第331話 人工知能、『上善如水』を見る③

 スピリトの“懸解アイオーン”限界時間まで20秒。

 ランサムの見積は、見事に正確だった。


 全身を纏う例外属性“焚”で編まれた鎧を、動きの有利を多少犠牲にしてでも最大限堅牢にする。右手で握り締める例外属性“焚”で研磨された聖剣を、攻めの優勢をかなぐり捨ててでもスピリトの剣を受け止める盾に使う。

 時間稼ぎを選択した後ろめたさは、かのユビキタスのみに許された“懸解アイオーン”を騙る不届き者への怒り、そして自身の“界十乱魔”を受けて尚千切れていない事への衝撃でとうに消滅している。


 だが、さりとてランサムも“ブルーウォー”を、ヴィルジンとの死闘を生き延びた百戦錬磨の使徒。現人神に仕えるに相応しいと自負する理性で感情の高波を抑える。

 スピリトが“懸解アイオーン”の域に達したとは認めないが、全身の発汗量、先程から一切呼吸をしていない様を見れば、彼女にとっては無理な動作なのは火を見るよりも明らかだ。『限界を超える』なんてロマン、あと20秒も保たない。

 子供のままごとに付き合う気は無い。大人らしく馬鹿な自滅を待つ。

 ランサムは、賜物たるユビキタスの遺伝子例外属性“焚”だけにかまけた阿呆ではない。確実な有利と勝利を選んできたからこそ、今日まで生き延びてきた。

 経験に裏付けされた余裕の態度で緋色の鎧を膨張させ、スピリトが跳ぶように駆けてくるのを待ち受ける。どこを斬ってくるかは大体分かる。ならばその個所に魔力を集中させれば――。



 突っ込んでくるスピリトの背後から、無数の光線が伸びた。

 全てスピリトを紙一重で掠めると、そのままランサムの例外属性“焚”に突き刺さる。


「ぬぅ……!」


 ダメージはない。荷電粒子ビームさえも例外属性“焚”は拮抗する。

 だが被弾箇所から伝わる衝撃が伝播し、ランサムがよろめく。

 そのよろめきが十分すぎる隙。

 通り過ぎるスピリトが放つ重複の斬撃。

 ランサムの首へ届く。


「が、あああああ!」


 千切れた頸動脈致命傷から噴水。だが出し切る前に、即座に例外属性“恵”を張らせて止血する。

 背筋が凍った。もう少し深かったら、回復しきれずに死んでいた。

恐怖に押され、スピリトとクオリアから距離を取る。だが出来たほんの僅かな時間も、やはりほんの僅かな刹那でしかない。スピリトが細い翼のように荷電粒子ビームの刃を二つ掲げ、“縮地”で距離という壁をあっさりと崩してくる。

 鷹の視線が、先行してランサムを突き刺す。

 先ほど首を穿たれた現実も相俟って、足元が縫い付けられたような不快に揺蕩う。


「なんだと!?」


 だが驚愕したのは、その後だ。

 再び荷電粒子ビームがスピリトの隣を追い越して、ランサムの全身に直撃する。荷電粒子ビームに籠められたエネルギーが、ランサムから平衡感覚を盗む。 


「クオリア、お前」


 着弾までの過程。無数の光線は、スピリトを見事に回避しきっている。


!?」

 

