第53話 宣戦布告、確認。

「――って話なんだけど……」


 当時にあったことを、その時々で自分がどう思ったかだけ省いて事実だけ字城さんに伝えた。飛び飛びだし、わかりにくかったと思うけど、途中途中で相槌を打ってくれたから助かった。

 けーくんのことを、まだ森谷くんと呼んでいた頃。私は彼がどんな考えを持って動いているかが知りたくて、近づいて、そしてうっかり好きになった。そのあたりの事情が上手く伝わっているといいな。


「それで、結局いつから好きになったの?」

「えーーっと……。実を言うと私にもあんまりわかってなくて……」


 授業中、先生から指名されてはきはき教科書を朗読する彼の横顔を見つめたり、一対一で勉強を教えてもらっているとき、本当に申し訳ないけど説明そっちのけで白い首筋に視線を吸い寄せられてしまったり。そういうのを何月何日から始めましたとはっきり言えるわけじゃない。気づいたときには好きだったし、気づいたときには夢中だった。

 


「だから森谷には気をつけろって言ったのに……」


 夕ちゃんに言われたのは、十月の暮れ。もうそろそろ訪れる文化祭に向け、クラスが一丸となって準備に励んでいた時期。真っ暗な帰り道を二人で歩いていると、向こうから唐突に切り出された。

 その時点では、まだはっきり好きと言い切れる自信がなかった。当事者の私すら曖昧な状況だったのに、夕ちゃんは上半身を思い切り丸めてため息を吐き、「絶対苦労するからやめとき~。鞘戸に森谷は無理だし、たぶん森谷にも鞘戸は無理だよ」と忠告。彼女とは小学校からの仲良しで親友だけど、恋愛について話すのは初めてだった(夕ちゃんはしょっちゅう私に好き好き言ってくるけど)。


「なんで」


 思わず、すぐさま聞き返してしまった。その声が自分で考えるより力強くて、驚く。けーくん……この時点ではまだ森谷くんと呼んでいたけど、とにかくなんで度々夕ちゃんが彼を酷評するかがわからない。


「森谷くん、良い人だよ。優しいし、気も利くし、頑張り屋だし。……いくら夕ちゃんでも、そうやって悪く言われるの、やだな」

「だからヤバいんだって~。あいつ、全然妥協しないじゃん。今だって役持ちでもないのに生徒会の手伝いからクラスの進捗チェックからぜ~んぶやってんだよ? 新条説得して復学させたのもそうだし、下手になんでもできるせいでやるのが当たり前になっちゃってるわけ。……そんなのと付き合ったって、精々『重要タスクのうちの一つ』くらいにしか見てもらえない。鞘戸は人より繊細なんだから、傷つくだけ傷ついておしまい」

「…………」

「鞘戸が全部ささげても、森谷がなにもかもさらけ出すなんてことはないと思う。鞘戸は世界一かわいいんだから本気で好きになってくれる男なんか山ほどいるのに、わざわざそうじゃないやつを選んじゃだめだよ。……こんなとこでトラウマ作ったら、一生引きずるよ」


 夕ちゃんは本気で私のためを思って言ってくれている。それは痛いほどよくわかる。……でも、だからっていきなり嫌いになるのは無理だよ。そういう掴みどころのなさまで含めて、森谷くんのことが気になってるのに。


「……とまあ、そんなわけで、私と付き合うのが一番だと思いま~す」

「もう」


 重たくなった空気に耐えられなくなったのか、夕ちゃんがいつも通りに戻った。……こういうところがあるから、本気なのかどうかが怪しいんだよね。

 でも、親友からの忠告を軽く見るわけにはいかなかった。だから私はできるだけ慎重に森谷くんと話して、遊んで、時間をかけて、彼がどういう人間なのかを理解しようとした。


 その結果が今。……起きている時間のうち、彼のことを思い浮かべない時間の方が少ない。完全に、完璧に、余すところなく、もうどうしようもないくらい、ベタ惚れしてしまった。


「……少なくとも去年からなのは間違いない、かな」


 字城さんとの会話に戻る。さらに言ってしまえば文化祭の時点から彼の気を惹くための行動を始めていたけど、はっきり断言するのが気恥ずかしかった。

 顔が熱い。たぶん、ちょっと見ただけでわかるくらい真っ赤になっている。けーくんの目に触れないよう、場所を移して正解だった。


「去年か。いいな。私、一年の頃に全然良い思い出ない」


 いいな。たっぷり間を取って、字城さんがもう一度言った。そういえば聞いたことがある。字城さんが入部したせいで、美術部がバラバラになったという噂。もちろん噂は噂だから半信半疑だけど、今現在美術部に部員が一人しかいないのもまた事実。……ということは、噂通りではないにしろ、なにか大きな出来事があったのは間違いないのだと思う。


「私も森谷と同じクラスがよかった」


 考える。もしそうだったとして、どんなことが起こっていたかを。……考えるまでもないや。けーくんのことだからきっとお節介を焼いて、そのうちに仲良くなってしまうんだ。相手が誰だろうと関係なく。

