第334話 猫耳少女、98%。
建物の探索中、一人の騎士が僅少な物音を察した。丁度視界に映っている武骨な階段から聞こえた気がした。
「……」
未明の豪雨が滲んで発生した雨水の絨毯。騎士が一段上がる毎に、水面が弾ける。
登り終えると、風化した布で仕切られた部屋があった。その隙間から廃墟にはそぐわない清白のフリルが見えた。
メイド服。騎士の直感と、芋づる式に記憶から飛び出す“フィールと共に逃げている獣人少女”の情報。連鎖して騎士を突き動かす。
「くくく……オラ、サーバー領の教えで一つだけ解せない所があったんだよ……獣人なんて世界を搔き乱した咎人は、まだその浄罪を終えてない……ラック様も、そのことが分かってるはずなのに……オラの家族も、獣人に殺されたのに……」
切っ先をメイド服に向ける。
「殺したらマズいんだよな……けど、生きてりゃ腕の一本や二本までは保証しなくていいってことなんだよなぁ!」
“雑談”によって増大した負の感情に従い、先端を一気に突き出す。全身全霊で、体重を全て載せた突進によって、両手で握られた刃は少女一人の肉体ならば簡単に貫ける。
だが、刃を通じて訪れた不意の衝撃に、騎士の思考は転倒する。
人間の触感じゃない。
“固い”。
「……へっ?」
するりと落ちていく、時間経過を雄弁に語る布。
その向こう側でメイド服を着ていたのは、獣人ではなかった。甲冑だった。
とてもフリルと調和しない、冷たくて固い錆びた金属。生命の兆候など一切感じず、いっそ場違いな甲冑の悪霊を想起させるような鉄の模型がこちらを向いているだけだった。
一体、どうして――。
『ライトニング』
突然提示された異形に思考を過らせる事は無かった。
「お、おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!! ぼ!!!!! ぼ! ぼ!!!」
全神経が、突如迸った稲妻に串刺しにされた。
硬直する体。全身の細胞が焼かれていくのを、焦げていく意識の中で感じた。
僅かに視界が移る。
上半身は桃色の簡素な下着一枚の、猫耳の獣人。邪な気分を呼び起こす、起伏のしっかりした白い肌を晒している事から目を逸らし、棒状の何かを押し付けてきている。
その先端から、ジグザグの閃光が侵入してくる。
魔導器“スタンガン”。
違法改造された武器の正体に騎士は勘付くことなく、忌々しそうにメイド服を着た甲冑と、煽情的な格好の獣人少女アイナへ朦朧となった視線を向ける。
「こ、ぼ、卑怯、もの」
振り絞った罵倒に言い訳するでもなく、全力で騎士の体を押していた。
一回りも、二回りも小さい少女の体の激突に、騎士はよろめく。元々電流によって意識が消滅しかかっていた体は軽かった。
後ろは、先程登ってきた階段。びしょ濡れの階段。
踏み外した騎士の体は、いともあっさりと滑り落ちる。
「がっ!?」
階段の中間で後頭部を打ち付け、騎士が停止する。
「どうした!?」
騒ぎを駆け付けてきた別の騎士数名が、階段を無警戒に駆け上がってくる。
雨水が覆った階段の真ん中で、頭から血を流す騎士へ群がる。
しかし、階段の頂上では。
アイナが“スタンガン”を、その雨水へと押し当てていた。
『ライトニング』
電流は、水という障害物を得て更に拡散する――。
「びびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびびび!!」
「どぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ! ポ!! ポ!! ポ!! ポ!!!」
奇声の大合唱。階段の中腹は稲妻と絶叫だけで埋め尽くされた。
何名かの男達は階段から滑り落ちていき、残った男達もピクリともせず折り重なるように横たわる。
死人が出ていないか、アイナが罪悪感に満ちた視線で見下ろすも、修道服の少女にメイド服を渡されると、一緒に奥へと消えていった。
■ ■
「あの娘……ここまでやれるのか……!?」
更に駆け付けた数名の騎士が、痙攣している同胞を見て絶句していると、同行していたマスがその歩みを制した。水溜まりに足を踏み入れるところだった。
「マス老人?」
「……成程な」
一人短く納得すると、マスは右手を前に突き出す。茶色の魔法陣が掌に形成される。
途端、辺りに砂が出現したかと思うと、階段部分を全て覆いつくす。先程までオアシスのように潤っていた階段が、僅かな時間で砂漠の如く干からびた形相を見せる。
