第179話 1章エピローグ②:愛の墓を間に挟んで

「いやー。ラヴ。何とか、皆無事にやり遂げる事が出来たよ。世界は滅びないし、何とか今日もやっていってる感じ」


 ある晴れた昼下がり、ロベリアは日課のように墓の前に座り込んでいた。


「後はアイナが目を覚ましてくれれば、なんだけど……。アイナが開くお店、楽しみでさぁ。本当に、ラヴにも食べさせたかったんだぞ」


 十字架は、何も答えない。

 ロベリアの中にあった“一つの澱み”を、ゆっくりと清めてくれることもしない。


「……私、もっと何かできたよね」


 十字架は、何も答えない。


「蒼天党も、トロイも、古代魔石“ブラックホール”も――王国の歪みから生まれたもの。ボタンが後一つ掛け違っていたら、私達は今日を迎えられなかったかもしれない」


 世界を救った結果、一瞬とはいえ現れた機械仕掛けの神。

 あらゆる物語を“解決”してしまう鋼鉄の国の破壊者。

 クオリアを二度とあの形にするわけにはいかない。シャットダウンになったら、もう戻れる保証はない。戻ってこれるなんて楽観視は出来ない。


「早く、みんなが笑える世界にしなきゃね。今度こそ、ラヴみたいになってしまう前に」


 十字架に深く刻まれた“R.I.P LOVE”。

 その文字に、無理やり笑って見せた時だった。


「……花を添えに来たのなら、私に構わず置きなよ」


 後ろに降り立った雨男アノニマスには気付いていた。

 今、屋敷にクオリアやエスはいない。スピリトも直ぐには気付かないだろう。

 だがヒマワリの献花を両手で携える来客相手に、身構える様な野暮はしない。


「……」


 雨男アノニマスは無言で手に携えていたヒマワリを置く。そっと。


「ラヴにも、そしてラヴが親友と言っていたロベリア、アンタにも伝えておく」


 そよ風が、寸分の沈黙を修飾する。


「もう間もなく、俺の楽園は完成する。必要なモノは揃った」


 右手に握られた禍々しい石に、ロベリアの表情が少し凍り付く。 


「……古代魔石“ブラックホール”」


 クオリアが古代魔石“ブラックホール”を検知できる探知機レーダーシステムを導入している事を、雨男アノニマスも知らない筈がない。にも関わらず、この場に持ち込んでいるという事は、クオリアが駆け付けても問題ないか、探知の波を跳ね返す策を弄しているという事だ。

 いずれにせよ、特に躊躇もなく雨男アノニマスは古代魔石“ブラックホール”を見せつける。


「ああ。正真正銘、世界で残っているのはこれ一つだ」

「最初から、それが目的だったんだね」

「これ目的だった。魔術人形同志も集める事が出来た。そしてこの墓を、ブラックホールから守る事も出来た」

「……クオリア君から聞いたけど」


 あまりラヴの前で、刺々しい話をしたくなかった。


「なんでラヴの古代魔石“ドラゴン”が、あなたの胸に埋まってるの」

「……」

「“私がいなかった半年間”に、何があったの」

「……」

「君は一体誰なの!?」


 問い続けるロベリアの脳裏には、“たまたま発見してしまった”ラヴの亡骸が蘇る。

 半年前、晴天教会による“一悶着”に巻き込まれて、一切の機能を停止した魔術人形。地面に散らばっていた、色素の薄い灰色の髪。ロベリアが知る中で、世界中で誰よりも天真爛漫に笑い続けていた、しかし一切の色を失った顔面。割れた眼鏡。

 胸にぽっかりと空いた、ラヴの心臓たる古代魔石“ドラゴン”が失せた穴。


 それらのトラウマが反射する瞳で、ラヴを知るもう一人の人間を見る。


「……全ての質問に答えられる、便利な事実がある」


 雨男アノニマスは答えた。



 ロベリアは、言葉通りに受け取らない。掴みかかる事をしない。

 しかし怒りは感じざるを得ない。


「曖昧な言葉ではぐらかさないで」

「……だからこそ、俺がラヴの望んだ楽園を創造する。ラヴが行きたかった”虹の麓”へ連れていく」

『ブラックホール』


 意思表明をする雨男アノニマスの右手で変化があった。ロベリアが先程から最大限警戒している古代魔石"ブラックホール”に、力が集まっていたのだ。

 大空に君臨した大咀嚼ヴォイトの姿が、記憶の表面に映る。


 しかし、同時に雨男アノニマスの胸で瞬く古代魔石"ドラゴン”も瞬く。

 共鳴する様に、ブラックホールの闇とドラゴンの光が混じり合う。


『ブラックホー……ブラッ……ホール……ブ……ホー』


 全ての光を閉じ込めてしまう宇宙の如き石に、ぽつぽつと光の点が出現する。

 弱弱しい点々が、無数に集まる。

 やがて、宇宙の狭間に見える雲の様に、綺麗に模様が描かれていく。


 "変わる”。


『“スペースクラウド”』

「……魔石が、姿を変えた?」


 星空を圧縮したような魔石に、ロベリアも舌を巻くしかない。

 干渉というレベルではない。古代魔石"ブラックホール”の内部構造を熟知して、古代魔石"ドラゴン”の魔力を総動員して、完全に別の魔石へと転生させたのだ。


 あのラヴでさえ、まったく扱う事が出来なかった古代魔石"ドラゴン”の力を、心臓として完全に使いこなしている。


「これが大咀嚼ヴォイトの、もう一つの可能性だ」

「……一体それは、何なの。君の言う楽園と、何の関係があるの」



 そして雨男アノニマスは語った。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 "楽園”と、古代魔石"スペースクラウド”について。

 雨男アノニマスが、これからやろうとしている事について。



「……?」


 ロベリアも絶句するしかなかった。

 だが雨男アノニマスは一切違和感なく、


「王都をブラックホールで潰すよりは現実的だ」


 と補足して、ロベリアに逆に問う。


「だが、この楽園が実現すれば、アンタが憂いている事も無くなる」

「……私が、憂いている事」

「妹が突然道端で殺されなくて済む。クオリアに無理をさせなくて済む。そしてラヴが望んだ世界を、実現できる」


 それは、否定できなかった。少なくとも今のロベリアには、否定できるだけの余裕が無かった。


「まだ可能性は十割じゃない。不確定要素はいくらでもある。例えばルート王女に乗っ取られた進攻騎士団、そして枢機卿達が王都に凱旋する……そうなったらヴィルジンとルートの全面戦争は避けられない」

「……」

「もう少し力がいる――

「――お姉ちゃん」


 スピリトの声がして、一瞬振り返った。

 だが再度雨男アノニマスを見ると、もうどこにもいなかった。


 "返事は後日”。

 土に雨男アノニマスが遺した言葉だ。


「……誰かと話してた?」

「ラヴに話しかけてた」


 と誤魔化して土文字を消して、スピリトの下に向かう。


「それよりお姉ちゃん、アイナが――」

「えっ」

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