第13話
ルースが出て行くと、ホリーはダネルにしがみついて小刻みに震えていた。
自分の身に恐ろしい事が降りかかろうとしていた。その恐怖を連れて来たのはあの優しい『おにいちゃん』だった。
それが幼いホリーにも十分すぎるほど理解出来たし、小さな心に深く傷を残していった。
(ホリーを他所に移さなきゃ……っ)
「ダネル……?おにいちゃんは悪い人になったの?」
「ん?そう、だな…なりかけてるかもしれない…けど、まだ救えると思う」
ダネルがルースを追い出したのは我慢できなかったからでは無い。
今の問題はルースでは無く、他の連中だとすぐに理解していた。
ルースとの間にどんな約束がされていたのかホリーの前では聞けなかったし、他の連中がどれだけホリーにこだわっているかも分からない。
しかし、ここにホリーを置いておけないことは確かだ。
「ホリー……すぐにここから離れるぞっ、いいか?」
「う、うんっ、分かるよ……悪い人が来るんだね?」
ホリーに『怖がり』と言われながらも避難訓練は欠かさなかった。今こそ本番っ、ホリーは大切なものと毛布だけを抱えると、ダネルの合図を待っている。
ダネルも必要な物を抱えると最後に……初めてエルセーと出会った時に放られたナイフを確認するように見てから腰にさした。
「よしっ。いいか、ホリー?静かに付いて来るんだぞ?」
「大丈夫だよっ!いいよ……」
(お……)
ホリーの頼もしい返事と顔にダネルは嬉しくなってうなずいた。
まずは辺りをうかがいながらダネルが表に出る。
「よし……いいぞホリー」
とにかく今は町から少し遠ざかる。ただ、ひと気の無い場所はかえって危険なので、出来ればすぐに助けを呼べる町の中に隠れたい。
(さて、どうするか……?町にはアイツらがいる。宿の多い大通り辺りは見張られてるかもしれないし…街道もダメなら町の向こうへは行けない……)
ホリーもちょこんとダネルのそばにしゃがみ込んでジッとダネルの顔を見つめている。
「ダネル……?」
「……」
ホリーは急にそわそわし始めると、
「ねえねえ……ダネルっダネル……っ?」
「ん?どうした?ホリー」
「ホリーは、ええと……お花をちょっと…摘みに行ってきます……」
「は?」
何だかもじもじと蚊の鳴くような声にダネルは耳をそばだてた。
「いやいや、お花ってこんな時に……あ、ああっ!オシッコかっ?いいよ、その辺で適当に……」
ばこっっ!!っと途端にホリーのグーパンチが飛んできたっ!
「いいっ!た……ってホリーっ?グーパンてお前……」
「ダネル……最低だよ……?」
ホリーはダネルをじっとりと睨むと黙って森に消えて行った。
「本っ当に痛っ!まったく……オシッコならそう言えばいいのに、いつあんな洒落た言葉を覚えたんだか……まあ、多分ベシーさんか、もしくは…………あっそうだ!」
ダネルが何かに気づいた時、そんな姿が何とか見えるあたりでホリーはしゃがみ込んでいた。
「はふー……」
少しだけ緊張から解放されてスッキリしたと思ったら、今度はお腹の虫がキュウと鳴き出している。
「お腹空いた……ご飯食べてない」
なんて暗い中でホリーが気落ちして下を向くと、どこからとも無く……
「ふふ……」
と、たしかに笑い声を聞いた気がした。
「ひっっ……?!」
ホリーが恐る恐る周りを見回しても誰もいない……すぐに怖くなって這うようにダネルの元に戻ることになった。
「ダネルっダネルっっ!」
戻った途端にギュギュっと服を握り引っ張りまくられる。
「な、なんだ何だっ!?ホリーっ?」
「な、な、な……何か……出たの?」
「?、おしっこ……?」
ガコッ!と、同じ場所に二発目がめり込んだ……そのままグリグリされながら…
「ちーがーうーー」
「なんだよ、もー?…何も出てないよ……こっちは……」
「ちがう、出たの出たのっえと、『ふふ』って……おばけ?」
「はあ?……ええと」
多分……ホリーは何かそれっぽいものを見たか聞いたかしたのだろう、ダネルはそう理解した……
「!、まさか誰かいたのか?いや、でも……」
(こんな所にもしルースの仲間がいて、ホリーが見つかったならとっくに姿を見せているだろうし、それに『ふふ』って何だ?笑っていた……?)
