第90話 人工知能、涙の軌道を感じる
リーベは全員の視界から消失していた。
最初は、誰もが
しかし何分経っても、何十分経っても、誰も引き裂かれることは無かった。
「……クオリア。あなたの考えを聞きたいわ。リーベはどうなったの? 成仏でもしたの?」
隣に並んだカーネルも、ある程度は問いの結果が見えているかのようだった。
「仮説。リーベは排除されていない。しかし、一時的に無力化されたものと思われる」
そうカーネルに告げながら、クオリアは考察を進める。
リーベはまだ消滅し切っていない。原理は不明だが、一旦ゴーストとしての存在が維持できなくなった様にも思える。しかしこのままリーベが完全に消滅しきったと考えるには、インプットすべき情報が足りていない。
カーネルも顎に手を当てながら思慮を巡らす。
「……じゃあ、まだ警戒を解くわけにはいかないわね」
クリアランスへリーベを索敵するように指示を出していた裏で、5Dプリントの銀光の軌道を描いていた。銀色の筒、
カーネルがそれに気づいたタイミングで、クオリアが探知先の対象について告げる。
「リーベのゴーストへハッキングした際、魔力構成についてラーニングした。これを情報に、
「リーベのケツ追いかけるのはアタシ達クリアランスでやるわ。さっきコンタクトレンズとやら、何個かもらったしねぇ」
コンタクトレンズが入っている自身の目をとんとん、と叩くカーネル。しかしクオリアも御役御免とはいかない。自身のタスク遂行が最優先だ。
「それは誤っている。現在、
「リーベとの初戦、エスとの戦闘、ディードスの確保……は出来なかったけど、あとその後リーベとの連戦に加え、リーベへの
「スピリトとの模擬戦闘で、自身の“疲労”の閾値についてはラーニング済みだ」
聞き分けの悪いボウヤだ事、と言わんばかりにカーネルが溜息をつく。
そして振り返らず、親指で導くように後方を差す。
その先には、リーベが消失した地点からずっと視線を逸らさないアイナが座り込んでいた。
混乱と心配と不安で、生まれかけていた“美味しい”が飲まれかかっている。クオリアはそう検出した。
「アナタの“
反語表現で最初から解を出して、カーネルは続ける。
「そんな夢物語に全力疾走したいなら、女の子がどういう時に泣くのかと、それの支え方くらい学んでおきなさい。女の子が泣いてる時にお仕事に熱中しちゃう人が、果たして笑顔なんて創れるのかしら?」
「……」
葉巻を取り出し、煙を人のいない方向へ吹き上げるカーネルへクオリアがようやく解を返す。
「
「その時は早く来なさいね。じゃないとウチの騎士達が手柄掠め取っちゃうから」
「アナタ達が先にリーベを発見した場合、最初の手段として攻撃的行為を実施しない事を要請する」
「今生きてる命が一番よ。過去に何があったかなんて情状酌量は出来ないの。その時は戦闘に移るわ」
「それは正しい。ただ、考慮事項に入れる事を要請する」
「分かったわ」
「カーネルおじさん。“ありが、とう”」
「どういたしまして。早く口説き文句ぐらい覚えなさいね」
葉巻を口から離したカーネルの返答を聞くと、クオリアは一直線にアイナの元へ向かう。がらんどうを見つめるアイナの顔からは、何も値を検出できなかった。
ただ悲しみしか、値を検出できなかった。
損傷もないのに、故障しているかのようにアイナは虚無になっていた。
「アイナ。あなたの表情の規則性に、微細ながら乱れが生じている」
「……」
「休息行為を取る事を強く推奨す……エラー。想定外のエラー発生」
しかし口にして、その
アイナが消耗していることはインプットできた。だから人間の修復方法として急速行為を提案した。
因果関係としては間違っていない筈なのに、クオリアの脳内の何かがアラートを出した。
かける言葉として、これは誤っている。
プログラムでは説明できない何かが、ブレーキをかけていた。
「……く、クオリア様……ご、ごめんなさい、ちょっと沢山、混乱していて……」
「……」
この期に及んでも、取り繕おうとするアイナに、クオリアは昨日の自分を見た。
PROJECT RETURN TO SHUTDOWNを発動し、“シャットダウン”へと
「状況分析……」
分析する。
あの時、アイナからは何が見えていたのかを。
アイナから見た自分は、どれだけ血塗れで、どんな顔をしていたのかを。
アイナは、どれだけ零れそうな程に心配していたのかを。
丁度、クオリアは昨日のアイナと同じ位置に立っていた。
「“最、てき解、算しゅつ”」
人間特有の言葉を話す時のたどたどしさが、人工知能としてのアウトプットに出ていた。
最適解ではない。
最適解なんて冷たい分類で割り切れるものではない。
また0と1で表せない
ただ、クオリアがそうしたいだけだった。
そうしてあげたいだけだった。
「……!?」
アイナが思わず声を漏らす。
ぎこちなく、しかし暖かく、真正面から背中に手を回すクオリアの顔が隣にあったからだ。
「クオリア様……?」
「あなたは今、“心が死んでいる”と判断した。だから、あなたが昨日
これでアイナの消耗が回復する結論を、人工知能は導けない。
しかしクオリアは構わず、更に深く抱きしめる。
メイド服越しに、両腕で体温を検出した。
自分の暖かさを分けるように、それでも足りず深く抱きしめた。
兵器よりも暖かい人間の肉体で、深く。深く。
「……説明を要請する。あなたの心は、修復されたか?」
「……あ、あの」
「説明を要請する。あなたの心の修復手段は、
「大丈夫……大丈夫です……ただ、ただ……お兄ちゃんと、突然再会して……お兄ちゃんが、全部憎んでて、私は何もできなくて……! ましてや、お兄ちゃんに酷い言葉を投げて……私……!」
そのままアイナは何も言葉を発さなくなった。
代わりにクオリアの右肩に伏せて、ひたすら肩を震わせていた。
泣いている。大粒の涙を、枯れるくらい流している。
見なくとも、聞かなくとも、人工知能でなくとも分かる事だった。
「ひぐっ……ぐぅ……うぅ……」
「……」
ただ、このまま肩を貸すことしか頭になかった。
最適解かどうか、もう考える事さえなかった。
この涙だけは止めてはいけない。兄と出会えて、やっと時計の針が進んで、三年分の想いごと流す涙の川を止めてはいけない。
周りが忙しく動く中、アイナはずっと泣いていた。
泣き止むまで、時が止まったかのようにクオリアは肩を貸し続けた。
ずっと。泣き止むまで。
その夜、守衛騎士団“クリアランス”の必死の捜索にも関わらず、リーベの姿は発見されなかった。
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