第321話 第三王女、これが三度目
「
深紅に染まった一つの命が、神聖が保証された筈の空間を煌々と着色していく。
『仰ぎ見よ 愛の火を降らし 咎の火を救い給う太陽を 我らの主はかの晴天におわす 我らの主はかの晴天で待っている 私が贄となりて切り開こう 我らの祈りを剣とし 我らの歌を刃とし 我らの誓いを道とし 邪な魔を断ちて 御許へ進もう』
“使徒”へと昇華する
「
無音だった。
ただ、緋色の空気がランサムを中心に波及した。
深海のような済んだ青色だったランサムの髪が緋色へと変貌を遂げ、全身を紅の空気が纏っている。
ハルトの時のような、重々しい鎧を纏っているような印象は無い。
代わりに、まるで神を降ろしたような、肉体そのものが一段階上へと進んでしまったかのような、神々しさそのものが鎮座している。
スピリトの呼吸が重くなるくらいには、本物だった。
特に、ランサムが左手に掴んだ深紅一色の長剣から、心臓を叩く様に凄まじさが伝わってくる。
無理もない。
あの緋色の剣は、一つの命と引き換えに成立している。
一応は晴天教会の信者であるラックさえ、その犠牲に顔を歪めた。
「俺は信徒の生命を、強力な例外属性“焚”の魔力へと変換することが出来る――先程の信徒は、役目を果たした。我が“聖剣”へと、彼は成った」
ラックも知らない様子だった。どうやら腐敗しきった枢機卿になってからも、信仰心とやらと戦闘力は研鑽し尽くしてきたようだ、と決して周りを傷つけることのない緋色の魔力を見てスピリトは沈黙する。
「教皇。今は休憩の時間です。御戯れは今のうちに」
「ありがとう、ランサム。それでは本腰入れて息子を愛でて来ますわ」
日常の有り触れた事と言わんばかりに、ルートがスピリトの横を通り過ぎようとする。
「待ちなさ――」
通せんぼをしようと回り込むことさえ、許されない。
紅い影が、スピリトを飲み込む。
「……っ!?」
小さな体が、一瞬で壁に叩きつけられる。
回避も、防御も出来ない。
「あ、ああああああああああああああ!!」
緋色そのものが、スピリトの体を駆け抜ける。
血を吐くスピリトの全身は爛れ、黒い焦げ跡に汚染されていく。
悶えるスピリトを汚物に向ける視線で見下すと、去り際にルートが命令を残す。
「ちゃんとスピリトは、生きたまま私のところへ連れてきなさいね」
「承りました」
クオリアとロベリアを追って消えるルートに、誰も見向き出来ない。
何せ、赤い破壊の権化が、人の皮を被って少女を痛めつけているからだ。
「やめろランサム! 会談を放棄するつもりか!」
「会談を放棄したのはそちらだ」
傷口を抑えながら叫ぶラックへ、往なす様に返答する。
「貴様らは会談と謀り、教皇を弑さんとした。教皇の剣たる枢機卿として、その蛮行を見過ごすことは出来ない」
「先に手を出したのは教皇だ! スピリト姫も、教皇にこれ以上の力を行使させない為に道を塞いだに過ぎん!」
「異端が教皇の前で刃を手にしたのだぞ? それを神への反逆の意志と捉えずして何と言う」
甲冑の足音。
騒ぎを聞きつけた騎士達が、豹変したランサムを見て状況を理解したのか刃を向ける。更にラックと共に参加していた重臣らも、かつては歴戦の戦士だった身として、目前に魔法陣を創り出す。
「ラック侯爵。これは最早会談ではない。何が“正統派”だ。晴天経典に出るような侵略者を、その身で体現しているに過ぎん!」
騎士の剣。
重臣の魔術。
それらが一気呵成に、ランサムへと襲い掛かる。
「待て、“使徒”はそれでは――」
「異端審問に掛けるまでもない。貴様らは等しく火炙りだ」
スピリトへ向かい歩いていたランサムは、一瞥する事さえもせず――ただ緋色の刃を一振りした。
騎士が振るわんとしていた鋼鉄も。重臣が放たんとしていた魔術も。
じゅわ、と。
その肉体ごと、通過した緋色が蒸発させた。
「うっ……!」
エネルギーの余波で吹き飛んだラックは、次元が違う破壊の痕跡を目の当たりにする。
