第332話 人工知能、猫耳少女のログアウトを知る。

『行くのかい。スピリト』

『これ以上王都を空けてられない。お姉ちゃんが変な気を起こすとしたら、そろそろだから』

『そうか。しかし君がいきなり決闘を申し込んできてから1年半か。すべての時間をおぼている。それでも振り返る時にはいつも、“長いようで短かった”という在り来たりな感想が出てくるな』

『ワタヌキ師匠。ありがとうございました』

『礼を言うのは僕の方だ。久々に楽しいという感情を得たよ。色々初心に帰れた』


 “ワタヌキ”との修行の最終日、スピリトは特に涙を流すことはなかった。当ては無くとも会いたくなれば会えるような気がしたからだ。何となく。

 最後まで、 “参った”を言わせることが出来なかった師匠へスピリトは尋ねる。


『最後に教えてよ。師匠は、何者なの?』

『何者でもないし、何物でもない。君が今まで見てきた以上の事はない。僕は、知っている事は知っていて、かつ知らない事は知らない事実を知っているだけだ。それに僕が誰かなんて事は君にはどうでもいいことだ。そうだろう? 君がなろうとしている剣とは何か。君が剣となってお姉さんの道をどう切り開くか。その命題に比べれば、僕の出自など些事でしかない』

『……』

『それに、僕が特別な何者かだとしたら、今まで君と学んできた“剣”への問いも嘘になる。特別な何者じゃないと、あるいは神じゃないと得られない性質は本質じゃない。辿

『そういう事じゃなくて』


 得心が行かない、“ワタヌキ”を凝視する細まった眉。時折その瞳を隠すスピリトの前髪と、ワタヌキが着用していたボロ布が涼風に揺れる。

 少し折れたように、ワタヌキが瞑る。


『“クニ”ではね、僕は周りからと名付けられていた』

『ローシ?』

『そう。“漢字”で書くとしたら、老荘思想の老に、子供の子』

『……? カンジ? ローソー、シソー? 発音がおかしいような』

『さあ、行きな。友よ。姉を救い、剣とは何かに答えが出たら、また会おう。その時は君が僕に教えてくれ』


 突如突風が押しかけて、付随する砂煙がスピリトの視界を遮った一瞬で、“ワタヌキ”は目前から姿を消してしまった。煙に巻かれてしまった。

 奇妙な一年半だった。それだけの長い期間を共にしながら、“ワタヌキ”という女性の事を――“ローシ”と奇妙な発音の名前を遺した女性の事を、よく理解していなかったのだ。

 だが、それでも一緒にいて悪い気分はしなかった。

 彼女のおかげで、百人のならず者に囲まれようとも一蹴出来る力は得た。

 きっとまた会える。

 その時は、“剣になるとはどういう事か”という問いに、凡人を代表して胸を張って答えたい。


          ■          ■

 

