第336話 猫耳少女、人工知能がログインする

「アイナ……!?」


 自身も経穴に苛まれながらも、フィールは瞠目せざるを得なかった。

 死体の如く脱力しきった自然体の獣人からは、誰よりも輝いていた生命が感じられない。

 先程まで逆境相手に、恐怖を覚えながらもフィールを見捨てず、共に逃げてきた少女とは思えない。


「あっ」


 フィールが思わず声を漏らす。

 アイナのの後ろで、最上段に構えた凶刃が振り下ろされる。


「死、えっ」


 鋼鉄の直線が空振り、勢いそのままに地面へ先端が埋没した時には、少女の脚が騎士の首に突き刺さっていた。


「か、こ」


 人間が取れる姿勢なのか。誰もが息を呑んだ。

 左足一本のみを地面に残した、天秤。

 片側では、一切波紋が見えない無表情を限りなく地面へ近づけ。

 反対側では、右脚を騎士の無防備な首へと突き出していた。

 舞う妖精が、時間を止めたような光景が広がっていた。


「は、早くそのガキを止めろお!」


 横から別の騎士が、差し出されたアイナの細い首目掛けて斬撃を放つ。

 振り上げ。誰もが猫耳を携えた首が落ちる瞬間と、血に塗れた刃が天高く掲げられる姿を想像した。


「予測に修正はない」


 騎士は絶句した。

 何せ、猫耳少女は刃の上に片足で立っていたのだから。

 全てを見透かすような色の失せた瞳に見下ろされ、神話の蛇に巻き付かれている感覚を騎士は得ていた。


「急に、達人みたい、なあ、あ」


 すとん、と。

 靴の先端が、騎士の顎を揺らした。

 崩れた騎士の頭と同時に、猫耳少女が地面に着地する。意識と共に騎士が手放した剣の柄を、重さを感じさせない動きで掴みながら。


「く、来るな……!」


 騎士は残り一人。勿論、ここにいる騎士は誰もが経験豊富だ。彼も過去、死線を幾度となく繰り広げてきた。

 だが、干からびた砂漠を連想させる無表情を向けられ、騎士はフィールを盾にする事しか出来ない。

 その喉元に、刃を当てて牽制する。


「貴様は矛盾している。その行為に意味はない」

「……あ、アイナ」

「私は、レガシィだ」


 だが、悲哀に満ちたフィールの視界に、滑走する影の砲弾が割って入る。

 同時、レガシィが視線を変えず、刃を真横に備えた。


 レガシィの刃と、マスの“丸暗鬼”による短刀。

 交差の合図たる、甲高い衝突音。

 逆手の得物を接点して、端麗で淡白な少女の顔と、巌の如く泰然とする老人の顔が数センチの空白を巻き込み睨み合う。


「防ぐか」

「最善解、変更」


 指に挟んで鉤爪の如く握る、四の短刃がレガシィへ穿たれる。レガシィの演算を完全に超越した手練の動きだ。辺りの騎士との、雲泥の実力差を見せつけている。

 だが刃が柔な女体を引き裂くことはない。刃と刃の隙間を縫うように張り付いたレガシィの指が、マスの拳を止めたからだ。

 組まれる。その未来に死を直感したマスは、即座に距離を取る。


「“丸暗鬼”」

 

 基本属性“土”の魔力を石として具現化し、棘を。針を。槍を。長剣を。短刀を。鉾を生成すると、辺りに放り投げる。レガシィを狙ったものではない、無造作にして無秩序な軌道を描いている。



