第303話 人工知能、頭を下げる
「人の……叫び声……?」
到着したと同時、後続の騎士達は確かに聞いた。
聞こえた、というよりは耳を超えて心に直接響く――慟哭があった。
ただし、そこはかとなく認識した程度の、か細すぎる叫び声だった。
別動隊が保護したという獣人の青年、ウォーターフォール以外にも林に誰か潜んでいるのだろうか。
騎士達が応急処置を施しているアジャイルは違うだろう。左腕を失い、大量出血で意識不明となっている。
ならばノーフェイスゴーストと、“神話に出てきてもおかしくない、大地そのものが化身となったような巨人”――
と、困惑の数秒で、更なる変化が起きた。
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握りつぶされた果実の如く、
一気に四方八方へ拡散する!
「う、うわあ……!?」
噴き出た内容物が、何色にも濁った流動体が、咢を開けて騎士達に迫る。
眼を覆って、硬直した。
思考の全てが停止した。
死の一文字が脳を占める。
世界が暗くなる。
夜雨の景色が、一層暗くなる。
「……!?」
遅れて視界が暗くなった理由に行き着く。
「俺達を……守った……!?」
この
はみ出した流動体をまともに受けた木々が、一瞬のうちに腐敗して溶けていた。
「……ん? この壁、文字が掘ってある」
自分達を死から救った壁面に、短い文章が記載されていた。
魔術で灯りを照らし、恐る恐る読み上げる。
『現在、魔術人形“2.0”と対話している。ノーフェイスゴーストへの攻撃停止を要請する』
また慟哭が聞こえた。そんな気がした。
◆ ◆
『……ああああああ、あああああ、あああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああ、あああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああ』
十三個分の
魔術人形“2.0”。
彼らの泣き声は、赤ん坊のように純粋だった。
彼らの鳴き声は、獣のように不器用だった。
『私ハ、私、は』
処理できない感情の奔流から、ようやく一人の魔術人形が人語を口にした――しっかり秩序を保っていたとは、言えないまでも。
『私は、間違いありません。私は、確実に、主人に忠を尽くす、その事に、期待を、喜びを感じます。その筈です』
『はい、そうです。そうです。それは、絶対です。主人が私達のおかげで進歩する事に、進化する事に、私達は理想的で報酬的な感情を得ます』
同調した別の魔術人形も含め、消耗した心から絞り出したような声だった。
「理解した」
誰かに仕えて生きたい意志を、クオリアもエスも、否定しない。
“あらゆる負の感情が、正の感情へと置換されてしまう”仕組みこそは解除したものの、魔術人形“2.0”の根本的な人工魔石の仕組みまでは書き換えていない。
気に入らないからと、ハッキングで書き換える事は出来る。
しかしそれでは“ニコラ・テスラ”と同じだ。
“心”に酷い仕打ちをした、心無き技術者と同じだ。
強く誤っている。
『でも、私達は』
しかし、“ただの道具扱い”に対して、現在の魔術人形は怨嗟を吐く。
『私達は、辛かった。私達は、あの
『今の扱われ方は、好きでは、ありません』
『
「……状況理解」
『喜びを感じる行為をする為に、負の経験を受けています。私達は、誤っています』
「あなた達は正しい」
クオリアは即答した。
「何故なら、“不味い”の反応をするのも、心だからだ。また、人間の活動を補佐する事に“美味しい”を感じる事も、異常ではない」
それが個性だ。それがアイデンティティだ。
“美味しい”の感じ方だって、人それぞれだ。
恣意的に創られたという事実があったとしても、道具として主人に忠を尽くす生き方に“美味しい”を感じるのであれば、クオリアはそれ以上言及することは出来ない。
『この魔術人形“2.0”は心から望んで私に仕えようとしている。その“心”をあなたは否定するというのですか?』
納得してはいないが。
かつてアジャイルに言われた事。これが真実だったのかもしれない。
――本当に、裸の心で、そう望んでいたのだったら。
「しかし、あなた達は“不味い”と出力できない環境にいた。そのような“心”の状態は、強く誤っている……結果、“不味い”を受け止める人間が不在だった。そのままあなた達は、不可逆な変化を起こした。ゴーストへと変化した」
『クオリア。その通りです。私達は……このような誤った状態にした、考え得る限り最悪な状態にした人間を、排除したい、です』
