第335話 猫耳少女、99%、そして発動

『個体名“アイナ”の制御率99%』


 内憂外患。

 目前では、死の気配を存分に匂わせた老人が、今しがた隣のフィールに棘を突き刺して動きを封じていた。

 太腿から棘を生やしたままフィールは、叫びながら倒れる。


 だが、フィールへ声を掛ける事さえ出来ない。マスという老人により、盤面が詰んだ事による恐怖だけではない。

 

 意識が、朝靄の如くモノクロに、不鮮明になり始めていた。

 自身の鼓動が、感じられなくなっていく。

 代わりに明滅する信号が、アイナの中にいる何かへ駆動する。

 “レガシィ”。

 冥闇が、アイナの世界を包み始める。

 こちらを見てくる。

 人でも、獣人でも、魔術人形でもない、“アンドロイド”がそこに。


 アンドロイド。

 アンドロイド。

(私、――)


 全身を迸る激痛が、アイナの目を覚ます。

 気付けばアイナの膝に一本の棘が浅く突き刺さっていた。


「あ、ああああああああああああああああああああ!!」

「経穴を知っているか」


 確かに無視できない怪我だが、何よりも痛みが少女達の意識を揺さぶる。対照的にマスは清水を崩さないような静かな口調で語っていた。


「要は体のツボだ。これを刺激し、回復力を促進する考えは昔からあった。晴天教会は好まない為に、王国では長い事広まらなかったがな。しかし逆に、人体へ悪影響を及ぼす経穴も存在する」

「ぐ、ああああああ……!」

「よせ。少しでも動こうとすれば、経穴から激痛が走る。気合とか精神論で片付くものではない。痛みに耐えるには訓練が必要だ」


 冷汗で張り付く髪を地面に付けながら、マスを睨む。先程の騎士達のように暴走した意志に駆られているようには見えない。しかし紛うことなく、敵としてアイナとフィールの逃走経路川への一本道を塞いでいる。


「あなたは何者……」

「その問答に意味はない。ただ私は、主の命に従い君達を捕縛するだけだ」


 アイナもフィールも直感した。

 この男が、フィールを狙っていた張本人だ。

 傀儡のような言葉を出しながらも、やっている事は人智を超えている。昨日まで何の変哲もなかった騎士や一般人を唆し、フィールへ害が及ぶようにした“雑談”の力もそうだ。遠距離からフィールとアイナの経穴を的確に突いた投擲術もそうだ。

 そもそも、この建物は構造上、外から屋上へよじ登れる仕組みになっていない筈なのに。


「この建物の壁登ってくるのは不可能じゃ……」

「やはり計算していたか。確かにこの建物は、普通は外からよじ登れないようになっている」


 感心の意を頷いて示す。終始マスという男からは、一切の油断が見えない。

 アイナも、フィールも、一介の“戦力”と見定めた上で。

 二人が助かる可能性を、全てなくなるまで摘み取ろうとしている。

 マスが油断するとしたら、それはアイナとフィールが絶命した時だろう。


「だが、昔取った杵柄という奴でな。私ならば、登れる」

「……でも、あと、もう少しで……うぅ……」


 唸る声。アイナが何とか立ち上がろうと、激痛に耐えている。

 割れるほどに歯を食いしばって、体を起こす。何倍にも膨れ上がった重力に耐えるように、ゆっくりとアイナの体が地面から離れる。

 

 しかし、空を先端が切る音。

 アイナの右肩に突き刺さる音の方が、静かだった。


「大したメンタルだ。だが激痛を増やすだけだよ」


 痛みは、少女相手でも容赦しない。

 残酷に溶岩でも押し付けられたような錯覚が、アイナの表情を一瞬無へと置換する。


「あ、あああっ!! あ、ああああああああ!!」


 絶叫。

 阿鼻叫喚。

 全身を震わせながら再び地に伏す。喘ぐ顔から、涙と涎が無抵抗に垂れていく。

 ずき、ずき、と。

 沸騰する。昨日作ったシチューのように、泡立てて沸騰している。焦げていく。

 ずき、ずき、と。

 ずき、ずき、と。


『UPLOADING……99.2%……』


 ずき、ずき、と。

 ずき、ずき、と。

 罅割れていく。

 意識が、“アイナ”そのものが、割れていく。

 棘から滲む倒懸の中で映し出されていく。

 透過していく。どうかしていく。


(いやだ)


 涙が、決壊する。

 経穴を蝕む棘に、必死にしがみ付いているせいだろうか。目前のマスという死神が、逆に自分の生を実感させてくれるからだろうか。故に激痛と恐怖と、向き合わなければならないせいだろうか。


「この体は、私の、もの」

『UPLOADING……UPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADING……99.7%……』