どんどん迷走していくので、貰いパニックを避けるためにダネルは考えるのをやめた。
「よし分かった。怖いモノがいたなら早くここを離れよう、な?」
「ふん、ふんっ!はなれるよっ」
ふたりは街道には近づかず、町の外周に沿って移動していく。
(取り敢えずは……)
ダネルが向かった先は石工の親方、イーデンの作業兼休憩小屋、まあほとんどは休憩のために使われていて、なかなか居心地の良い所である。
弟子入りするなら住んでもいいぞ……イーデンからはそんなふうにも言われている。
町の大通りからも離れていて、周りにはイーデンの自宅を含め民家もぱらぱらと点在していた。
(ここなら騒ぎになるようなことはしてこないだろう。ルーにいの話を聞いて諦めてくれればいいけどな……考えすぎかもしれないけど、アイツらが出て行くまでは気をつけないと)
入り口は町がわだから気を配りながら近づくと、ジャリジャリ…ガリガリと石くれを踏む度に音がする。
(それに、これこれ!)
石壁のブロックを作るため、削る度に生まれる石のかけら……小屋のまわりにはそんな石くれが長い年月で溜まり積もっている。
「この音を覚えておけよ?ホリー。この音がしたら誰かが近づいているってことだ…ぞ……?」
「じゃーり、じゃーり、がーりがりー……」
「あの……ホリーさん?」
そうそう、そういえばホリーは何度かここに遊びに来ているが、来る度に石を踏んで遊んでいた……
(いやいやっ、そんな場合じゃないだろ?)
「ほら、ホリーっ、こっちだ……」
いつも小屋には鍵が掛かっていない、ダネルはホリーの手を引いて小屋の中にこそこそと潜りこんだ。
勝手知ったる小屋の中でちゃちゃっとオイルランプに灯りをともすと、ダネルもようやくひと心地つくことができた。
「ふう……」
自分達のほったて小屋よりもずっと広い。しかも石工らしく石壁造りで暖炉や釜ども完備、寝ることも出来る大きなベンチとテーブル……積もったホコリを掃除すれば即入居可能である。
「前から思ってたけど、ここは親方が夫婦喧嘩した時の避難所なんじゃないか?」
「ケンカはダメだよダネル?暴力もダメだよ……分かった?」
ホリーにさとされるように言われた……
「オレのことじゃないよ、それにさっきオレをグーで殴ったのはホリーじゃないか?」
「!……」
やぶをつついてホリーは一瞬『しまった』という顔を見せるが、
「あっ、あれはダネルがわるいんだよ…?おしおきだよ……?」
「体罰はんたーい」
「う……ごっ、ごめんなさい……痛かった?」
少し赤くなっていたダネルの頰をホリーが撫でてくれた。
「もういいよ、それよりほら……お腹空いてるだろ?」
やっぱり空腹で気持ちを暗くさせてはいけない。ダネルはちゃんと、今日買ってきた夕食を持ってきていた。
「おお…ダーネールーっえらい!」
ホリーはドンっと勢いよくテーブルのベンチに飛び座って、いつものように食べ物が広げられるのを待った。
「はいはい、オレはちょっと親方の所に行ってくるから先に食べてろよ?」
「うん、いただきますっ」
「はいどうぞ」
ホリーが食べ始めたことを見届けてから、ダネルはすぐそばのイーデンの家を目指す。
ダネルの訪問にイーデンは少し驚いていたが、正直にルースの帰省とこれまでの成り行きを話すと、おどろき腹を立て、呆れかえってからダネルのことを褒めてくれた。
「よし分かったっ!そいつらをここから叩き出してやる!」
「いやっダメですよっっ。何もしないで下さい。他にも話さないで下さい。アイツらはチンピラじゃありません、訓練された兵士で全部で何人いるかも分からないんですよ?多分放っておけばすぐに出て行きますよ」
「でもよう……」
