【2-6】決着と二人
ぽたぽたと前髪から水が滴る。
キサラギは息を吐いて、濡れた前髪をかき上げた後、「目が覚めた」と呟くと凍った足元から抜け出す。水を被った事で氷に亀裂が入ったらしい。
終わらせるつもりが逆に逃してしまい、ライオネルは「あちゃあ」とわざとらしく笑うが、実はこれも計算の内であった。
「っ……⁉︎」
濡れた事で、滑りやすくなり走りづらい。危うく膝を床に着きそうになりながらも何とかバランスをとると、ライオネルを睨む。
勝敗は確か膝をついたら負けだったはず。成る程、滑らせて膝をつかせるつもりらしい。
「(だったら)」
濡れた上着や足袋などを脱ぎ、隅に投げ置くとライオネルに走っていく。
「(まだ正面から来るか)」
なるべく穏便に済ませたい所だがと思いつつ、短剣を鞘にしまって突進してきたキサラギをがっしりと押さえる。
その様子を後方から見ていたウォレスは、魔弾で穴が空いた壁に板を張って修理しながら「次は相撲かよ」と静かにツッコんだ。
互いに押し合い、僅かにライオネルが押されがちになっていると「ライ兄様頑張れー!」とレンの声が聞こえる。
それにつられるように、周りの兵士や使用人からも歓声が上がる。
それに驚く二人だったが、それでやる気がさらに出たのかライオネルの力が強まる。
「っ、この……‼︎」
押されはじめたキサラギは袖を掴み足を引っ掛けると、そのままライオネルをひっくり返す。
「うわっ⁉︎」
ダン。とすごい音を立てて床に叩き伏せられる。
シンと静まる中、何が起きたか分からず放心するライオネルから手を離した後、遠くに落ちていた短刀を拾いにいく。
これは勝負がついたのでは? アユも呆然として見つめていると、キサラギは短刀を鞘に戻す。
「膝は着いていないが、勝負はついただろ」
「……うーん」
起き上がり、「技一本食らったしねぇ」とライオネルが呟く。それを聞いた周りは再び盛り上がる。
「思ったよりも平和に終わりましたね……」
「ですね。……ただ、壁に穴は空きましたが」
安心した表情でアユが言うと、板に釘を打ちながらウォレスが返した。
レンも笑顔になってライオネルの元に駆け寄る。マコトも困った笑みを浮かべながら、キサラギに近づいた。
「びしょ濡れだな」
「ああ……まさか水を被せられるとは思っていなかった」
鬱陶しそうに濡れた髪を弄っていると、カイルが「手拭い持ってきました!」と嬉々としてやってくる。
それを受け取ると、興奮気味に話しかけられる。
「すごい戦いでしたね! 見てて楽しかったです!」
「そりゃ良かった……クシュ」
小さくくしゃみをすると、マコトが「ほら早く拭かないと」と、キサラギが持っていた手拭いを手にして頭を拭きはじめる。
拭かれながら少し戸惑い気味に「マコト」と名前を呼ぶと、彼女の楽しげな顔が髪との合間から見えて、何となくキサラギは安堵した。
「弟を思い出すなぁ……」
「俺の方が年上だが」
「一つだけだろう? そう変わらないさ」
年も背もこちらの方が上なのだが、そんな事を気にもせずにマコトに拭かれ続ける。
そうしている間に髪は少しだけ乾いてきた。
「折角だからお風呂入ってきたら?」
レンから言われ、「そうだな」と言うと拭き続けるマコトの手を握る。
その時のマコトの表情をキサラギは見ていなかったが、近くにいたライオネルははっきりと見ていた。
「(あれ)」
一瞬の事ではあったが、顔を赤らめるその表情はまるで恋する乙女のようだった。
「(ああ、つまり彼女は……)」
流石にこの事を言うのは野暮だと思い言わなかったが、ニコニコとしてしまう。
「……ライ兄様?」
「何だその表情は」
キサラギが不審そうな目で見てくるが、ライオネルは「何でもないよ」と表情を変えずに言った。
「さて、濡れた床を拭こうかな」
「あ。あたしも手伝う!」
腕を捲ったりして離れていく二人を見つめた後、アユが歩いてきて「案内しますね」と言った。
※※※
「はぁ……」
その中に一人浸かっていると、戸を開ける音がして顔を上げる。
「……お前か」
「どうも」
