【4-2】妹と少女

 フェンリルとルディは異母兄妹だったが、つい数年前までは互いの顔すら知らなかった。

 だが、どうやらトトの姉とは知り合いだったようで、それを通じて二人は出会った。


「最初フェンリルは半信半疑だったが、何とかして妹だって信じ込ませた」

「な、何とかって……」


 食材を切りながら尻尾を揺らしつつシルヴィアは思わず苦笑いすると、背後で「かなり強引だったな」とフェンリルが言う。


「俺は兄弟の全員の顔は知らねえが、ルディ曰く『兄弟は皆紅い石を持ってる』って言うもんだから信じるしかねえよな」


 そう言って、首に下げられた紅い石のペンダントを持ち上げる。

 飾りも何もなく楕円状の石だが、これと同じものをルディも持っていた。


「(……てっきり母さんの形見だと思ったんだが)」


 口には出さなかったがフェンリルは寂しげに石を見つめていると、いい香りが二人の方から漂ってくる。

 料理作りに来たついでにルディが神獣山しんじゅうざんの麓の村で収集した情報を話してくれたが、やはりというか自分の考えていた通りトトを襲った犯人はヴェルダにいる可能性が高い様だ。


「風の便りじゃついこの間桜宮おうみやが襲撃されたらしいな。流浪の旅団が狙われたらしいが、ヴェルダは一体何を……」

「……さあな」


 先程のグレンの言葉を思い出しながらフェンリルは紅い石を手放す。

 流浪の旅団にはフェンリルは勿論、ルディもお世話になった身だ。心配になった。

 すると、目の前のテーブルに野菜たっぷりのトマトスープと柔らかそうなパン、そして鮮やかなサラダなどが置かれる。かなり豪華だった。


「お、美味そうだな」

「本当ならばここにガチョウの丸焼きも出したかったんだがな」

「あー……」


 服の隙間から見える包帯を見て、ルディは「無理するなよ」と言う。

 フェンリルは服の上から左肩を撫でながら「すまん」と謝った。毎年ガチョウやらウサギやらを狩って出したりするのだが、その怪我じゃ今からは難しそうだ。

 

「数日経てば治るだろうし、その時に獲ってくる」

「ああよろしくな。……あ、そうだシルヴィア」

「は、はい!」


 名前を呼ばれると思っていなかったのか、シルヴィアは大きく肩を跳ね上げる。

 いつもの事なのでルディは特に気にもせずに、朝作ってきたベリーパイの事を言うと、シルヴィアは急いでバスケットを持ってきた。


「ベリーパイ、作ってきたのか?」

「そう。前に好きだって言ってただろう?」

「あ、ああ……」


 とは言っても、作ったのはシルヴィアだが。そうルディは笑った後正面の席に座る。

 香辛料などの匂いに混ざる様に、ふわりと甘い香りがした。

 料理のそばに置かれたバスケット。その中には沢山のベリーパイが入っていた。


「おお。すげえ美味そうだな!」

「シルヴィア、すごい料理が上手なんだよ。シチューも美味しいから今度作ってもらいなよ」

「る、ルディさん……」


 シルヴィアは恥ずかしそうにする。その前でフェンリルはベリーパイを一つ手にすると口にする。

 サクサクとした生地に甘いベリージャムがとても良く合わさって、美味しかった。

 フェンリルの表情にシルヴィアは少しホッとした後、ルディの隣の椅子に座った。


「これ、エレインさんに教えてもらったのか」

「は、はい。昔お母様がよく作っていたからと、レシピを貰って」

「へえ……」


 エレインというのはトトの姉である。トトとエレインは神獣山から少し南にあるラピスラの出身だった。

 活火山のそばにある国で、他の国には珍しく自然に出来た洞窟などを利用して人々が居住している。

 勿論、他の国同様に建物も建ってはいるが、火山灰などの問題もあって大体の人は洞窟に暮らしているらしい。

 以前トトが、他国から輸入してきたベリーをジャムにして母がパイを作ってくれたと嬉しげに話していた事を思い出しながらフェンリルは最後の一欠片を飲み込んだ後、次のパイに手を伸ばす。


「良かったなシルヴィア。お気に召した様だ」

「は、はい……良かった、です」

「‼︎」


 シルヴィアの笑みにどきりとする。手が止まり、固まるフェンリルにルディはまたかと思いつつ、スープを口にする。

 シルヴィアはフェンリルの様子に気付いていないようで、「いただきます」と可愛く手を合わせた後、パンを手に取った。


「スープ冷めるぞ」

「あ、ああ! そうだな!」


 ルディに指摘され、慌ててパイを手元に置くとスープを口にする。

 いけないいけない。何を考えているんだ俺は。とフェンリルは必死に頭の中を整理しながら、ふと過ぎるトトの顔に冷静さを取り戻していく。

 