 直後、マスの老体が八つに揺れる。

 高速と低速を絶妙に繰り返して発生させている残像。

 “縮地”の応用技術、乱魔。


「止むを得ん。手足の一つは頂く」


 その残像の一つ一つが、長さも特徴も異なる得物を掴んではレガシィへ猛然と迫る。

 飛矢を軽々と凌駕する、音速の闊歩。

 八つの暗殺者は一旦音速の次元へと隠れ、視力という枠外から間合いへ悠々と踏み込んでいた。

 即ち、マスも突如豹変した“異形”へ、手札を切らなければならないと判断した。


「スピリトの乱魔を類推」


 逆にレガシィは、逃げるどころか前へ進む。

 真横からも、真上からも、凶刃の疾風が迫る。活路はどこにもない。

 処刑台よりも悍ましい光景に一切眉を動かす事もせず、レガシィは目前のマスへと掌を穿つ。

 二つの眼球。

 それと同じ大きさの、人差し指と中指を水平に保ちながら。


 だがマスも、眼が破裂しかねない攻撃に対して抱く恐怖はない。合理性を捨てることなく、逆にレガシィの指を折ろうと額で迎撃しようとする。

 だがレガシィも置き去りになる事はない。眼球破壊の最善解を破棄して、掌底を打ち込まんとする。マスの音速移動を逆手に取り、彼の脳が一番揺れる角度と力を調節していた。

 だがマスも“丸暗鬼”を発動し、頭蓋と掌の間に土を出現させる。掌に簡単に風穴を開けられるような形状をしている。

 だがレガシィも持っていた剣を土と衝突させる。細腕では扱いきれない筈の刃を、しかし筋肉の限界を無視しているかのように軽々と扱って見せていた。

 だがマスも。

 だがレガシィも。

 だがマスも。

 だがレガシィも。

 だがマスも。

 だがレガシィも。

 ――と、音速の領域内で繰り広げられた、0.1秒の攻防の果て。

 最終的にレガシィが後方へ吹き飛ばされた。


(一番前の私を攻撃して、残りの残像を維持できなくした……?)

「軽度の損傷を認識。しかし稼働には問題ない。先程の戦闘から今後の動きを修正する」


 と、宙空で他人事のように“記録ログ”を呟きながら、地面に転がる。回転が終わる前に、水平方向に向かっていた力を垂直方向へ押し上げ、すぐさま直立して見せた。

 衝突で勝ったはずのマスが目を細めた。

 そもそも縮地の突進に晒されながら、骨折の一つも無いのはおかしい。


 何より、歴戦の戦士であろうと縮地の速度へ反応できる事自体が異常だ。“乱魔”に至っては、相応の軌道計算能力か速度を備えているか、あるいは使徒でもない限りは攻略の仕様が無い筈だ。


「見えて、いる訳ではなさそうだな」

「肯定」

「ならば、私の動きを予測し、誘導した訳か。クオリアのような軌道計算が君に出来るとは思っていなかったがな」

「私はアイナの視覚を通して、数回の“模擬戦”を認識済みだ。その際に縮地、乱魔、界十乱魔を登録している。また、スピリトと“模擬戦”を実行するクオリアの攻略法もラーニングしている」


 フィールも、フィールを人質にしたまま唖然とする騎士も、意識を取り戻しながらもまだ立てない騎士も、先程までアイナとして逃げていた少女の言っている事が何一つ理解できないでいた。

 “中身”がアイナから別の何かへ入れ替わってしまっている。そんな結論に行き着くには、唐突な迷路はあまりにも複雑すぎた。


 ただ一人。

 マスだけが、その現実に追い縋る。


「アイナ。いや、今は“レガシィ”で良いか?」

「肯定」

「多重人格……にしても流石変わりすぎだと思うが、まあ辻褄は合う。クオリアの侍女が、武装した騎士を返り討ちにしたという目撃証言があってな。だが流石に戦火の中。近くにはスピリト姫やエスもいたからな、正直半信半疑に留めていたよ」


 レガシィは再び空いた距離を縮めようとしない。マスも縮地で殺せるはずの距離を生かしたまま佇む。

 涼しい顔の二者に違いがあるとすれば、老人の額には一筋の汗が流れている事くらいだ。


「問おう。君は何者だ。流石にリーベの妹では説明しきれん」

「私は自律地点防衛用アンドロイド、レガシィ――幸福維持装置“空亡エイプリルルーフ”の防衛を役割としていた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る