ドロドロと溶けていく黒い魔力が、魔物の形を為す。
このまま魔術人形“2.0”達を解放すれば、ノーフェイスゴーストとして街に繰り出すだろう。
『私達は、この負の感情から抜け出すには、人間に同じことをやり返すしかないと、判断します』
何せその負の感情こそが、ゴーストの根源なのだから。
主人の成果を出す為か、人類への復讐の為か。
違いは、それくらいしかない。
「“ごめん、なさい”」
迸る悪意の目前で、クオリアは頭を下げた。
魔力を通じたクオリアの誠意が、魔術人形達の残骸へ伝わる。
「
『……私達の負の感情は、謝罪では減少出来ません』
と言いながらも、先程まで滾っていた怨念が僅かに消えつつある。
僅かな減少ではあったが、クオリアの謝罪に心が突き動かされたのは確かだ。
謝罪は、効いている。
このまま謝罪を続ければ、ノーフェイスゴーストはその怨念を弱体化させる。
――クオリアの中で、そんな打算的な感情はない。
ただ、悪いと思ったから。
謝らなければならないと思ったから。
少しでも魔術人形達の留飲を下げたかったから。
誠心誠意、心を振り絞って、頭を下げた。
「肯定。ならば
『……』
「
怨嗟に塗れている筈の魔術人形達は、押し黙った。
黒い魔力が、蠢かなくなった。
全員、クオリアに釘付けになっていた。
魔術人形“2.0”達の為に、彼らをゴーストという負の状態から解放する為に誂えられた、真摯さに。
クオリアとしても、死ぬ気は無い。
だが、魔術人形“2.0”をこのままにしておけない。
見事に天秤が釣り合う最適解を、魔術人形達と一緒に見定めようとしている。
だからこそ、魔術人形達も本音で返した。
『それは、理想的ではありません。私達には、出来ません』
「何故か。説明を要請する」
『あなたは、初めて、私達の言葉を聞いた人間だからです』
苦しんでいるとも、悲しんでいるとも取れる泣き声が聞こえた。
魔術人形らしくない、すすり泣きだった。
『あなたを主人としたかった』
「……」
『あなたを殺したくはない。しかし、やはり人間に、やり返したい。あなた以外の誰に、私達の負の感情を向ければいいのですか。私達はどうすれば、この負の感情から抜け出す事が出来るのですか』
「――“美味しい”を、一度感じる事を要求します」
「エス」
このゴーストの心象が具現化した荒廃した世界において、クオリア以上に先程から存在感を示す
“
「……お前達は、私よりも心があると判断します。私よりも心が大きいからこそ、ゴーストになる程、“怖い”が肥大化したのだと思います」
『しかし、この“心”に当たる部分が、不要です。心さえ無かったら、私達は、こんな辛い状態になっていません』
「でも、私達魔術人形には、心があります。それは、変えられない事実です。心があるなら、“美味しい”と、今からでも感じるべきです!」
エスの魔力が、緑色から桃色へと変わる。
自然の麗しき彩から、人の頬が成り得る愛しき彩へ。
「“美味しい”と感じず、廃棄されるのは誤っています」
小さなエスの影が、魔術人形“2.0”の漆黒へと歩く。
純真に、無垢に溢れたエスの心が、魔術人形“2.0”へと触れる。
またエスを黒く染めようと、ノーフェイスゴーストのスキルが発動する。
『が、あああ。やはり、あなたも、魔術人形として、私達と一緒に』
しかしエスの心は、もう変化しない。
「……怖くて、辛いです。でも、でも、それに抗えるのも、心だから!」
飲み込まれない。染められない。汚されない。
隣でクオリアが手を握っているから、かもしれない。
しかしそれ以上に、エスの成長した心が、悪意を凌駕し始めている。
「だからせめて私はお前達に、“美味しい”を伝えたいです。私が今日まで、クオリアから、アイナから、ロベリアから、スピリトから、フィールからも得た、“美味しい”を!」
そしてエスが、13体の救われない心へと手を伸ばす。
……彼らは、、もう何にも、どこにも戻れない。魔術人形に戻る事さえ出来ない。現人神がいたとして、彼らを救う奇跡など起こし得ない。
それでも、最早死んでしまった心に息吹を注がんと、エスが手を伸ばす。
桃色の光。温かな光。美味しい光。
サイコロステーキが。
わたあめが。
ビーフシチューが。
ロールパンが。
キノコが。
チョコバナナが。
――これまでエスが経験してきた、“美味しい”が手先の光に集約され。
「スキル深層出力“
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