 そうでもしなければ、 “レガシィ”という底なし沼に飲まれてしまうような気がして。


「っていうか……武器なんてどこから!?」


 一方フィールも痛みに呼吸を短くしながら、マスへ視線を向ける。

 先ほどからずっと彼は素手だ。スーツ姿で、執事の様に白い手袋を着用しているだけだ。

 だが背広の隙間から、先端が顔を出した。

 それは、裾からも、腹部からも、襟からも。


 棘が。針が。槍が。長剣が。短刀が。鉾が。

 いずれも鋭利な先端を備えた、戦場を赤く洗浄する主役たち。


「生成魔術“丸暗鬼”。私は基本属性“土”で武具を幾らでも作ることが出来る」

「クオリアの……奇跡、5Dプリントみたいな事を……!」

「流石に彼のよりは劣るよ。絵空事のような光線など作れん。無論、空飛ぶ鉄の箱もだ」

「……この人、一体どこまで知ってるの」

「未知程怖いものはない。特にクオリアについては調べ上げている」


 決して油断して、手の内を明かしている訳ではない。

 折ろうとしている。

 二人の年端もいかぬ少女の心を、圧倒的な力を見せる事で壊そうとしている。


「リーベの妹よ。君の事も調べさせてもらった。もし世が世なら、私がスカウトしていた所だ」

「……戦闘……は出来ません……」

「私も戦闘は専門としていない。トロイの第零師団にいた時からそうだ」

「トロイ……第零師団……!?」

「昔の、だがな。そこでは諜報と暗躍、時には暗殺を少々してきた」


 凛と直立し、微風に灰の髪を靡かせるマスは、まるで教師の様にアイナの利点を論う。


「弱さは、諜報や暗躍においては武器になる。君は弱さを逆手に取って武器とし、我らの油断を誘って劣勢に追い込んだ。弱さを、強かさに君は変えたのだ。これは中々できる事ではない」

『UPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADING』

「だから何ですか……!」

『UPLOADINGUPLOADINGUPLOADINGUPLOADING……99.8%』


 インストールされていく言語の奔流にあっても、アイナは必死に言葉を紡ぐ。無表情すぎるレガシィの残像ホログラムから目を背けて、目前のマスへ反論する。

 心のままの、抵抗だった。

 レガシィにも、そしてマスにも。


「私には……そんなのいらない……そんな心が無い生き方は出来ない……! そんなの、お兄ちゃんを殺した、晴天教会の嫌な人達と……何も変わらない、じゃない!」

「そうか。ところで君の隣にいるのは晴天教会の人間だが?」

「……」


 直後、罪悪感が激痛と侵略に挟まれた小径こみちを駆けた。隣でフィールが言葉に詰まっていた。


(違う、フィールさんは、何も、あれ?)


 

 いくら唇を動かそうとしても、神経が遮断されたように動かない。

 本音が出ない。

 口だけではない。掌を開いて閉じてする事も、経穴の激痛に捩る事も、そもそも激痛を感じる事さえも、出来ない。


(フィールさんは、違う、言いたいのに、今私の左胸ポケットに、あなたの太陽のペンダントが、返したいのに)

『“アイナ”、貴様は矛盾している』


 全身を等しく縛られていた。

 “レガシィ”が、アイナの意識を、精神を、心を、そして肉体の支配権を、根こそぎ置換していた。


『貴様は、フィールを脅威と認識していた。貴様は、フィールを排除したいと考えていた。貴様は、“晴天教会”に所属する存在へ、“憎しみ”と定義される反応を抱いていた。貴様は、矛盾している。貴様は、自身のステータスを正しく認識出来ない程の、脆弱性が著しい個体だ』

(私は、私は……)


 抵抗の仕方さえ分からない。ただ自分を感じ続けるしかない。

 直接脳内を跋扈するレガシィの言語へ、アイナが出来る抵抗は最早それぐらいしかなかった。

 そうして感じ続ける“アイナ”という存在さえ。

 五感さえ。

 次第に、麻酔に浸したように失われていく。


『アイナ、アイナ、応答を要請する』

(……クオリア、様)

『シャットダウンだ。貴様は、全て矛盾している』


 コネクトデバイス。クオリアの声は最後に聞こえた。

 だが、その声は明らかに疲弊している。早くクオリアの所に行かなければ。

 今度は大丈夫ですと、安心させてあげなければ。


(ちがう、よ……クオリア様は……クオリア、様だ、か、ら)


 また彼が、自分の届かぬところで、届かぬ機械に回帰する前に。

 クオリアが、クオリアでなくなる前に。

 クオリ0が、クオ00でなく000前0。

 00リ000、00000く000前0。

 000000000000000000000000000000000000000000000――

 

「安心したまえ。君が私のような暗殺者になることは無いよ。ここから君が成れるのは人質という無力な足枷だけだ」


 とマスが口にした時には、アイナもフィールも羽交い絞めにされていた。

 追いついた騎士達の強腕に、二人の少女程度簡単に持ち上げられてしまう。


「手こずらやがって……」

 

 鬼ごっこの敗北。

 フィールも観念した顔で、伏せる。


 アイナは――もう、

 瞳に、僅かな光が走る。

 それが、完了の通知だった。






 少女の後頭部が突如振動し、羽交い絞めにしていた騎士の顎へ後頭部を打ち付ける。


「おご……」


 怯む騎士。

 猫耳の少女は未だ背を向けたまま、肩と膝から棘を二個引き抜く。

 その棘を、一切見ないで後ろに放り投げる。

 騎士の関節を浅く抉る。

 だが、明らかに軽い損傷の筈なのに、騎士は泡を吹いて突如崩れ落ちた。


「ご、がが、がが」

「麻痺の経穴……!? だと」


 他の騎士や、フィールだけではない。先程まで経穴すら知らなかったアイナが、全身の麻痺を付与する経穴へピンポイントで突き刺したことに、マスさえも顔を揺らめかさざるを得なかった。


『レガシィを……認識』


 唖然としていた人間がもう一人。

 コネクトデバイスの向こう側で、アイナの生還を誰よりも願っていた少年、クオリアだった。

 否、最早少女にとっては、“クオリア”ではない。

 


100%

「君は、何者だ」


 睨むマス。

 その存在は、アイナの顔のまま、生命の兆候を一切感じさせない淡々とした表情で返した。


「本個体は、レガシィ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る