第265話 猫耳少女、前を向いてチョコバナナを食べる

 話は、アイナがクオリアに連絡した直前に遡る。


 食材が詰め込まれたバスケットの隣。

 アイナはとある屋根付きのベンチに腰かけたまま、電池切れの様に動かない。


 ただ、惑う。

 脳内をムカデのようになぞる、リーベを詰る言葉が。


『奴は獣人の分際で!! 同種の汚らしい犬畜生を集めて!! 呪われた血に従って、人を食料にせんと悍ましく反乱を起こしたのだ!! そんなあいつに、確かに人類すべての敵にして、人間を喰らってきた大咀爵“ヴォイト”の力はお誂え向きだったろうな!!』


 猫耳を塞いでも意味がない。

 目を瞑れば今度は、リーベが断頭された瞬間が何度も再生されていく。


 確かに兄は、蒼天党を引きつれて国家転覆という大罪を犯した。

 地獄行きも止む無しだ。後ろ指を差され、嘲笑されるのも仕方ない。


 ……それでもアイナの中では、最後までアイナの事を護ろうとした兄だったのだ。


『このまま父上が聖地を奪還した暁には!! 世界中の獣人を、そこのメイドも含めて、リーベと同じ末路を辿らせてやる!!』


 自分は獣人に生まれ、向こうは人間に生まれただけなのに。

 どうして“げに素晴らしき晴天教会”の連中は、そんな事を言えてしまうのだろう。

 兄の首にギロチンを落とした枢機卿のような“異端審問”を、どうして出来てしまうのだろう。

 

 勿論、そんな扱いには、とうに慣れたつもりだった。

 物心ついた時から当たり前だったし、心の皮膚は厚くなったつもりだった。

 何より、人間は一つじゃない事も知っている。


 垣根を簡単に乗り越えて、ビーフシチューを食べさせてくれる少年を知っている。

 垣根を感じさせず、共にいる事を希望した少年を知っている。

 その少年を皮切りに、互いに一つの命として尊敬しあえる人間達に出会えた。

 兄の死によって生まれた氷山が、じんわり溶けていくのを感じた。


 でもその氷山は、まだある。

 時折、嫌でも兄の死を思い出してしまう事がある。クオリアに会うまでの十二年間で、“げに素晴らしき晴天教会”を名乗る連中から受けた傷は、たった三年間で完全融解するにはとても冷たすぎた。

 その相手が、素直に恨めるハルトのような枢機卿なら、まだいい。

 ただ共通項があるだけで……全く関係のない、優しいフィールという修道女にさえ、その恐怖や憎悪を向けている自分がいる。


(関係無いって、頭では分かってるのに……!)


 成仏できない真っ黒な感情が、まだ無意識のどこかにある。

 ハルトにあれだけ言われてしまった。

 フィールに何も感謝を述べていない。

 そんな自分が腹立たしくて、情けなくて、ゲテモノ料理の鍋の様に、脳内で激情が掻き混ぜられていく。


「悔しい……」

「――アイナ、応答を要求します」


 そこでハッ、とアイナは自分が何度も声を掛けられたことに気付いた。

 エスが、屋台で買ったお菓子を持ってアイナの前に佇んでいた。

 串に刺さったバナナに、チョコが纏わりついている。


「先程そこで、“チョコバナナ”を取得しました。このローカルホストでは、名物に定義されると、先刻フィールから聞きました。お前に食事を要求します」

「……」

「消耗している時には“美味しい”を取得するのが一番です」


 真面目な顔でチョコ塗れのバナナを差し出すエスに、遂にアイナも手を伸ばす。


「ありがと、エスちゃん」

「はい。一緒に“美味しい”を取得する事を要求します」


 自分のチョコバナナを手に、エスもアイナの隣に座る。

 チョコとバナナの風味が足し算された、芳醇な味が口の中に広がる。

 雨模様の風景と合わせて、少しずつ心が和みつつあった。


「うん。あ、美味し」

「これは非常に評価される“美味しい”です!」


 隣に座ったエスの脚がぴーん、と前に伸びる。顔の変化は乏しくとも、その反応と浮いた声で、どれだけ“美味しい”かはアイナにも伝わった。


「これでハルトの事を忘却出来ると思います」

「え、あ、うん……そうだね……」


 真正直にハルトの名前を出してしまうあたりが、魔術人形たる所以。

 ハルトの事を思い出してしまう為に逆効果で、アイナが苦笑いしか出来ない事に勘付けない。

 しかし、エスは不器用ながらに真剣にアイナを見上げる。



 かつてはリーベを“処理”しようとした魔術人形だからこそ、リーベの消滅に立ち会った当事者だからこそ、確信を持って口にする。


「リーベは獣人でした。蒼天党のリーダーでした。そしてお前の兄でした。お前の為に、獣人として、蒼天党のリーダーとして、お前の兄として、十分に役割を果たしました。私は、それを憶えています。」