喧嘩好きなイーデンをたしなめるとつまらなそうな顔をしたが、背後にいたカミさんのただならぬ気配に気づくと、その勢いも萎んでいった。
「で、でもルースのヤツはどうするんだ?まあ自業自得だし、お前達…いや、この町の人間にも顔むけは出来ないだろうがな?」
「ルーに…ルースが選ぶことです、どんな生き方を選ぶのかは……でも、もう十分に後悔していると思います、多分ホリーの声を聞いて以前のルースに戻ったと、思います」
思い返してみても素直にルースが出て行った時の顔は、心から後悔している様に見えたのだから。
「まあ、分かった。小屋は好きに使っていいから……いっそのことそのまま住んじまえ、そんで弟子になれよ?」
「ああ…まあでも、もうベシーさんの所にホリーが住み込みで働くことになったみたいなんで……それにもう、弟子みたいなものですよ」
「何だ『みたい』って……?まあいいや、とにかく気をつけろよ?そいつらが来たらとにかく騒げ、そうすりゃあすぐに分かるからな?」
「はい…ありがとうございます」
これで少しは安心できる。あまり他の人を巻き込みたくはないが、多分ホリーを隠して動かなければならなそうだ。それには自分だけの力では難しく思えた。
ダネルは水を貰い警戒しながら作業小屋に戻ると、名乗りながら中に入った。
「オレだ、入るぞ……あれ?ホリー……?」
中にはホリーの姿が無い。でも何となく人の気配はしている。
「ダネル……」
声のする方を見つめると物陰からホリーがこちらを覗いていた。
「ホリー、隠れてたのか?」
「『じゃりじゃり』が聞こえたから……」
どうやらちゃんとダネルの注意を聞いていたようだ。
「そうかっ、偉いぞホリー!グッジョブ!!」
「ふふんっ、ホリーはグッジョブっ……て、何?」
ホリーの頭を撫でて褒めた。
「良く出来ましたってことだ、それでもし知らないヤツが入ってきて見つかったら大声で騒ぐんだぞ?近所中に聞こえるくらいな?」
「分かったっ、一番大きい声を出すよ」
「うんっ。じゃあ一緒にゴハン食べよう」
テーブルに広げたものを見るとあまり減っていないように見える。
ベンチに戻って並んで座ってもホリーはあまり手をのばさない、元気に振る舞っていたが、やっぱりルースのことで傷ついているのは間違いないのだ。
その上食べ物を持っては来たが、肝心のフォークやナイフを忘れて手で食べさせられては、尚更さみしさを感じるというものだ。
「いやなものを見せちゃったな……?」
ホリーの頭を抱き寄せると、あっという間に涙が溜まってぽろぽろと粗い涙がこぼれ始めた。
「ひ……ひっく、ダネ……ルぅ」
「ルースはちょっと間違えちゃっただけだ、ホリーだって間違えることがあるだろう?だから出て行く時にお前に謝ったんだよ、心からな。だからそのうち……時間がたったら許してやれよ?」
顔をダネルに押しつけてホリーは声を押し殺しながら胸に溜まった暗い塊りを吐き出した。
「ルースの、バカァ……ああああーー……」
こころに付けられたキズから流れ出す涙を懸命に絞り、流して捨てようとする幼いホリーをダネルはなだめようとはしなかった。
ホリーはダネルの服をくしゃくしゃにして鼻をすすりながら膝枕に噛みついていたが、やがてはそれも静かになっていく……
「ひっ、く……ズズっ…ねえ、ダネル……」
「なんだ?」
「おなか空いた……」
空っぽになるまで泣けたのかな……そうであればいい、ようやく顔をあげて見上げたホリーの顔を見て笑ってやった。
「じゃあ少し食べようか?ゆっくり…少しずつな?あ、でもノドが乾いたろ?」
「うん……」
ゆっくりと舐めるように水を飲み込む顔をまずはキレイに拭ってあげていた。
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