第3話 ささげにすをかけ さしすせそ

ささげにすをかけ さしすせそ


 夏休みに田舎の祖母の家に帰る、というありがちなシチュエーション、毎年一回の恒例行事となっている設定には飽き飽きとしてしまうが、かまぼこ型にアーチを作り橋を囲む木々を抜けると、きっとあっという間に過ぎてしまう一週間が始まることを実感し、玄関から漂う田舎の香りを吸い込むと、この時点でなんだか名残惜しくなってしまうのだから、不思議なものだと思う。

 荷物運びを終えてひと眠りから目を覚ますと、畳の上にくすんだ絨毯が敷かれているミスマッチな居間から、祖母が台所で音を立てているのが見えた。おそらく祖父が亡くなって一人になってから読み始めた西洋リスペクトの雑誌に感化され絨毯を購入したのであろう祖母だったが、台所のことは決してキッチンをは呼ばず、『だいどこ』と言っていた。非日常である家族全員分の夕食作りに一人で取り掛かろうとする祖母に申し訳なくなり、私も台所へ向かった。


「ばぁちゃん?なんか、手伝うよ。」


 ああ、と私の名前を呼んでから、『もう大体終わった』とにこやかに告げる祖母にごめんねという態度を取ると、おかまのご飯を混ぜてくれるかい、あんまりお客さんに仕事をさせるわけにはいかないからね、と彼女の気遣いを感じた。

 炊飯器は少し前に十年弱使用していたものが壊れ、おこげを大量生産するようになってしまったので、錆びたシンクや使い込まれた鍋と並ぶと相当浮いてしまうような新品で、近未来な空気がその周辺だけ漂う。シルバーのボタンを押すと蓋が持ち上がり、隙間から漏れて上へ上へと巻き上がる湯気が、私に少し甘い匂いを届けた。


「あ、お赤飯。」

「畑でササゲが取れたもんだから、みんなで早いこと食べようと思って。」

「ササゲ?」


 豆のことだよ、一言を聞いてしゃもじで混ぜながら豆を観察するが、いまいち小豆との違いがわからず……そもそもそんなに長い時間対面して小豆と見つめ合う機会を今の今まで設けてこなかったので、私の頭で種類分けされた『なんか、豆』という領域内でササゲと小豆を分離させるのは無理があった。


「ササゲって初めてかも。」

「いやぁ、一回くらいはあるよ、気づかないでいただけで。」


 こんにゃくと蓮根の煮物を作ってくれたのであろう大きなフライパンをスポンジで洗いながら祖母が言った。シンクに当たる水の音に負けんと、いつもより張った声に圧倒されたのかもしれないが、気づいていないだけのことがもっとたくさんあるような気がして少し怖いような気持ちになる。


「どうやって区別するの?」

「そんなもん、食べてみりゃわかるよ。」


 私は炊飯器の中からエンジ色の粒を一つしゃもじに引っ付けて、それを指に接続させて口へ運んだ。前歯でプレスすると、周りの皮が濡れたテッシュのように千切れ、中から豆独特ののっぺりとしたペースト上の身がでてくる。いつも食べている小豆とさして変わらないように思えたが、そういえば私がいつも食べている赤飯に混在していたのは小豆なのかササゲなのかがわからないなということに気づき、一度炊飯器の蓋を閉めた。口の中にまだ残る豆の残骸に、ああ、やっぱりいつものより少し硬いかもしれないと感じる。


「食べてみないとわからないの?他になんかさ、ないの?」


 んー、まぁ赤飯にして炊いちゃったらねぇ、皮が破れないとかはあるかもしれないけど、結局かき混ぜたら破れちゃうもんねぇ……決して私の方は向かずに、せっせと大皿におかずを盛り付ける祖母に、んーそっかと相槌を打つ。

 そっくりなものと、いつの間にか入れ替わっていたら、私は気づけるだろうか?ある日突然、自分がいつも大事に持ち歩いているポーチがそっくりな別物になっていたら、私の住む世界が丸ごとそっくりな別物になってしまっていたら、両親が、友達や祖母が別人に変わっていたら、私は気づかないまま日常を送るのではないかと想像する。誰かに種明かししてもらわないとわからないだなんて情けないけれど、私の場合はきっとそうなってしまうと思った。


「いーッ、怖ッ!こわこわ!」


 不安な気持ちを消化するためにもあらゆる関節を捻り、うねうねと体を動かす私に、今の若者の言葉に置き換えるのなら、そんなに怖がることないだろという意の一文を発し、祖母は塩昆布につけたサーモンを指でひょいとつまんで食べ、うんうんと言いながら大皿たちを今のちゃぶ台に運び始めた。往復して、お茶を入れ始めた祖母は、いつも通りつぶらな瞳が落ち着いていた。


「怖くない?もし家族とか友達とかがそっくりな別人に入れ替わってたらさ……」


 だって見た目じゃわからないんだよ?食べてみなきゃわからないなんて……。私の主張をお茶を啜りながら穏やかに聴き、アンタは昔からユウモアがあるね、と言って湯呑みを胸元まで下ろした。祖母は昔から、私の壮大な妄想思考に対して文句を言わなかった。


「そんなに怖いことないさ。」


 余裕のある祖母の笑みにキョトンとしてしまう私。


「ヒトは食べられないから大丈夫。」


 お腹のあたりをぽんぽこしながら、祖母はいつも通り肝の座った呑気さでトイレへ向かっていった。しばらくぼーっとその姿を見送ってから、私は再度炊飯器をオープンさせた。


「そか、確かに。」


 人数分の茶碗にササゲ赤飯をよそい始めた時、なんだか祖母の回答は私の話に噛み合っていないような気がして何度か頭の中で反復させる。

 人は食べられないから大丈夫。そんなに怖くない、人は、食べられない。もしも、ササゲや小豆を食べられなかったとしたら……


「え。」


 しゃもじから集団となった赤飯が転げ、私の手の甲に直撃。餅米独特の粘りとともに、炊き立ての高温が私の手の甲にまとわりついた。熱い、熱い、熱いががやがてかゆいという感覚に変わり、そしてまた少し熱さを感じると、最終的にはヒリヒリとした痛みの感覚に変わっていった。

 もしも、ササゲや小豆を食べられなかったら、味がわからない。どちらがササゲで、どちらが小豆かどうかがわからない。すなわち、食すことができないということは、判別方法が消失してしまうということ。

 ああ、確かにそれはそれでオーライかもしれない。手の甲に乗った塊をぬっとりと口に運び、あまり深くは考えずに咀嚼をする。米粒が、豆が潰れる。ばあちゃん、おいしいよ。ササゲでも小豆でも、きっとおいしいって思うよ。

 変わっていても、おおよそが本物に相違なくて気づかないのならば、食べて確かめることもできないのならば、別物であるだなんて最後まで気づくことなんてないのだ。祖母が言いたいのはそういうことだったのだなと自分なりに理解する。

 最近設置したというクーラーの風はひんやりとしていて、外の蝉の音も私を冷ましている。今鳴いている蝉はいつ頃まで続くのだろうか。今年の夏の暑さを考え、火傷をおった左手の甲を顎へ近づけ、擦った。

 七日後に、私は帰る。

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