 その証左と言わんばかりに、リーベというゴーストが結晶化した魔石“クワイエット”を取り出す。

 エスにとっても、この魔石は一つの羅針盤だった。


「私は、守衛騎士団“ハローワールド”の活動を通して、リーベの様に自分の役割を見つけたいです。だからリーベは、私にとって理想的なモデルの一つです」

「……そうだったんだ……そんなに、立派だったんだ」

「はい。“立派”でした。お前がリーベへの罵倒でそれを忘れるならば、何度も私はリーベの話をして、お前にリーベの事を思い出させます」

「……」


 冷たくコーティングされていたチョコが溶けていく事に気づかない。

 自分の顔が少しだけ、解けていく事にも気付かない。


「あと、フィールは非常におっぱいが大きいです」

「え、あ、うん……え? うぐっ、げほっ、げほっ」


 流石にアイナもチョコバナナごと、舌を噛みそうになった。

 咽そうになって、どんどんと胸を叩いては咳き込む。


「だからアイナもフィールのおっぱいを揉むことを推奨します。おっぱいは人間国宝に相当します」

「待って、いやいや待って、とりあえず待って」


 待って三段活用で時間を稼ぎ、のどに詰まったチョコバナナを処理する。


「大丈夫です。フィールとは“親しい”状態にあります」

「親しくても、そういうの嫌な人の方が大多数なんだよ!?」

「ですが、同じ女性である場合、おっぱいを触るのはスキンシップとして登録されています」

「そんなスキンシップ、創作のお話だよ!? 現実でそんなスキンシップやるのエスちゃんくらいだよ!?」

「私だけ、というのは誤っている可能性が高いです。例えば先程クオリアにもこの話をしました」

「なんでクオリア様にそんな話をしちゃったの……?」

「なので今後クオリアもこのようなスキンシップをする可能性があります」

「ダメです! クオリア様を悪の道に引きずり込んじゃダメです!」


 あのクオリアならば“禁則事項”は意地でも侵さないとは思うが。

 しかしそんなクオリアを想像してしまい、意固地に大声で怒鳴ってしまうのがアイナという少女だった。


「だからお前も、“おっぱい”に接触しても問題ないくらいにフィールと親しくなってください。私はそれを、理想としています」


 チョコバナナの最後の一口を頂くと、エスは純粋そのものな瞳でアイナに訴えかけた。


「フィールに危険は無いです。他の“げに素晴らしき晴天教会”のメンバーのように、獣人であるお前に危害を加えない事を、私は強く保証します。また、先程獣人の子供に対しても、非常に信頼のおける接し方をしていました」

「それは……」


 アイナも、見た。

 朝食を作っている時に、ふと窓枠の中に納まっていた。

 クオリア曰く“美味しい”表情に彩られた獣人のあどけなき少年少女と、彼ら彼女らに囲われて聖書を読み聞かせるフィールの姿が。


 あれを見たからこそ。

 獣人達を笑顔にさせているフィールに、冷たくしか出来ない自分が腹立たしくて仕方なかった。


「お前が恐怖するなら、あるいは過去の記憶を思い出してしまうならば、最初は私も同行します」

「エスちゃん……」

「それに、この点はクオリアも同じことを言うと推測します」

「うん。クオリア様からも……さっき同じ事言われた」


 それでも、まだ怖い。クオリアが一緒に居ても、エスが一緒に居ても、氷のような恐怖と、炎のような憤怒が無意識を支配してくるだろう。

 けれど、それに負けている場合ではない。

 いつまでも足踏みしていては、“美味しい”に辿り着けない。

 クオリアならきっとそう言う。


「私、頑張るね。フィールさんのおっぱいを触れるよう」

「はい。私は、それが理想的です」

「……いや、“おっぱい”はものの喩えだけど」


 意気込み過ぎて思わず行き過ぎてしまった自分を反省していると、ふと見た事のある影が奥の通りを横切っていくのが見えた。

 エスも、目撃した様だ。


「今の、子……確か一ヶ月前、屋敷に獣人を殺そうと攻め込んできた魔術人形じゃ……!」

「現在は雨天決行レギオンのメンバーです。。お前は何をするつもりですか」


 突如駆け出したエスに、思わず硬直して驚愕する。


「エスちゃん!?」

「アイナはここに留まる事を要請します」


 雨天決行レギオンのメンバー、ケイを追いかけたエスを更に追いかけようとするアイナだったが、人込みに紛れて見失ってしまった。

 コネクトデバイスで位置は左目に投影されるが、しかしどんどん遠くなっていく。


「……きっと私だけじゃ駄目だ」


 これは直感だが、恐らく何かしらの戦闘が絡む。

 そうなった場合、剣を持つ事さえ震えるアイナだけではエスの危険を拭い去る事が出来ない。

 クオリアの力が必要だ。


「確かコネクトデバイスの通信の仕方は……」


 まだ焦燥が続いているのか、中々コネクトデバイスの操作に手間取っていると、すぐ近くを何かの一団が擦れ違っていった。

 全員スーツを着用している。

 地元の人間でもないし、“匂い”的に晴天教会の連中でもなさそうだ。騎士とも一線を画している。

 また、彼らについていく少女達からは、エスと同じ雰囲気が漂っている。

 魔術人形で間違いないだろう。


『はー……大仕事の前は捗るねぇ』

『娼婦の機能があるって最高だな。しかも“間違い”が起きても、子供を宿す事もねえ』

「……」


 エスを親友とするアイナには、聞くに堪えない内容だった。

 魔術人形をに扱ったのだろう。

 即座に心のシャッターを降ろし、クオリアへの通信に専念するアイナだった。


『しかし……俺ら資源開発機構エヴァンジェリスト”として、今の状況は面白くねえな』

『……アジャイルは“副リーダー”の俺さえ除け者にして、勝手に話を進めやがるからな。もそうだ。ガキの、獣人のくせに』

『このままじゃ、手柄はアイツらに全部取られちまう……』

『まったくだ。二人共、魔術人形と事さえ臆する真面目さだけが取り柄なのによ』


 通り過ぎていく言葉の羅列。


 その中にアイナにとって、“懐かしい名前”があった。



「……ウォーターフォール……?」



 しかも、獣人と言った。

 だが流石に彼らと、“懐かしき記憶の彼方にいる獣人の少年”とが関係を持っているとは思い辛い。気のせいと自らを律し、遂につながった通信に集中する。

 そして、通信が繋がる。


「クオリア様!」




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