湯煙ではっきりとは見えないが、ライオネルの姿があった。
掃除した後一緒に風呂に入ってこいとウォレスに言われたらしい。
互いに話さず身体を洗ったりした後、キサラギの隣にライオネルがやってくる。
何故こんなに広いのにわざわざ近くにきたんだとキサラギは思っていると、「大きくなったよね」と言われた。
「何がだ」
「身長。前はまだ小さかったのに」
「……そういうお前は髪以外全く変わってないよな」
前は短髪だったのにと、キサラギはまとめ上げられた長い髪を見ながら呟く。
八年も経てば髪型が変わってもおかしくないのだが、逆にそれ以外の部分が全く変わっていない気がした。
「(そういや、ライオネルの年齢はいくつなのだろうか)」
キサラギはライオネルを見つめながら考えていると視線を感じたのか、ライオネルが「どうかした?」と話しかける。
「いや……。年齢が分かんねえなって」
「あー……うん。よく言われる。実際、俺自身も分かんないし」
自分がいつ生まれたのかも分からないとライオネルが言うと、キサラギは目を逸らして「俺と一緒、か」という。
その事にライオネルは
「(キサラギには帰る場所があるのに……)」
その事実を話せない事がもどかしくて仕方がない。でも、言ってしまったら下手をすれば帰れなくなる。
彼自身が
「(せめてきっかけになるぐらいの話題は……)」
ライオネルが悩んだ末に思いついたのは、先程そばにいたマコトの事だった。
名前からしても
「出会ったのは炭鉱跡だ。だが、マコトは下層から来たんだ」
「…………下層?」
え、下層? よりにもよって下層? 思いがけない情報に、ライオネルはキサラギを凝視する。
「スターチスという神曰く、マコトの持つ薙刀の力の所為でこっちに来たんだと」
「へ、へぇ……」
「そういえばアイツ、聖切を朝霧何とかって……」
「……」
この、痒いところに手が届かない状況に、ライオネルは頭を抱えた。言ってしまいたい。その朝霧がアンタの家だよ! 早く思い出して気づいてくれ! と。
同時にこんな状態にさせてしまった事に罪悪感を感じてライオネルはバシャンと勢いよく沈み込むと、キサラギが「どうした⁉︎」と声を上げる。
「ごめん、なんでもない……それで? キサラギは聖切をいつ手に入れたの?」
「気づけばそばにあった」
「そうなんだ」
顔を上げてライオネルは空笑いする。
あまりにも挙動不審過ぎて怪しまれているが、ライオネルは立ち上がると「先に上がるね」と言って、離れていく。
「ああ、そうそう。着替えここに置いてあるから」
「のぼせないようにね」とライオネルは言った後、浴場から出て行った。
「何なんだ一体」
呆れたようにため息をついた後、数分経ってキサラギも浴場から出る。
そこでライオネルとまた会うと、変な空気の中背を向けて着替える。
白に青の桜柄が入った浴衣を身につけ、ちらりとライオネルの方を見ると頭に先程まで無かった三角の耳が生えていた。
「⁉︎」
どういう身体の作りをしているんだ。何故耳が生えてるんだ。ああ、よく見たら尻尾も生えてる。と、キサラギはライオネルの謎に一人驚いてしまう。
まとめていた髪を解き、櫛で梳かした後何事もなかったように脱衣場から出るライオネルを眺めていると、すれ違いで入ってきたアユが「どうしました?」と声を掛けてくる。
「ライオネルの頭に耳が生えてたんだが」
「耳? ……ああ、彼はたまにあんな姿になるんですよ。寝起きやお酒飲んだ時とか。後はまじゅつ……かいほう? なんてものをした時もですね」
「可愛らしいでしょう?」と言われ、微妙そうな表情で「別に」とキサラギは言う。
ちなみにこの姿は一部の侍女からも人気らしいとの事。
「他の魔術師でもあんなのは見た事ないから、多分彼自身の特性なんだと思いますが……。見てて癒されるので、私は好きですよ」
「そう、か」
困惑しつつも返答をすると、キサラギは難しい顔のままその場を後にした。
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