第19話
ダネルは見たことも無いオリビエの楽しそうな様子に驚いていた。
彼女の目の前には紅い髪の女性が座っていて優しい眼差しでオリビエを見ている。でも顔が分からない……確かに表情が分かるのに顔が見えない、いや、見た途端に記憶からこぼれ落ちていくような……妙な感覚だった。
「ん……?」
息を吸ったところで目が覚めると、膝の間には全身を捻りあげ人間離れした寝相のホリーが寝息を立てていた。
(軟体人間か……?)
塞いだ窓からは僅かに陽の光が漏れていた。
(今、何時ごろだろう?)
何事も無く目が覚めたことに感謝しながらホリーの寝顔を噛みしめるように見つめる。
(ホリー……)
「ンにゃ……?ダネル……」
「おっ?おお…おはよう」
捻られたホリーがゴムみたいに元に戻る姿がまた、ちょっとしたイリュージョンのようだ。
「気味わるいな、おまえ……」
「ふうむ………」
まだ寝足りないホリーはネコみたいにずりっとダネルにもたれかかって寝直そうと試みている。
「おいおい…」
「うむむ……動くとホリーが寝れないよ?」
「わがままかっ!?寝てていいから……ベンチでっ」
「おーのーれー……」
手を彷徨わせるホリーを抱きかかえると、後はベンチに任せて外の様子を窓からうかがった。
「まだ結構早い時間だな……親方もそろそろ起きてくるか」
今は閉じ込められている身だけにイーデンがドアを開けてくれないと身動きも取れなかった。
(さて……)
仲間が2人も行方不明になって、果たして彼等がどうするのか……考えても答えは出ない。今ダネルがしようとしているのはホリーを移動させること、彼等から隠すことだった。
そのうちに聞き慣れた足音が近づいて来ると撒かれた砂利を踏む。
「おい、ダネルっ開けるぞ?」
イーデンは声を掛けながら鍵を差し込んで回した。
「おはようございます、親方」
「おう……ちゃんと眠れたのか、ダネル?ホリーは……おお、爆睡中か」
持ってきてくれた皿をテーブルに置くと、その上には茹でたイモと薄切りのパンが乗せられている。いつも仕事前に出されているメニューだ。
「うにゅ……朝からゴハンー?」
鼻ざとくホリーがもそもそと起き上がると、パンのありかを手で探り出した。
石工のような労働者達は一般的では無い朝食を積極的に摂っていた。多くの人は当時はディナーと言われた昼食と晩の2食しか摂らないが、身体を造り維持する為には朝食は必要なものなのだ。
寝ぼけながらパンを『はむ』ホリーが咳こむ。
「けほっ、みず…ホリーにみずを……」
ダネルは水差しの水を確かめるとカップに注いでホリーに手渡す。
「こく…こく……はあー、目が覚めたーっ。いただきまーす」
「はい、はい……」
カップを手渡したついでにイモをひとつ鷲掴むとそのままかぶりついた。
「ダネル、ホリーを移すって言っていたのはまさかベシーの所か?とりあえず今日は様子を見たらどうだ?アイツらも…多分このまま出ていくだろう」
「ただのチンピラならそうかも……でもアイツらは強いつながりを持っているように感じます。それにカネ目的ではあってもその報酬にも明確なルールを設けているようでしたし、仕事に対しては変に使命感…いや、競争心や闘争心を感じましたね」
「ふうむ、つまり何らかの決着がつかない限りアイツら去って行かないと……?」
ダネルはうなずいた。
「とは言っても今日はジッと様子を見ていますよ。あ……」
その前に彼等の居場所を探っておきたい……が、仕事も家庭も、恩もあるイーデンにそんな自分の都合を押しつけられない。
「いえ、何でもないです……」
「ああん?お前…今何か遠慮しやがったなっ?」
「えんりょしたな?ダネル!」
後ろからホリーにまでツッコまれた。
「えっ?ホリー……ってお前?食べ過ぎじゃないのかっ!?」
見れば皿の上が随分空きやかになっている。
「けぷっ……」
とは言えそれは置いておいてイーデンを引っ張ってもう少しホリーから離れる。
「遠慮なんてそんな……」
「いいや、親って程には離れちゃいないが俺はお前の親方なんだ、親代わりの俺が心配されるなんて我慢できねえなあ……」
男気を見せるイーデンにすごまれて正直に言えばダネルは嬉しかった。そして尚のこと危険に巻きこむようなことはさせたくない、その気持ちが強まった。
「あの……もし出来たら親方、服を貸して下さい」
「服………?」
「はい」
「連絡をよこさないどころか行方不明……か?」
無法の兵士を率いるシュワードの眉間のシワはますます深くなるが、取り乱す様子はけっして見せない。
「フッカーはまあ別としてもゴドウィンは手練れだった……間違ってもルースに殺られるようなヘマはしないな。やれやれ……開けた宝箱には『バケモノ』でも入っていたか?」
無頼漢者どももシュワードに逆らう事は無い、いつも報告を上げているこの男も彼に対しては敬意をもって接している。
「どうやらイレギュラーな事態ですね。引き揚げますか?」
「ふむ……対象の顔も分からずルースも消えて2人が行方不明、おまけに協力者がいる可能性が高い、か」
「はい、我々はここにいる3人だけです。報告にひとり出しましたが増援が来る事はありません。3人がまだ町にいるかも分からず、警備と住民の目を盗んで探すのも面倒です」
「しかも単独行動は危険ときたか……?」
シュワードは無精髭の生えたアゴをさすった。
遠慮するなとイーデンに怒られたダネルは丁重に、まことに丁重に情報収集をお願いした。
