第330話 人工知能、『上善如水』を見る②

 一人の死と引き換えに作られた、独り善がりの聖剣。

 一点の曇りもない緋色の刃が、切断よりも先に蒸発せしめる灼熱の刃が、猛然と迫り来るスピリトの首を刈らんと一閃される。


 ちゃぷ、とスピリトの輪郭をした水が弾けるイメージが先行した。

 釘付けになったランサムの意識を置き去りにして、輪郭が流動的に見える動きで移動する。

 ランサムの頭上。

 天井を足場に、たん、と自由落下を始める。


 ランサムの反応が早い。

 緋色の巨体から、“焚火ドレッドが噴き出す。

 

 されど、流麗な少女の動きそのものが自然体。

 上から下へ。静から動へ。

 滴る雫として。散る葉として。

 ランサムの意識も、クオリアの認識も飛び越えて。

 硝子細工のような体が、再び形を失ったように見せる。

 水を体現したように、魅せる。

 人を塵へと果てさせる燦然とした緋の玉が、寸前まで肉体があった空洞を抜けた。

 しかし“聖剣聖”の少女はもう、そこにはいない。

 錯覚に心を奪われていたランサムとは、既に零距離。

 瞬きしない二つの眼が、朱い魔力に守られた裸の王を見下ろす。


「また……!」


 全身を惜しみなく剃らせて。

 落下の助走も得て。

 右手のビーム

 左手のビーム

 玩具でも扱っているような純粋な剣捌きで。

 自由に超未来の技術を備えた両翼を広げ。

 緋色の魔力へ、轟然とフォトンウェポンを振り下ろす。

 青白い二直線が成った剣閃は、奇麗に真一文字を描く。


「……馬鹿な、俺の例外属性“焚”を……!?」


 浅い。

 それでも鮮血が僅かに散る。

 荷電粒子ビームさえ拮抗する筈の例外属性“焚”の鎧が突破された。

 寸分狂わず斬撃が重複した結果、凶悪にして強靭な例外属性“焚”を二重に削ったのだ。


「スピリトの挙動が、これまでラーニングしてきたものとは異なる」


 クオリアの眼にも、スピリトが水となってランサムの攻撃をかわす様が見えた。

 無論、そう見えただけだ。

 スピリトに基本属性“水”の魔力素養はない。


 流動する輪郭の正体は、残像。

 分裂する歩法“乱魔”。これ自体はスピリトの十八番だ。

 ただいつもと違うのは、最初から分身して攻めていない事。

 直前までランサムの視線を誘導し、攻撃が炸裂したと思わせた際に、“乱魔”を発動している。

 結果、在りもしない残像を緋色の聖剣は薙ぎ続けている。


 “速さ”だけでは、成せない。現に速度、技巧、力のどれを取ってもランサムの方が格段に上だ。

 ただ、今は酷使した脳を休ませている元人工知能の弟子のように。

 視線誘導の際に、ランサムの行動を全て。 


「スピリト」


 声を掛ける。だが部屋中を縦横無尽に駆け回る少女に、行動の変化はない。

 微かに見えるスピリトの青い宝玉のような瞳には、恐らく何も映っていない。

 恐らくクオリアの声が聞こえていない。

 彼女の世界は、コンセントが抜けた静寂の暗闇になっている。

 暗闇の中で、光ある未来を手繰り寄せる事しか考えていない。 

 この宇宙を置き去りにして、二つの脚で疾風を再現し続ける。


 間違いなく、今のスピリトは普通ではない。

 クオリアもラーニングしていない領域に、足を踏み入れてしまっている。


「“懸解アイオーン”……彼女は、その領域に……これは、夢か」


 蝶々のように舞うスピリトを見上げて、ラックが息を呑む。


「説明を要請する。それが現在スピリトが置かれている状況か」

「雑念に囚われず、能力を100%発揮する。そんな極限の集中状態……研鑽を重ねた才ある者しか入れない領域を、最近の学者は“ゾーン”と呼んでいる。だがこの“ゾーン”の先に、もう一つ“究極の集中状態”と呼ばれる領域がある」

「それが、“懸解アイオーン”か」

「そうだ。“懸解アイオーン”に到達した者は、その能力を100%以上引き出すことが出来る。それこそ、神話級の実力を発揮する事も……」

「戯けが! 虚言もそこまで来ると大概だな!」


 苛立ちを前面に出して、ランサムが吐き捨てる。


「そんな訳が無かろうが。貴様も現人神に仕える事を自称するならば、裂けてもそのような事を言うな! “懸解アイオーン”へ入ることが許されたのは、!」


 向かってくるスピリトへ眼光を飛ばした途端、ランサムの姿が消える。

 朱い流星が、会談の室内に無数出現する。

 “縮地”。

 途端、スピリトの“周り”でランサムが緋色の剣を振り被っていた。

 駆ける速度も、身のこなしの速さも、やはりスピリトを凌駕している。


「舐めるなよ小娘が! “聖剣聖”の真の剣術を思い知らせてやる――“界十乱魔”ァ!!」


 怒号を体現するような、濃いコントラストの緋色の影。

 小さな剣士を、空間ごと埋没させる。

 その数、

 スピリトが象れる分身の、二倍もの数。

 二十の刃が、死神の鎌の如く無慈悲に振り下ろされる。


 一方のスピリトは、迷いもなく。

 