 そもそもスピリトは無数のフェイントを入れて、ランサムの行動を制限してきている。言い換えればクオリアからすれば、銃撃による援護はし難い筈なのだ。

 出鱈目なスピリトの動きと、荷電粒子ビームの軌道が噛み合わなかった途端、華奢な体を荷電粒子ビームが貫く筈なのに。

 だが、スピリトは一切後ろを意識していない。前のランサムにだけ集中している。

 一方、荷電粒子ビームは“ぐにゃり”と曲がる際に、決してスピリトを避けようとしていない。精々ランサムの着弾箇所を微調整する程度だ。

 なのに、青白い灼熱の関数は、初めからスピリトがいないと分かり切っていたように迷わず直進し。

 スピリトの背中を射る事も無く。

 結果、最短経路でランサムに突き刺さった。


「お、のれ!」


 着弾自体は二回目という事もあって、驚愕を抑えることが出来た。

 スピリトの強烈な斬撃も、再び退いてやり過ごす。

 だが鎧に籠めた大量の例外属性“焚”が仇になる。

 “縮地”の速度が出ない。

 勿論最大限に例外属性“焚”を注入した場合の“鎧”の重さも弁えている。自身の身のこなしに支障が無い範囲は熟知している。


 加えて、最初からランサムの体勢を崩すことを目論んだ荷電粒子ビームの衝撃。

 よろめかざるを得ない。

 それがスピリトという少女の前では、決定的になる。

 しかも時間がたつにつれて、スピリトの“縮地”が速くなっている。

 ――逃げ切れない。


「く、お」


 その視界の端に、映る。

 こちらにフォトンウェポンの銃口を向けてくるクオリアの顔が。

 二つの瞳。

 その目には、何も映っていない。


「馬鹿な」


 純粋な眼球は、スピリトに追い付いていない。

 無垢の視線は、スピリトを見ていない。

 だが、射線には時折スピリトが重なる。


「貴様、、だと!?」 

「肯定」


 トリガーが再度弾かれる。

 荷電粒子ビームが淡く発光する。

 消耗した瞳に、深い確信が見え隠れする。


自分クオリアには、多くのスピリトとの経験データが存在する。だからこそ、スピリトのアップデートも、ラーニングする。


 経験だけで、見ないで完全に予測するなんて不可能だ。

 だが、クオリアは実際にやって見せている。

 スピリトという一人の少女を、物理演算しきっている。

 例外属性“母”に傷つけられた回路を、全てスピリトへの理解に回して。


 荷電粒子ビームの直線状に、スピリトとの交点がある。

 だがスピリトを通過する直前に、重力から解き放たれた身のこなしでスピリトがズレた。

 必殺の粒子が織りなす光が、一瞬ランサムにとって逆光になる。

 眩しい。眩む。

 最上段に二つの刃を構えたスピリトの火影。

 聖剣さえ刃毀れさせるような、スピリトという一振りの剣に、感覚の全てを吸収された途端だった。


 右肩の一点に、全ての荷電粒子ビームが連続で着弾した。


……まずい!」


 荷電粒子ビームは、やはり例外属性“焚”の魔力に遮られる。だが寧ろそれがクオリアの狙いだった。これからスピリトが斬るであろう右肩部分の装甲を、緋色の魔力に匹敵する粒子の波を以て破壊したのだ。


「ありがとう、クオリア。やっと見えたわ、最適解ってタオ


 魔力の補充が間に合わない。防御の動作も間に合わない。

 

「あんたは教皇の剣だったんでしょ。真の“聖剣聖”とやらなんでしょう?」


 迫る小さな体は、既に全てを出し切っていた。血走った瞳が、浮き出た血管が、軋む全身がその限界を雄弁に物語る。


「なのにずっと防御一辺倒だった。我が身可愛さに、ずっと守りに徹してた。私の動きだって見切っていたんでしょ!? 攻めていれば、私を倒せたかもしれないのに!」


 ランサムの失敗を的確に言い当ててくる。

 この期に及んで枢機卿としての意地が、ユビキタスの血縁たるプライドが刺激に反応する。焦げる苛立ちが、判断を鈍らせる。

 思わず、聖剣が動いてしまった。

 例外属性“焚”の鎧を修復するよりも、鬱陶しく飛び回る子供へ八つ当たりする事を選んでしまった。


「こ、娘がああああああああああ!!」


 激昂に突き動かされた時には、すでに遅い。

 鳥が飛び立つ直前の、蕾が花開くかの如き姿勢を取っていた。


――」


 スピリトは分裂しない。

 分裂するは、クオリアから受け取った二つの刃。

 二十の刃が、箒星のように燦然と瞬く。

 究極の集中状態で振り切った二十のそれは、もしかしたら万全のランサムであろうとも防げないものだったのかもしれない――。


「こんな小娘に、俺が……!」

「あなたは誤っている。スピリトは自分クオリアよりも、非常に強い。あなたが最も警戒するべきは、スピリトだった」


 全ての弧は、寸分違わず重なる。

 

「――


 一振りの剣がランサムの右肩を斬り落としたタイミングで、丁度一分だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る