「スピリト、応答を要請する! スピリト!」


 後ろで、ランサムの慟哭が騒がしかった。しかし、夢から引き戻したのは、自身を抱き抱えるクオリアの物憂げな顔だった。

 涙の代わりに滴る血を気にも留めず、只管スピリトの名を叫んでいる。


「……? あれ? 何がどうなったんだっけ?」

「あなたはランサムを無力化した。その後、あなたは機能不全に陥り、失神スリープ状態となっていた」


 体が上手く動かない。無数の重りで縛られているような気分だった。

 何とか首だけを動かすと、クオリアの後ろでランサムが右肩を抑えて悶えていた。右肩の付け根から先が、更に遠くに転がっている。


「クオリアが斬ったの?」

「否定。あなたがランサムの右肩を切断した。あなたは“懸解アイオーン”時の記憶領域に、異常が生じている可能性がある」

「私が“使徒”を斬ったの? 記憶が……んー、何かふわふわしてた感覚しかないっていうか」


 必死に一分前までの記憶を手繰り寄せようとするが、全て無駄に終わった。“懸解アイオーン”とは何かすら尋ねられないくらいに、疲れているせいかもしれない。


「ってか、ランサムを放っておいて大丈夫なの? くそ、体が上手く動かない……」

「肯定。例外属性“恵”でも、欠損分のダメージは完全に回復は不可能と判断」


 クオリアの助けを借りながら起き上がって、一緒にランサムへ視線を向ける。

 右肩の断面自体は例外属性“恵”で治癒したのか、すぐに塞がっていた。しかしアンバランスに片側を喪失した体と、床一面を汚す夥しい血液が深刻さを鮮明に表現していた。

 例外属性“恵”の回復で再生できるのは、欠損が無い場合のみ。新たな肉体の生成まではできない点は、クオリアの予測通りだった。


「ああ、でもそうか。良かった。私、ちゃんと君の剣やれたんだ」

「肯定。自分クオリアが扱った場合よりも、大きな成果を上げている」

「当然じゃん。私は君の師匠なんだから。舐めんなっての」

「“すごか、った、よ”」


 指を差して豪語して見せたが、心の底から素直な感想を返されて、差した指が曲がり始めた。完全に覚えていないのが惜しい。

 だが直ぐに嬉しさが感情の全てを支配し、スピリトの頬が自然と緩んだ。 


「許さんぞ……この体では、ユビキタス様へ最高峰の奉仕が出来ぬではないか……! 貴様は、“聖剣聖”の名を汚したガキでありながら……!」


 片腕を失ったことで左右のバランスが崩れ、残った左腕で支えながら上半身を起こすランサム。信徒としての体を破壊された無念を呪詛の様に吐きながら、ぎょろりとスピリトを睨む。 

 だが辛うじて這わんとした動きさえも、突如停止した。

 見れば、満身創痍のラックから線が伸びている。

 クオリアにもスピリトにも理解不能な光る記号の羅列が、互いに繋ぎ合って直線を構成し、縄のようにランサムの全身へ巻き付いている。


「ら、ラック、貴様……!」

「致命傷の回復には相当魔力を使う。“飛火夏命メメントモリ”で増幅せしめた分も、例外属性“恵”で枯渇したようだな。私の封印魔術にも抗うことが出来ないとは」

「説明を要請する。封印魔術とは何か」

「例外属性“詠”の応用で、対象の魔力を抑え込むことが出来るんだよ。まあ、ランサム相手では、ここまで弱り切ってくれなければ発動出来なかったがな」


 例外属性“詠”の魔力であれば、クオリアがラーニング出来ないのも当然だ。だが未知への理解へ費やす時間はない。

 ランサムにこの状況を打破する余力は残っていない。それが分かれば十分だ。


「行きなよ」


 呼吸を整えてクオリアの心配を減らしつつ、スピリトが背中を押す。


「もうランサムはラックに任せとけば大丈夫でしょ。でも私は一旦ギブアップ……だから君が、アイナを助けな」

「……肯定」


 “今度こそ”。その言葉が示す出来事は、もう想像したくない。

 クオリアは立ち上がると、5Dプリントを起動した。


『Type WING』


 銀色の各パーツがクオリアの胴体に装着されると、室内に風を誘い込む破壊の空洞からローカルホストの街へクオリアは飛び立った。

 スピリトは壁に背を預け、弟子が師匠から巣立ちしたように小さくなっていくクオリアの影を目で追っていた。ラックも同じ視線で、クオリアを見ていた。


「情けないな、ランサム。俺達は、もう次世代に抜かされたんだよ」

「俺は……認めん」

「老人に出来るのは、精々悪知恵を働かせる事くらいだ。さあ、会談の続きと行こうか――ただ、そもそもこの会談には時間制限があった事を忘れていないだろうな」


 はっ、とスピリトが現実に引き戻される。

 この一件には、まだ倒さなければいけない“神”と呼んでも差し支えない怪物が関与していた。


「じゃあ、話をしようか。何せお前は父親だからな。奴の弱点を知っている筈だ。



        ■          ■


 コネクトデバイスによるマッピング情報は、通信相手の脳波が生きているかの疎通確認結果も示す。故に、アイナの現在位置を描写する点を認識して、僅かにクオリアは安堵した。


 だが左網膜に投影された位置情報は、相当距離が離れている。かなりの距離を逃げたように思われる。即ち、今もアイナは生命の危機に晒されている。

 今生きていても、間に合わなければ意味がない。


「アイナ、アイナ、応答を要請する」


 高鳴る心臓を抑えながら、コネクトデバイスでアイナの連絡を待つ。

 アイナの声を聴きたい。

 無事なアイナを見たい。

 早く、会いたい。

 今度こそ、その心臓を止めさせない。止めさせてたまるか。



「レガシィを……認識」


 だが、帰ってきた声は。

 ある意味、アイナが殺されたも同然の状況を意味していた。



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