「!?」


 スピリトに降りかかった全ての三日月が、必殺の形をしていた。常人ならば一振りで首を断たれ、蒸発していただろう。

 だが出鱈目な動きで、死の斬撃を紙一重で掻い潜る。

 フェイントで剣閃を誘導し、生じた僅かな隙間で踊る。

 “懸解アイオーン”の極致からは、何者も剥がせない。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、十九――瞬きさえ命取りの、聖剣の結界を独舞するスピリトを、クオリアは分析した。


「スピリトは、既に最適解を算出している」


 これまでのセンス任せ、“縮地”頼りの剣術とは違う。

 狂ったような動作一つ一つが、ランサムの胴体を斬るまでの途中式。

 重なる。

 かつてスピリト自身の“界刀乱魔”を破った時のクオリアと。


 二十。ランサムが刹那の連撃を終えて振り終えた直後だった。

 ランサムの脇腹から、無視できない量の鮮血が飛び散る。


「がっ……!? 馬鹿な……」


 即座に例外属性“恵”を押し当て回復するが、愕然とした表情は癒えない。

 不可避の“界刀乱魔”の渦中にあったにもかかわらず、傷だらけのスピリトの体に、追加の切り傷一つさえない現実を受け止めることが出来ない。


(やはり……“懸解アイオーン”だというのか……貴様があの、ユビキタス様と同じ……)


 迷いを振り切るように小さく首を横に振るが、何かに気付いたようにランサムの頬が吊り上がる。


「……四回同一箇所を斬っても足りない……でも例外属性“焚”の配置に僅かに粗がある……今度はあの個所を……」


 一方のスピリトに慢心はない。人間の範疇をはみ出した集中は崩れない。それどころかここに来て、凄みが増している。

 だが、そんなスピリトを見てクオリアは安堵する事はない。

 


「スピリトの身体反応に、異常を検出……」

「気付いたかクオリア君。“懸解アイオーン”には副作用がある。晴天経典にも、同じ記述が見られる」


 ラックもクオリアと同じ景色を、苦々しげに見つめていた。


「“懸解アイオーン”のような究極の集中状態は反動が大きい。スピリト姫の身体や精神が追い付かない……このままだと崩れるぞ」

「スピリトの限界は、残り30秒と認識……!」


 “懸解アイオーン”の時間制限。

 即ち、オーバーフロー。

 クオリアの見立てでは、それを過ぎれば反動で立っている事さえ出来ない。

 ランサムもそれに気付いて、完全に防御に徹している。

 例外属性“焚”の魔力を鎧に集約し、スピリトの斬撃を防ぎ切っている。スピリトの限界が来るまで耐え凌がんとする魂胆だ。

 

「卑怯な……! それでも“使徒”か!? “聖剣聖”かランサム!」

「身の程弁えぬ力で勝手に自滅しているだけだろう!? 何が卑怯だ! これが正々堂々たる剣士の戦いよ! 異端の癖に作法を語るとは何事だ!」


 穢れ無き少女の体が跳ぶ。荷電粒子ビームの刃が、連続でランサムに衝突する。緋色の聖剣が、鎧が歪む。だが嘲笑するランサムまでは届かない。

 時間という罠で、スピリトの体が軋んでいる。このままではスピリトの命が溶けていってしまう。

 ノイズが、渦巻く。

 演算しようとすると、体を動かそうとすると、“母親”に蝕まれた脳が悲鳴を上げる。クオリアのCPUとメモリは、既に過熱状態だ。


 だからどうした。

 万全に体が動かないからどうした。

 アイナと同じく、スピリトだってもう家族だ。そしてこれからも、一緒に学んでいく師匠だ。


 また王都に帰ったら。

 スピリトと、模擬戦を行うのだ。

 スピリトから、学ぶのだ。


「あなたが、“自分クオリアの剣となる”事を実行するのならば」


 ノイズを無視して、クオリアが状況を分析する。

 半壊した空間。先程まで会談に使っていたテーブルは中心で折れている。十の椅子は不規則に散らばっている。

 掌で踊る少女を、嗤うランサム。緋色の魔力の軌跡。

 “使徒”の結晶も、自分自身も削るスピリト。止まれと言っても、止まる気配はない。

 そして、過去一か月間、ずっと見てきた、スピリトの剣閃。

 ずっと学んできた、スピリトそのもの。


『Type GUN』

『Type GUN』

自分クオリアはあなたの銃となる――最適解、算出」

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