「おい、ダネル……遠慮するなとは言ったがまさか宿のハシゴをさせるとはコイツ……まあ、カミさんと手分けしたから大した手間じゃあ無かったが」
「すいませんっ、もしかしたらオレは顔を知られているかも知れなくて……」
「くく、わざとだよっ、気にすんな」
「知ってます、でもすいません!」
手間をかけさせたことより多少なりと危険を押し付けている事への罪悪感があった。
ひとりでは本当に何も出来ない…情けないと恥いるところだが、そんな感情は頼れる人がいる喜びにすっかり霞んでしまった。
「だから気にすんなって言ってるだろう……それよりもだっ!ヤツ等はどうやらウイロビーの所に泊まっているようだな」
「ウイロビーっ、良かった……」
この町には4つの宿がある。ウイロビーロッジは大通りのハルムスタッド側にあった。バリルリアは反対のモーブレイ側にある。
「お?やっぱりお前、ホリーをベシーの所に連れて行く気だな?ふうむ、でもなあ……バリルリアはヤツ等も出入りしてるかもしれないだろう?」
「かもしれないですが、一応……裏をかくつもりで……それにバレないように苦労して隠れるよりバレた時に安全な方法を取りたいので」
人の往来が多い通り、人の出入りが頻繁な食堂、万が一見つかってしまっても彼等にとっては面倒な状況だろう。
「あとはどうやってホリーを連れて行こうかな?」
「んん?じゃあ、あれはどうだ?」
「ええっ?あれは?!」
イーデンが指さした物にダネルがいぶかしい顔をすると、名前を呼ばれたホリーは話しも分からずポカンと2人を見ていた。
バリルリアでは仕込みを前に主人のエトガーが仕入れた食材を馬車で運び込んでいた。
肉は牧場や猟師から、野菜は農家から、背負いカゴに詰め込まれた食材を次々と店に運び込んでいく。
そしてひと通り運び終わってエトガーは厨房に向かって声を張った。
「おいっ、仕入れてきたぞ!生きの良い…ホリーをな……っ」
その声を合図にバタバタとベシーが駆け足で飛び出して来る。
「ホリーーっ!」
そして呼ばれたホリーは背負いカゴの野菜の中から飛び出したっ。
「どーんっ!」
ベシーはホリーを抱きしめ無事を確かめて喜んだ。しかし、連れ去られそうになって付けられた薄いアザを手首に見つけると、床を踏みつけて怒っている。
「ホリーっ、大変なことになっていたんだねえ?かわいそうに……っ、ちょっとダネル!なんだいっこのアザはっ!?」
呼ばれた気配にダネルは階段を駆け下りて来た。
「エトガーさん、ありがとうございます」
ダネルが降りて来るとホリーはベシーの手をふり払って手首に残るアザを懸命に隠そうとしている。
「あ……えと………」
いじらしくも切ないその姿を見て心を打たれたベシーは、たまらずにホリーを優しく抱きよせてしまうのだった。
ダネルはそんなベシーを見て何故そんなに慈愛の込めて抱きしめているのか分からなかった。心配事は何しろ、ここまでの道程でホリーが見つかっていないことを祈るばかりだ。
「かくれんぼは楽しかったか、ホリー?」
「野菜になってたよ!」
「や…?あ…ああ、そうか…まあ、とにかく大変な引越しになっちゃったな?」
へへっと苦笑いをするダネルを見てベシーは抱きかかえた腕を吐息と共に緩めると、
「よく来たね、ホリー。話しを聞いた時は驚いたけど、もう安心おしっ…人を売ろうなんて悪党には渡さないよ!」
早朝にイーデンと話し合った後、ダネルは服を借りて孤児や労働者に見えない程度の変装をすると、仕入れ前のエトガーとベシーを訪ねてこれまでの事情を説明した。
説明できることを正直に、人を殺めたいきさつからルースの最期まで、ホリーには話さぬように同意を得ながら協力してもらえるようお願いした。
するとベシーはエトガーの分まで憤慨してから、2人でルースの死を悼みダネルを慰め抱きしめてくれたのだった。
エトガーは無事に役目を終えてホッとひと息つくと、
「ダネル、事情は大体飲みこめたが……これ以上は何も出来んだろう?後はそいつ等がこの町から出て行くまで……2階で大人しく隠れていろ」
更にベシーがダネルに念をおす。
「そうだよっ、すぐに諦めて出て行くさ……どうせ大っぴらなことも出来ないような連中だろう?少し我慢すれば元どおり……いや、ここに住むんだから前よりも良くなるってもんさ」
「はい……オレも後は様子を見ようと思います。あ!でも町の人達にはしばらく子供から目を離さないように言った方が……」
「ああ、確かにそうだね。そいつ等がホリーの代わりに誰かを連れ去っちまうかもしれないからねえ……」
ホリーの買い手がもう決まっていたのならシュワード達も手ぶらで帰りたくは無いだろう、だとすれば苦労してホリーを捜すよりも適当に『みつくろって』逃げ出した方が余程楽だからだ。
「まったく……どうしようもない連中だよっ!」
そんな言葉をベシーが吐き捨てるとホリーまでも悪態をついて逆に空気をなごませた。
「まったく、ヘンタイヤローだよっ」
「お…おう」
「クス」
取り敢えずここでしばらく様子を見よう……
こんな状況で自分でも驚く程アタマが冷めているのが不思議なダネルだが、2人を殺してこじれてしまった現実は、罪悪と不安が時間と共にその重さを増して積もるようにのしかかってきていた。
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