もう、何もなかった。
誰かがいたような痕跡がある、黒い炭が辺りに散らばっていたくらいで、何もなかった。あまりに強すぎる例外属性“焚”によって、ほんの僅かな炭化した肉体組織しか残らなかった。
それどころか、背後にあった壁さえも消滅している。
陽が無邪気に差す空白の光景は、最初からこんな建築構造であったかのようにさえ感じる。例外属性“焚”の余波だけで、ここまでの灼熱を生み出した。
「流石に経験の差が出たか。命を拾ったな、ラック。実際お前は殺そうか殺さないか、まだ見極めている所でな。一応は会談の結果は残っておいた方がメリットもある。勿論その為には羊皮紙に書かれた条項を、お前に書き換えてもらう必要はあるが」
“正統派”への三つの要求が記された羊皮紙を灰に帰すと、ランサムの目線はようやく立ち上がったスピリトへと向けられていた。
「手加減したのに、立ち上がるのが遅いぞ。それでも“聖剣聖”か。その名はな、本来“神聖”アカシア王国においては重要な立ち位置にあったのだぞ? 伊達や酔狂で君みたいな小娘に付ける名ではそもそも無いのだ」
「……あっそ、知らないけど」
スピリトの袖から、柄の部分だけが滑り出てきた。
『Type SOWRD』
『
機械音声、そして伸びる
十分な間合いへ不用意に近づいてきたランサムに対して、一気にスピリトは青白い刃を振りぬく。
クオリアから貰ったフォトンウェポン。
握る柄を通して、鍔迫り合う刃を通して、体が粉砕しそうなエネルギーがスピリトの中へ流れ込んでくる。既にボロ雑巾の様に傷ついた体では、長くは保たない。
「それもあのクオリアから借りた力だろう。確かにこの緋色の剣とさえ渡り合えるその忌々しい武具。奴は確かに警戒に値していたが……一方の“聖剣聖”、スピリト嬢。やはり君だけであれば何の問題も無い」
「るっさい、るっさい、るっさい! 私の弟子を壊しておいて、クオリアをあんな風にしておいて、今更“聖剣聖”も何もあるかっての! 私の、私の家族をこれ以上滅茶苦茶にしてんじゃないっての!!」
そして、スピリトは消える。
例外属性“焚”に焙られた訳でも無く、速度の彼方に消える。
「秘奥義――
十体に増えた。
スピリトも。
そして、ランサムも。
「本当に残念だ。遅すぎる」
十体の残像を創り出す事が、スピリトの秘奥義だった。だがランサムは事も無げに、秘奥義とすら呼ぶ気にならないくらいの手軽さで、同じく十体になってスピリト全ての目前に現れた。
これが“使徒”。
ユビキタスの
『スピリト。君が僕に何故負けたか分かるかい』
その残像全てで、スピリトは斬りつけられた。
ルートに言い含められた為か、死なない絶妙な匙加減で、十度斬りつけられた。
『君はこれからも負けるだろう。君がいくら、剣を、そして速度を極めようとしても、きっと君よりも剣が巧く、速い存在は出てくる。そもそも身体能力や剣の技巧は、僕に勝てなかった理由じゃない』
床に転がったスピリトの耳に、たった二年前に聞いた懐かしい女性の声が聞こえる。まるで世界の化身と言わんばかりに、常に自然の風を満喫しているような様子で、“最初に会った時”もこうして倒れていたスピリトの隣で、朗らかに言って見せた。
『君が剣に、なっていないからだ。僕は剣になっていた』
それがどういう意味なのか。
スピリトは分からないまま。
クオリアに“参った”をして。
そして今、散々に打ちのめされている。
「“ワタヌキ師匠”。あれは、どういう、意味なの」
過去と混濁した意識の向こう側で、今日も“ワタヌキ”は答えない。
■ ■
「クオリア君……」
大きな破壊音が背後からして、置いてきたスピリトへの不安が急に増した丁度その時だった。
クオリアが、床で頭を抱えながら苦悶しているのを、ロベリアが見つけたのは。
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