「(……あの人を守れなかった俺が、こんな心抱いたらいけない)」


 それに仇はまだ討てていない。顔すらも見られていないというのに、恋に現を逃すわけにはいかない。

 食べてしまって息を吐いた後、せめてと思って小さく笑って「ごちそうさま」と二人にいう。

 シルヴィアは頷いて笑い返すが、ふとフェンリルの頭上の耳を見て気付いた。


「(フェンリルさん……?)」


 傷が痛むのだろうか。それとも料理が口に合わなかったのだろうか。

 気にかけるシルヴィアに、ルディがそっと手を握る。


「ルディさん……」

「すまない。しばらくそっとしておいてやってくれ」

「……分かり、ました」


 しゅんとするシルヴィアに、ルディは励ますように「ありがとう」と言った。


「久々にフェンリルの笑っている顔が見られた。シルヴィアのおかげだな」

「私の……?」

「ああ」


 今はまだトトの事でいっぱいの様だが、あの反応を見るときっと何かしらフェンリルの中で変化があったのだろう。

 数日前の話では確か一週間ぐらいはこの山にいるつもりらしい。トトの命日もだが、梅雨に旅はしにくいのもある。


「(だが、先程現れたヴェルダの奴が気になるな……)」


 何もなければいいが。グレンの事を気にしつつもルディは腕を組むと、キッチンのすぐそばにある玄関の扉を見つめた。



※※※



 その日を境に、ルディとシルヴィアは遊びに来る様になった。最初は麓の村から通っていたが、流石に三日目ともなると大変だろうと思い、家に泊まらせる事にした。


「じゃあ遠慮なく」


 ルディはそう言って、かつてトトが使っていた部屋でシルヴィアと寝泊まりしている。

 去年までは数日に一回来るかどうかだったのに、一体どうしたのだろうか。とフェンリルは疑問に思いつつ、二人の楽しげな姿に自然と微笑んでしまう。


「(ああ、懐かしいな)」


 少し前までは自分もそこにいた。だが、今は遠く感じてしまう。手を伸ばせばすぐに届くというのに。そう思ってしまうのも、きっと自ら遠ざけているからだろうと分かってはいた。

 自分にその資格はない。だから本当はこんな気持ちも持ってはいけないと自分を戒めながらも、視界に映る【青】にフェンリルはどうしても惹いてしまう。


「……さん、フェン……さ」

「……ん?」


 頬杖を止め顔を上げると、シルヴィアが声を掛けていた。どうやらルディが出かけるらしく、シルヴィアだけが家に残るらしい。


「シルヴィアの事任せた」

「あ、ああ。気をつけろよ」

「お前もな」


 大きな袋を肩に担ぎルディは麓の村へ向かう。残されたシルヴィアは、リビングにある火のない暖炉の前で本を読んでいた。

 静かな空間に響く紙を捲る音にフェンリルは耳を傾ける。そうしている内に、いつの間にか彼女の後ろに立っておりそっと本を覗いた。


「(何読んでいるんだろう)」


 気配に気づいたのか、シルヴィアは振り向いて肩を跳ね上げた後、戸惑った表情で見上げる。

 その様子に申し訳なく思いながら「何読んでるんだ?」と訊ねると、本の表紙を見せてくれた。


「黒猫と月の王子?」

「はい。トトさんの部屋にあったので……」

「ああ、そういえばあったような」


 フェンリルはあまり本を読まない為、トトの部屋にどんな本があるのかは知らなかったが、この本の事は薄らと覚えていた。


「確か、流浪の旅団でやってたな」


 黒猫は実は魔術師で、月の王子を助けるという話だった筈だ。あの話を元にした劇が各地で有名になったと、トトから聞いた事があった。

 そういえばあの時トトが何か言っていなかっただろうか? フェンリルは思い出す為に本を眺めていると、その言葉はすぐに思い出された。


『まるでオアシスの魔術師とフェンリルみたい』


 ああ、そうだ。それだ。自分で納得しながらも、あの時同様に自分が月の王子に似ているという事に違和感を感じるが。

 そんな事を思いながら、挿絵の儚げな月の王子と睨めっこしていると、「フェンリルさん」と再び声を掛けられて、シルヴィアを見る。


「何か、ありました?」

「……あ、ああ。何でもない。すまないな、邪魔して」


 謝って小さく笑った後、フェンリルは何気なくシルヴィアの頭を撫でる。その直後、彼はハッとなりもう一度謝る。

 シルヴィアはフェンリルが触れた辺りを自ら触れながら、ほんのり顔を赤らめると小さな声で「大丈夫です」と呟いた。

 

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