 そうじゃなくてよかったな、と思う。同時に、もしも字城さんが同じクラスにいたら、けーくんに惹かれることはなかったのかと疑問が浮かぶ。……それも考えるまでもない。どんなに関係が変わっても、きっとけーくんはあの放課後、私に声をかけてくれる。それから巡り巡って、どうせ彼を好きになる。


「ねえ、さやと」

「なに?」

「森谷のこと、諦めてもらえない?」

「――――?!」


 想定外の提案に、頭がくらくらする。字城さんの綺麗な表情には変化がなくて、だから本気か冗談かわからない。そもそも彼女が冗談を言うような性格かわかるほど、まだ仲良くなってもいない。

 諦める。諦めて、字城さんに譲る。――正直、競争相手が強すぎることを思えば、そうしてしまうのが一番楽なのかもしれない。先手を打って告白すればけーくんは答えてくれるだろうけど、その状態から徐々に字城さんに気が移っていく様子なんて見たら、きっと私はおかしくなる。それを恐れるなら、初めから挑まない方がいい。

 でも。


「ごめん……できないや」


 気づけば首を横に振っていた。自分になんて言い聞かせたとしても、けーくんの隣に私じゃない女の子がいるのは受け入れられそうになかった。もし先に告白していたらなんて醜い嫉妬をするくらいなら、どれだけ酷いフラれ方をしても思いを伝えた方が良い。たとえ、相手があの字城とわでも。

 失恋するにしたって、やり方というものがある。――なら、私はせめて、この恋が素晴らしいものだったと納得したい。


「そう。困った」

 

 字城さんは、本当に困っているのかどうか疑わしい表情で言った。……私の答えを見越していたのかもしれない。


「だけど、私も諦められそうにない。……友達全然いなかったから知らないんだけど、こういうときってどうするの?」

「……けーくんの方から告白してくれるのを待つ、とか?」

「だめ。それじゃさやとが有利すぎる」

「……え?」


 意外な発言に体が固まる。……正直、私に勝ち目なんかないと思っていたんだけど。


「森谷は、さやとが自分のこと好きだって気づいてるでしょ。……それでも変わらず仲良くしてるんだから、そのルールはだめ」

「…………」


 考えたことなかった。……確かに、けーくんはきっと気が付いている。気が付いた上で、気づかないふりをしてくれている。……でも、もし私と付き合うのが大変だって思うなら、ちょっと距離を置いてもおかしくないよね。彼の性格を考えたら私からの告白を断れるわけなんかなくて、そう思うならだんだん疎遠になって脈がないのを伝えてるはずだよね。

 可能性、感じちゃっていいのかな、私……。抜け駆けするんじゃなくて、きっちり字城さんとの二択を迫ってなお自分を選んでもらえるって思っちゃっていいのかな。


「……なんでにやついてるの」

「な、ないない!」


 両のほっぺたを叩いて表情を戻す。勝てるわけがない格上のチーム相手に、思いのほか善戦できている感覚だ。もしかしたら、もしかしたら……と考えてしまう。

 

「私、知ってるよ。森谷とデートの約束してるの」

「あー、あはは……」

「それ、困る。森谷がさやとと二人きりになるのもいやだし、でも、その約束が残ってるとあいつが義理立てしちゃう」


 それはこの前考えた。デートの予定を先延ばしにしてしまえばいいんじゃないかって。そうすれば、少なくともけーくんが字城さんと付き合うことにはならないんじゃないかって。

 でも、事情が変わってしまった。……私にも勝ち目があるって、よりにもよって対戦相手に教えられてしまった。


「……けど、私はさやとが知らない森谷の顔、知ってるから」

「寝顔……」


 ううん、と字城さんは否定して、


「あいつ、言ったもん。字城が幸せにならないと納得できないって、いつもみたいにスカしてない本気の顔で、言ったんだもん」

「な……!」

「あと、ハグしてもらった。……背中、おっきかった」

「な、なな……!」


 そんなの、ほとんどプロポーズだ。聞いてない。いつの間に? というか、そんなことがあったのに二人なにごともなく会話してたの?

 ちょっと優勢になったつもりが、一気にスタートラインまで引き戻された気がする。……それどころか、実際にはリードなんてなかったと思い知らされたかのようだ。


「……私からはそれだけ。あとはさやとに任せる」

「…………」


 うわ、うわぁ……。字城さん、こんな表情するんだ。頬を赤らめ、目を伏せ、恥ずかしそうにごにょごにょしゃべって。私がけーくんの立場だったら、これ見てどう思うだろう。……イチコロじゃないかなあ。


「……あげない、から」


 前にも言われた台詞を言い残し、軽い駆け足で字城さんが去って行った。……なのに、照れくさそうに唇を引き結ぶ恋する乙女の残像が、いつまでも目の前から消えてくれなかった。

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