第360話 異世界の落ちこぼれに、魔術人形が声を掛けたとする~結果、ロストテクノロジーが魔術異世界のすべてを――⑨

 雨。

 強くなる。

 八つ当たりするような、横殴りの礫。

 空の湖の底が抜けたように、大地を沈むほどの土砂降り。


 奇跡的に瓦礫の山を逃れた一箇所。

 足元まで水溜まりに浸かる。

 腕には、ずっと胸焦がれていた晴れ女が沈黙していた。

 

 世界は泣いている。

 太陽を一つ失い、冷たくなった世界に泣いている。


 現在を留守にして、過去へと彼女に会いに行く。

 

 『私はラヴ。皆で“虹の麓”を見るのが夢です』

 故郷の街中。手を繋いで駆けた大通り。

 路地の片隅に座って見た少女の瞳。桃色の眼鏡。

 しゃがみ込んだ彼女。水玉模様の下着。逃げたくて何度も突き刺した罵倒。遠くなっていく彼女。

 小さくなった背中。読み上げられる晴天経典。神父の火炙り。地面に落ちる黒焦げの頭。しゃがみ込む背中。張り裂けそうな涙の代替をする雨。後にすると決めた故郷。晴れ女と一緒に逃げた故郷。

 初めて寝た野原。少女と一緒に寝た野原。一緒に泳いだ沢。溺れそうになった自分を引き上げたあの子。叶わぬ魔物から逃げた。生きている事を実感した。隣で脈動していた晴れ女。

 矜持で抱えた荷物。しかし自分が持つと奪おうとする彼女。烏の鳴き声。魔物の咆哮。文句の応酬。疲れて眠ったベッド。隣で見つめてくる顔。試してくるような視線。いつも勝てない。敵わない。凝視できず逸らした先の、カーテン。隙間から除く、夜の下町。

 晴れ渡る青空。背伸びする晴れ女。リンゴジュース。甘すぎた感触。無理矢理飲まされた。隣で戦う小さな体。一緒に戦う自分。どうして。分からない。そうしたかった。後ろ指差して笑う過去の自分。故郷で自分に関心を持っているか分からなかった兄と父。それよりも雨で一人濡れる晴れ女。貸した傘。長い坂。振り向く他人。泣き顔を隠す雨具。ずっとあの子は泣いていた。繋いだ手。細い方。今にも崩れそうな背中。体を拭いたタオル。冷たかった肌。張り裂けそうな胸の鼓動。心臓。心臓の祭囃子。心臓が自分にはあった。晴れ女にもあった。 

 日記帳。白紙のノート。思いつかない“笑顔の明日”。積み重なる会話。少しずつ埋まる殴り書き。“ハローワールド”としてやること。ハローワールド団員No.1である“私”としてやること。ハローワールド団員No.2である“僕”としてやること。やりたいこと。夢。夢。夢。

 疲れた体。狭いベッド。取られる布団。取り返す布団。起きるあの子。密着。同じ唇な筈なのに、甘い。リンゴジュース。甘い。ずっと支えられていた不格好な自分。ずっと支えてくれていた彼女。手を引っ張られる。人と変わらぬ肌。人と変わらぬ温もり。意外と起伏に乏しい体。散らばった服。でも、いいにおい。リンゴ。リンゴ。二人で布団の中。彼女の胸。自分の腕を枕にして潰れていた頬。好き。大好き。彼女が言った。恥ずかしい自分。大嫌いだ。大嫌いだ。大嫌いだ。としか繰り返せなかった自分。恥ずかしかった。言いたかった。後悔。美しい彼女。ずっと隣。ヒマワリ。ヒマワリ。未だ見ぬヒマワリ畑。忘れたくない。忘れたくない。美しい未来。いつか、沢山の太陽と一緒にピースするあの子の事を。だから、今度はちゃんと言うから、いかないで、いかないで、いかないで、いかないで、いかないで、大嫌いだ、でもいかないで。

 いかないで、美しい人。


「いたぞ!! が生きてやがる!」

「妙だな。私の“吟遊詩人オペラ”を受けた傷が消えているな。奴の例外属性“恵”では回復はしきれないと踏んでいたが」


 “浮沈太陽団”だったか。もう雨男は覚えていなかった。更に後ろから駆け付けたスーホドウにも、復讐の気持ちは浮かばない。“うたうたい”が死んだのも、今腕の中で眠る晴れ女が死んだのも、自分のせいだ。何もする気が起きない。

 ただ、“ハルト”とは?


