた。散々探し回った挙句、見つかったのはここから遠く離れた龍の滝のそば。どこからか逃げ出したようだが、胸元に致命傷を負っており既に事切れていた。
連れ去られた時そこにはトト以外誰も居らず、あの時自分が側にいたらとフェンリルは何度も思った事がある。
同時にルディもまたそう悔やむフェンリルを側で見ていたので、今回の事に関してはかなり堪えた。
「……っ、ルディ」
ルディの気持ちを汲み取ると、「すまない」と謝って走っていく。
残されたルディはその場に崩れるように座り込むと、「頼む」と呟いて意識を手放した。
フェンリルを行かせたいが為に精一杯強がったが、怪我は依然として治っていない。
木の幹にもたれかかり雨で体温を奪われていると、ルディに影が差し込んだ。
※※※
場所は変わって
まだ小雨が降り続く中、キサラギ達は荷物を持って桜宮の屋敷の門にいた。
「雨が止んでからでもいいのに」
そうライオネルが言うが、キサラギはそれでも早く行きたい理由があった。
「一日でも早く行かねえと、また旅でいなくなるだろ」
「まあそりゃあね」
「でも安心して。師匠が事前に連絡してるから」
「連絡?」
フィルが指差す方にキサラギが向くと、遠くで道具を耳に当てながら連絡するタルタがいた。
まだ
魔力を消費して通信できるのだが、魔力がない場合は魔石でも代用できるらしい。
「麓の村に知り合いがいるから連絡するって言ってたんだけど……」
背中を向けたまま動じないタルタに、さすがのフィルも首を傾げると「師匠ー!」と呼ぶ。
フィルの声にタルタは慌てて振り向くと、笑って「もう行くのかい?」という。ふと、その様子にキサラギは何か引っかかった。
「……何かあったのか?」
そう訊ねると、笑みを浮かべていたタルタはハッとした後眉を下げる。やはり何かあったようだ。
「連絡が取れないんだよ」
「連絡が取れない? 留守なんじゃないの?」
「それが、半日以上ずっと出ないんだ」
「……急いだほうが良いかもな」
キサラギがそう言うとタルタは頷く。だが急ぐにしてもここから
「馬や船を用意しようか?」とライオネルは言おうとしたが、その前にタルタが「僕が行こうか」という。それを聞いて、ライオネルは「ああ」と納得する様に頷いた。
「それが良いかも。でも重量的に行ける?」
「そうだね。三人が限度かな……。でも、船とかよりも早く着く」
天候が少し不安ではあるが、時間を考えたら迷っている暇はなかった。
キサラギは腕を組んで考えた後、カイルとレンにはここで待っている様に言うと、二人はそれぞれ頷いた。
「マコトとフィルは一緒に行くぞ」
「あ、ああ……だが一体どうやって」
疑問符を浮かべるマコトに、フィルは「まあ見ててよ」と笑う。タルタは門から離れ広い場所に向かうと、白い光に包まれる。そしてそのまま姿形を変えて、現れたのは白いドラゴンだった。
以前からそんな力を持っている事を知っていた、ライオネルやフィルは特に驚きもしなかったが、知らなかったキサラギ達は驚きを露わにする。
「あれは魔術なのか?」
「いや、竜人の力だよ」
「竜人だと」
人間ではなかったのか。とその事にもびっくりしつつも、「背中に乗って」とタルタに言われてキサラギとマコト、フィルが行く。
フィルは慣れたようにタルタの背中に乗ると、戸惑うマコトに手を伸ばす。
「マコトちゃん、引っ張るから手を伸ばして」
「こ、こうか?」
「そうそう」
マコトの手をフィルが掴み、下からキサラギがマコトを持ち上げると同時にフィルが引っ張り上げる。
マコトが背中に乗った事を確認した後、キサラギはレンとカイルを見て、大きな声で言う。
「何かあったら連絡する。それまで待っててくれ」
「りょーかい! 気をつけてね!」
「いってらっしゃい!」
門の所で二人が大きく手を振る様子に薄らと笑った後、キサラギもタルタの背中に乗る。
背中に生えた巨大な翼が大きく揺れる。「ちゃんと掴まっててね」と長い首をキサラギ達に向けて言うと、助走もなしに翼だけで空中に浮かぶ。そしてそのまま空を走る様に上昇した。
桜宮の街が徐々に雨雲によって隠れて小さくなっていく。
キサラギは前にいるマコトが落ちない様に腕を腹に回して、しっかりとタルタにしがみついていると、急に現れた強い光に目が眩む。少しして光に慣れた視界には、雲の海と青空が広がっていた。
「わ、ぁ……‼︎」
マコトは思わず声を漏らすと周囲を見渡す。酸素が少ないのか息苦しく感じつつも、見た事のない景色にキサラギも見惚れてしまう。
「すごいでしょ。俺も好きなんだ! ここの景色!」
フィルが興奮しながら後ろにいた二人に声を掛ける。時間も忘れてしまうくらいに、青い世界をただ静かに見つめながら風を感じ続ける。
見上げれば太陽が少しだけ近く感じた。
「……」
昔、誰かに「空を見上げろ」と言われた事がある。その話の前後はもやもやとして覚えてはいないが、少なくともそれだけ覚えているという事は、きっと大事な事だったのだろう。
空を見上げたら何か見つかるのだろうか。キサラギはその事を今更ながら、謎に感じているとタルタが「もうすぐ降下するよ」と言う。再度マコトに回していた腕に力を込めると、ガクンと下がっていく。
真っ白な雲を突き抜け降りた先に広がっていたのは、草原だった。遠くには神獣山らしき高い山も見える。
「……あれは」
キサラギが睨むその方向に、タルタも「何かあるね」と警戒する。
他の雲に比べて明らかに黒く厚く、目立ったその雲に向かってタルタはスピードを上げて飛ぶと、ゴロゴロと雷鳴が聞こえ始めた。
「……近場に降りるね」
申し訳なさそうに言いながら、山がだいぶ近くなった所で地面に降り立つ。
先程よりも草木の少ない場所だったが、山を見たキサラギは満足そうに「ありがとな」とタルタに礼を言う。
「それで、フィル。後は分かるか?」
「うん! じゃあ、師匠」
「ああ」
頷くと、山とは別の方向を向いて「僕はあっちに行くから」と言い残して飛び去っていく。
「あっちには何があるんだ?」
「麓の村だよ。多分知り合いが心配なんだろうね。ま、僕達もだけど」
生温かい風が吹き荒れるのも厭わず、フィルは神獣山に向けて走り出す。それに続く様にキサラギとマコトも駆け出した。
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