「恐らくは先に行ったとは思うが、裏をかいている可能性もあるからな。念のため、水溜まりを処理しておいた」
「土魔術で乾かした……!?」
「この者たちは、大方雷属性の魔術にやられたな。雨水ならば電気も良く通す。地の利を活かして一網打尽にされたか」
「あの娘、例外属性“雷”を使うのですか!?」
「事前情報ではそんな事は無かった筈だがな。あるいは、魔導器の類を手に入れたのかもしれん。
「魔導器……」
聞きなれない言葉ではあったが、知らないわけではなさそうだ、とマスは頷く。
「たった一人の民間人で、百人の戦力を殺す事も出来る。それが魔導器という、兵器だ」
「ですがそれを差し引いても、ただの
「たかだか小娘と甘くみるものではない」
静かな口調には、反論を許さない鋭利な力があった。
「彼女はあの蒼天党、リーベの妹だ。王都に空前絶後の大混乱を招いた大罪人の血が流れていると見るか、あるいはそれだけの素質を持つ脅威と見るか。少なくとも前者で舐めてかかれば、彼らのお調子者のようになろう」
「……」
立ち尽くす騎士達に、マスは嘆息する。
かつてトロイの第零師団の団長として得た“雑談”の力。心の隙をそっと着いて暴走させ、更にある程度のマスの意志を介在させる傀儡術。
とはいえ、本人の力以上は発揮させることはできない。今回の様に不意を突かれて冷静さを取り戻してしまえば、“雑談”の力も揺らいでくる。このままでは下手すれば、騎士達はマスの洗脳を振り切ってしまうだろう。
アイナという少女がそこまで計算したとは思う気は無いが、しかし今一度マスは自戒して彼女を評する。
(隠れきれないと分かったら、今度は攻めに転じて動揺を誘う、か。如才ないな。これで戦闘や暗躍歴が無いというのだから笑えん)
マスが一足飛びで階段の上へと駆け上がる。
「……が、これで彼女達の腹積もりが確定したな。やはり川に飛び込んで下流まで流れ着く気だ。大方この惨状はそれまでの時間稼ぎと言ったところだろう」
再度この建物の構造を思い返す。氾濫時を想定してなのか、あるいはただの欠陥なのか、あるいは元の所有者がこの廃屋を良からぬことに使っていたのか理由は不明だが、川に面している方向に人一人がすり抜けられる窓は存在しない。
川に飛び込むならば屋上へ向かう必要がある。
(徹頭徹尾ローカルホストの騎士にやらせる事で、ランサム様の関与を“建前上”一切無くすつもりではあったが……)
「止むを得んか」
手札を切らないといけない事を自覚し、遂に自らの体でアイナとフィールを追いかける。
■ ■
『個体名“アイナ”の制御率98%』
アイナの意識が一瞬ぐわん、と攪拌された。脳内に渦巻く途方もない流れ。その中心に“レガシィ”が在る。
「アイナ!? 何してるの?」
「……いえ」
「……さっきの人達なら生きてるよ。死んでてもアイナのせいじゃない」
最上階。ここから屋上へ行くには、今フィールが脚を掛けた梯子を使って登っていくしかない。
上から掛けられたフィールの声に、『そうじゃない』と返しそうになったが止める。流石に“意味不明な存在に脳内を乗っ取られそうなんです”なんてものを悠長に説明している暇は無いし、自分の中では先程の騎士達への攻撃は、割り切ったつもりだった。
否、案外『そうじゃない』と言えないかもしれない。
生きる為ならば仕方ない。そんな言葉で片づけられる罪は、案外狭いようだ。
だが、その感情も同じく“レガシィ”が脳髄を叩く衝撃で吹き飛ばされる。
兎に角今は、逃げる事が優先だ。
罪悪感に浸ることも、別の意識と真っ向から対決することも、命あっての物種なのだから。
陽光を久々に受けた。
屋上に二人は出た事を意味する。
後はまっすぐ走れば、龍のようにうねる川へ飛び込むことが出来る。一か八か、生存権へのギャンブルに身を投じることが出来る。
「うわっ!?」
フィールが突如身を捩る。倒れた彼女の右肩には、短剣よりも細い鉄製の爪状の先端が突き刺さっていた。
その方向を見た途端、アイナの全身に恐怖が走った。
死神のような雰囲気を纏った、一分の隙も無い老人が直立していた。
クオリアから聞いた言葉を思い出す。
確かランサムやルートと一緒に、マスという老人がこのローカルホストに訪れると言っていたような――。
「少々手荒で済まない。仕事でね。大人気なく、この鬼ごっこに勝たせてもらう」
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