「なれば我々の魔術で仕留めましょう。古代魔石さえ残っていればよいのですよね?」

「ああ。構わんさ。寧ろ死体は無い方が、後腐れが無くて助かる」


 おかしい。何故ハルトがまだ生きているのか。

 アリヴェロも、トピリスも、スエも、そしてこの子も夢ごと殺しておいて、今もまだのうのうと生きているのか。

 ハルトという、生まれた事が罪の男は、終わる事でしか償えないというのに。


「魔術人形が未知だがな。ふん。まあ、玩具を燃やすのと何も変わらんよ。古代魔石以外は燃やしてしまえ」


 火柱が立った。


「「「「基本属性“火”結合魔術――“レッドカーペット”ぉ!!」」」」


 一面が白く見える程の雨すら纏めて蒸発する程の、赤い鳥。

 基本属性“火”の上級魔術、“レッドバード”だろうか。しかし、規模が桁外れに大きすぎる。例外属性“焚”では無くとも、かの魔術に匹敵するほどの炎を、数人がかりで実現したというのか。


 着弾すれば、この辺りが全て爆発で消える。

 スエの首なし遺体も、トピリスの全裸遺体も、アリヴェロの黒焦げの遺体も、灰すら残らないだろう。

 晴れ女の傷一つない奇麗な体も、何も残らないだろう。


 それは、嫌だ。 



『ドラゴン』



「あれはっ!?」


 拒絶の意志を張り巡らせた途端、辺りを光が突き抜けた。

 朱い大鳥を軽々と飲み込む、気高き翼を広げた生き物を衒った、白色の魔力が雨の中を縦横無尽に駆け巡る。


「間違いない! 古代魔石“ドラゴン”だ! 何故ハルトの胸に!?」

「ハルトは、もういない。居るべきじゃない。要らない。そうだ。全部、僕のせいだ。僕は、ハルトは、いないものとして考えるべきだ」


 今の雨男は、心臓が動いていない。代わりに、最初からそうであったかのように、胸の中心に球体の宝石が埋め込まれていた。

 古代魔石“ドラゴン”。

 これが、ラヴから渡された命。

 故に、雨男は生き延びてしまった。

 故に、ラヴは死んだ。


 ――殺したようなものじゃないか。自分が。


「僕は――」


 僕は、じゃ駄目だ。

 “ハルト”は死んだ。だから一人称を変えなくてはいけない。ラヴがおすすめだった一人称があったはずだ。


は、じゃあ、誰だ?」

「……?」

「もう、誰だっていいか。誰でもいいんだ。夢を叶えるのに、主語はいらない。匿名でいい。だってこれは、ラヴの物語なんだから。きっとラヴもそれを願って、俺に命を託したんだ」


 白龍が、雨男の後ろに回り込み、そして後ろからそっと抱き着く。


「この世界に、美しさなんて無かった。神なんて、いなかった」


 腕と、翼がハルトの全身を包む。

 大嫌いな少女の、抱擁。


「――もう誰も飢えなくていい」


 まだ十歳にも及ばなかった少女の痩せ細った死に顔を、脳裏に浮かべる。


「――もう誰も辱められなくていい」


 不当な理由で尊厳を踏みにじられた、“うたうたい”達の死に顔を、振り返る。


「――もう誰も死ななくていい」


 夢半ばで死ぬべきじゃなかったラヴの死に顔に、眼を落とす。


「神が創らないのなら、俺が創ろう。君の夢を、叶えよう」


 雨に濡れた唇が、そっと動く。




「――魔石回帰リバース


 


 烈風。

 全ての雨水が破裂した。

 人間を踏み潰す大きさの瓦礫が、拡散する――!


「うわあっ!?」


 “浮沈太陽団”も堪らず防御態勢を取りながら後退る。

 高波の如く迫る水飛沫に視界を遮られ、何が起きているのか分からない。滝といっても過言ではない豪雨の中で、そもそも何故人間に魔石が装着されている等という現象が発生しているのか、百戦錬磨のスーホドウを以てしても理解しきれないところだった。


 途端。

 爆発音がした。

 先程まで少年がいた地点に、怪獣が踏みつけたような巨大なクレーター。


「ぎっ!?」

「ばがっ」

「か」


 次に、血が爆ぜた。

 先程“レッドカーペット”を放った五人の魔術師が、最前線で破壊されていた。

 内三人は首が千切れるほどの衝撃で頭蓋を蹴られ、更に内二人は体の中心を素手で撃ちぬかれて即死していた。

 ダンジョン最下層の魔物もかくやという暴力。


「……“龍人”、だと!?」


 雷光が明かす。

 神話の、晴天経典にしか存在しない生き物。

 龍の白鱗が全身を覆った、怪物。

 

 残り95人の悪辣な騎士さえも、あまりの黄金比なる肉体に絶句した。スーホドウさえも、白の代名詞である神聖を目前にして、息をする事さえ忘れている。

 後ろめたさを白日の下に晒した“浮沈太陽団”へ、雨男は指を差す。


「晴天教会。。だから、


 だが、そんな神々しさを全て帳消しにするかのように。

 雨に濡れた真っ黒な瞳は、とうの昔に壊れていた。

 もうどこにも、“ハルト”はいなかった。


「てめぇらを、殺す」




 ――クオリアも、雨に打たれ、歯軋りしながら見つめていた。

 雨男アノニマスの生誕と、直後に起きた“百人狩り”を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る