第六話 雲母医師、再び

「そんな、困ります」

「そこをなんとか!お願いします!」

 凛冬殿の玄関にいた女官たちは、顔を見合わせた。


 どこかの殿舎からお使いにきた女官かと思いきや、いきなり雲母医師に会わせてほしいというのだ。


 女官なら、後宮内であれば会うのも行き来も自由だが、雲母医師は冬妃専属の医師だ。冬妃付き女官長・清寧と同様、事前の約束がなければ取り次ぐことのできない人物だった。


 そういう事情を話しても、目の前で頭を下げまくる小柄な女官はまったく理解してくれない。

「どうしても、どうしても!お会いして話をお聞きしたいんです。あたし、以前にも雲母医師にお部屋へ招かれたことがあるから、面識はあるんです。怪しい者じゃありません!」


 女官たちは眉を寄せて顔を見合わせた。

 前に会ったことがある、知人から紹介を受けている、というのはよくある手合いだ。そのほとんどが嘘だったり、知人といっても遠すぎるものだったりする。

 後宮に上がっているので身元の知れない者ではないのだろう。

 しかし、艶やかではあるが簪の一つも見えない髪、支給された襦裙には帯留めの一つもない。翡翠色の瞳はくるくると子猫のように愛らしいが、化粧っけもまったくない。唯一、首から下げた翡翠玉の眼鏡鎖が目を引くが、それが浮いて見えるほどに質素な少女だ。高名な医師と面識のある身分にはとても見えない。

「申し訳ございません。面識がおありでも、事前の御約束がなければ雲母医師にお会いすることはできません。然るべき手順で面会の御約束をなさってからお越しください」

 女官たちは口調はやんわりだが半ば力づくで花音を玄関の外へ押し出した。

「え、あの、ちょっと、待って!待ってください!」

 花音も負けじと抵抗する。もう乱闘といってもいいほどだ。

 騒然とする玄関に、柔らかい声が落ちた。


「そこに見えるは、華月堂の蔵書室官吏、白花音殿では?」


 女官たちは振り返り、かしこまった。「雲母様!」

「何をしているのだ?早くお通しせよ。私がお招きした私の客人である」

「そ、それは失礼いたしました!」

 女官たちは慌てて花音をつかんでいた手を放すと、脇へどいて花音を通した。

「先導はよい。私が直接お連れするゆえ。私の室へ、茶を届けておくれ」

 雲母医師は黒い衣の裾を翻すと、肩越しに花音を振り返った。


「さ、どうぞこちらへ。

 朱い唇がにい、と上がった。


 全身に冷や水をかけられたように、ぞっとする。気が付くと、全身に鳥肌が立っていた。


 前に会ったときも感じたが、雲母医師には近付きたくない何かがある。花音の中の本能は全身でその「何か」に抗っているのだが。


(動けあたしの足!)

 ここへ来た目的を思い出して花音は自分を叱咤し、磨き上げられた回廊を滑るように進む黒い後ろ姿に必死でついていった。


「さあ、どうぞ」

(あれ…?ここ、前に来た室と違う)

 通された室はいかにも上級女官の私室といった風で、上品な執務卓に書棚、それと医師の室らしく薬品が置かれた棚があり、応接用の小さな卓子と長椅子がある。


 天井から窓枠から薬草がびっしりとぶら下がり、独特な香りが充満している薄暗いあの部屋ではなかった。


「以前に来た時と室の様子がずいぶん違うとお思いか」

 花音の心の中を見透かしたように雲母医師は笑い、花音の耳元にささやいた。

「そんなにおびえずとも、今日は神の御遣いはおりませぬ」

 神の御遣い、と聞いて花音は全身から汗が吹き出した。

 あの黒虎事件――呪符に描かれていた黒虎が雲母医師の室へ現れ、花音は喰われそうになったのだ。

 黒衣の美女は花音の向かいに座り、婉然と微笑んだ。

「それに、今宵は白殿が私に用がおありになってきたのでしょう」


 そのとき、先刻、花音と玄関でもみ合った女官が入ってきて芳香を上げるお茶を卓子に置いた。花音に恭しく茶を勧める雲母医師を見て、女官は狐につままれたような顔をして退室した。


 茶器から上がる湯気を睨みつつ、何と言って切り出そうか花音は迷い、思い切って顔を上げた。


「以前、雲母様が持っていた呪…お札は、西虎国の神・白虎神に関係するものだと聞きました。雲母様は、西虎国の御出身なんですよね?」


 一拍の間の後、雲母医師は慎重に言葉を選ぶように言った。

「この龍泉の都では、周辺諸国の出身だというと嫌な顔をされることもあるゆえ、あまり大きな声では言いませんが、確かに私は西虎国の出身でございますよ。それが何か?」

 花音はごくりと唾を飲み込んだ。

「では……お聞きしたいのですが、西虎国の人々は、龍昇国を怨んでいるのでしょうか」

 

 


 


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