第152話 魔術人形、獣人の残した物で強くなる

 溜息。

 溜息。

 何度も溜息。


 道を阻むエスに、苛立ちを全く隠さない見下すような表情で、脱力しながら深く深くため息を繰り返すトロイ第二師団長、クリッカー。


「はぁ……身の程をわきまえなさいよ。獣人も魔術人形も、人間よりも価値は低い……生体ピラミッド、食物連鎖、その全てにおいて人間は最上位に位置する。これまでの歴史がそれを物語っているだろう。やがて俺達は王都の古い体制を抹消し、新たな王となる……人間でさえ、ピラミッドの下に置かれるという事だ」

「お前の説明は、理解が出来ません」


 クリッカーが最下層に行かない様に、あくまで進路を譲らないエス。

 ただ脅威と感じているだけではない。

 かつての元主人ディードスの様に、自分以外を見下し値札を付ける様な姿勢が、魔石の中で怒りを宿し始めていた。


「はぁ……理解など出来はしまい。良い例が蒼天党のリーベだ。奴らが俺達に何故利用されたか分かるか? 人形」

「分かりません」

「身分不相応に欲張った。それでいて獣人らしく、何の学も知性も無かった。獣の誘導方法を知っているか? ちょっと餌を垂れ下げれば、俺達が望む方向へ勝手に爪牙を向けてくれる」

「分かりません」

「はぁ……所詮脳を衒っただけの人形。学習する知性など最初から期待はしていないがな」

「分かりません――お前の役割が」

「俺の役割? はぁ……」


 小馬鹿にするように肩を竦め、またクリッカーの口からため息が零れる。


「今は子爵。そしてこの作戦が上手くいけば、カーネルと同じ公爵だ。これ以上誰も間違った事をしないように、俺が支配してやるよ。治世者になったら大変だなぁ、まあリーベやお前みたいな馬鹿は相手にしなくて済むから助かるかなぁ」

「分かりました。お前の役割は、リーベよりも価値が低いものと判断できます」


 エスのストレートな言葉に、クリッカーの眉がぴく、と震える。


「リーベの手段は誤っていました。しかし、その目的には自己やアイナの利益以外の事柄も含まれていました。リーベは獣人が生きやすい環境を作る為に動いていました」


 押し黙るクリッカーに、エスは指を差す。


「お前は、誤っています」


 失礼な事らしい。しかし学んだ常識を、エスは敢えて活かさない。


「お前は自己の利益の為、リーベよりも多く大量に生命活動を停止させようとしています。私はお前の評価を、リーベよりも大きく下に見積もっています」

「……はぁ。人形風情が」


 痺れを切らしたクリッカーの鎧が、漆黒色に瞬く。


『プロトブラックホール』

魔石回帰リバース


 騎士達の松明と飛び交う魔術のみが頼りだった薄暗い迷宮の空間が更に色を失う。暗く、昏く、星無き夜へと落ちていった。


「“不気味の谷”という概念があるが……まさにその通りだな。人の神経をこうも逆撫でする特性があったとは。可及的速やかに押しつぶす!」


 “ブラックドック”に、古代魔石“ブラックホール”の力が充填されていく。

 エスを1mm以下に圧縮するのに十分な重力波を寄せ集め始めた。

 ぴりぴりと肌を掠める凶悪な黒い魔力を認識しながらも、エスは少女の如く縮こまる事はしない。魔術人形だからではない。自分が生きなければ、クオリアに生きてほしいなんて言葉も、説得力の無いただの出力でしかない。そんな価値観が芽生え始めていたのだ。


 だからこそ、魔力の濁流に服をはためかせながら、エスも


『クワイエット』


 懐から取り出した、かつてリーベだった魔石を“ガイア”の魔石に翳す。

 二つの魔石の色が、混じり合って夜闇を照らす。

 獣人と魔術人形。二つの心が響き渡る。


「リーベ」


 かつて押し付けられた役割の中で散々に殺し合ったあの獣人に、エスは呟いた。もうどこにもいないにもかかわらず。


「お前の力を使用します――魔石共鳴リハウリング


 どこまでも横に広がる緑色。どこまでも縦に伸びていく空色。

 ブラックホールの闇を斬り裂いた二つの色が、辺り一面の壁、床、天井へ伸びる。

 まるで森林と蒼天。合わせて大自然を連想させる芸術が投影された。


 ――ギロチンが跋扈するような暗い迷宮から解放されていた。



「魔石“クワイエット”によるスキル深層出力、真赤な噓ステルスを発動します」



 




「はぁっ!?」


 全てが、クリッカーの知覚から外れて発生していた。

 エスが今立っている場所を、視認できなかった。

 スキルが発動したことで肌に掠めた余波魔力を、皮膚は受け付けなかった。

 大地讃頌ドメインツリーの樹木が緑の壁から抜き出てきた音も衝撃も感じなかった。

 鎧の内外に極細の枝が無数に張り巡らされ、一気に締め上げられるまで何にも気付くことが出来なかった。


 リーベという“一切見えないギロチンを加えた満月”がそうであったように、全身に絡まった枝に締め上げられ、全ての自由を奪われるまでは。


「ぐ、ああああああああああああああああ!!」


 痛覚だけは認識出来る。現在進行形で砕けていく骨の感覚だけは分かる。

 だが今自分が捕まえているのがエスの枝かどうかさえ、クリッカーには分からない。いくら目を凝らそうが、頭がその光景を拒否している様に何も知覚できないのだ。


「くそ、この、この! ブラックドックで……!」


 しかし枝に締め付けられているのであれば、重力波をフル活用すれば引きちぎれる。そう直感したクリッカーの全身から全方向へ重力波が駆け巡った。

 大外れだった。


「ぐああああああああ!!」


 引き剥がせない。

 重力波で引っ張ろうと引っ張るほど、枝は痛覚として逆に絡みついてくる。寧ろ余計に解きにくくなった。

 絡まった糸を引っ張れば、結び目が硬くなるのと同じだ。


「馬鹿な……はぁ……真赤な嘘ステルス……リーベは、結局犬死したというのに……」

「お前は、リーベの力を見誤りました。生体ピラミッド、食物連鎖というお前の定義から抜け出せなかったためです。だからお前の役割は、独りよがりで歪んでいます。お前は沢山の“美味しい”を奪う脅威と判断しています」


 最後に、クリッカーは大自然の中で手を伸ばすエスの姿を見た。

 その隣に、リーベという化物が手を伸ばす幻影を見た。

 二人同時に、握りしめた。


「ひっ」




 全身が折れ曲がる最期の音だけは、クリッカーの耳には聞こえた。

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