第49話 おもいでばなし②

 高校生の毎日は、気をつけないとものすごい早さで過ぎ去ってしまう。けど、気をつけるってなんだろう。具体的には、なにに注意すればいいんだろう。私はそんな誰が言ったともわからない格言に振り回されたせいか、結局気をつけるべき対象を見つけられず、気づいたときには夏休みが終わっていた。


「部活漬けの毎日も大変だったけど、また学校が始まったら始まったで辛いんだよねー」

「夏休みに学校来たとき、用事で体育館まで行ったんだよ俺。……で、あれなに? サウナ?」

「屋外は日焼けで、屋内は湿気。スポーツしちゃだめなのかもね、日本の夏って」


 教室の端で固まって、休み前と比較するとうっすら肌の焼けた森谷くんと話す。クーラーが設置されているおかげで教室の中は快適だけど、誰かがドアを開けるたびに熱気がもわもわ広がって気持ち悪い。もちろん体育館の過ごしにくさは廊下どころじゃないから、放課後の部活ではきっと苦労する。


「そういう森谷はなんでせっかくの夏休みに学校なんて来てたわけ?」


 私の真横に立っていた夕ちゃんが、森谷くんに質問を飛ばした。ちょっと前に結果が返却された夏休み明けの復習テストで夕ちゃんはクラス二位。もちろん森谷くんは学年でもクラスでも一番だから、私の周りにツートップがそろい踏みしていることになる。オセロみたいに私の成績まで上がったりすればいいのにな。


「生徒会命令。一人知り合いがいて、そいつにちょくちょくこき使われてる」

「う~わ、働き者すぎ。そんな面倒なの私なら絶対無視してるね」

「天下の生徒会役員さまに歯向かう方が面倒だからね。……あと、ちょっと大きめの借りがあるというか」

「森谷が? 基本的に貸してばっかいるくせに?」

「そうそう。俺でも恩を押し売れない相手はいるんだよ」


 この三人である程度固まるようになってから、森谷くんの酷使は前と比べれば多少マシになった……はず。さすがに放課後まではどうなっているかわからないけど、短い休み時間までフル回転することはなくなった。これまではそのなんでも屋っぷりから聖人みたいな扱われ方をしていた彼だけど、話してみると意外に人間味がある。愚痴も皮肉もそれなりに口にするし、どの先生が受け持っている授業が一番面倒かを夕ちゃんと議論していたりもした。そういうところもあるんだなってほっとして、「私は大体寝てるからわかんないや」と横からオチをつける。これには森谷くんも苦笑い……かと思いきや、普通に手を叩いて喜んでいた。なんで?


「しかし、もう九月だっていうのに馬鹿に暑い。二十四節気だと白露だっけ今? 草についた朝露がきらきら光るはずの時期なのに、水分なんか片っ端から蒸発するせいでそんな光景ちっとも拝めやしない」

「森谷はなんでそんなどうでもいいことまで覚えてんの? 俳句読む気?」

「一句呼んで気温が下がるなら喜んでやってる。でも、実際そんなことにはならないんだよ残念ながら」


 なんていうんだろう、二人の会話はちょっとだけオシャレな気がする。会話というよりは掛け合いって感じで、頭が良い人どうし通じ合うものがあるのかな。

 実を言うと、こうやって話すようになるまで夕ちゃんは森谷くんを食わず嫌いしていた。「ああいうのは絶対裏がある」「自分以外のために頑張るやつは大概ロクな人間じゃない」「誰かの助けになってる自分に酔っぱらってるだけ」などなど、強烈な偏見の数々を私に披露。夕ちゃん、昔から野生動物みたいな警戒心なんだよなあ。でも、言いたいことはちょっとだけわかる。見返りを欲しがらない人に助けられるの、怖いって思うもんね。見返りっていうと汚く聞こえちゃうけど、ご褒美や報酬って呼べば真っ当になる。給料を欲しがらず真面目に働くサラリーマンがいたら、みんなその人を変人呼ばわりするだろうし。

 森谷くんもそのあたりは理解しているからか、勉強に関して質問されたときにはよく「ジュース一本ね」なんて言って予め報酬を提示している。でも、真に受けた相手が本当に買ってくると「喉乾いてないから飲んじゃって」とかわすんだ。


『森谷が善い人に見えるなら、それは絶対勘違い。ちょっと話してわかった。善いは善いでも、独善だよあれ』


 ある日、夕ちゃんが私にこう言った。意味はよくわからなかったけど、森谷くんのスタンスを批判しているという雰囲気だけは伝わった。そう言う割に彼に対する夕ちゃんの態度は徐々に柔らかくなって、理由を聞いたら「人間的に嫌いなのと話が合うのとは矛盾しないから」というお答えが。これも意味がわからない。


『悪人じゃないせいで、余計にタチが悪いってお話。無能な働き者が組織にとって一番有害なのと同じ理屈。表面的な付き合いするだけならアリだけど、深く関わるのはナシもナシ。特に、鞘戸みたいなのは取り込まれやすいから要注意』


 わかるように説明してよとお願いしても、ぱちんとウィンクを返されるだけだった。夕ちゃんには昔から、こうやって誰かを煙に巻く癖がある。問題は、その誰かというのが100パーセント私なところだけど。

 でも、どれだけ言われたって森谷くんが悪い人には見えなかった。人のために頑張れるのは、ものすごく美しいことなんじゃないかと思うから。


「そういえばさ」


 森谷くんが、私を見据えて言う。


「二人ともバスケ部だし、新条くんのこと詳しく知らない?」


 彼が指さしたのは無人の机。そこに本来座るべき生徒は夏休みも終わって久しいというのに登校する気配を見せなくて、しかし表立ってその話題に触れようとする人はいなかった。


「夏休みの練習中に顧問殴って停学もらったのは噂で聞いてるんだけど、たぶんもう停学期間は終わってるよね。顔出しにくいって気持ちもわかるけど、さすがにこのままじゃ出席日数が少々まずい」


 なにを考えているのか、森谷くんの表情からは読めなかった。ただ、隣の夕ちゃんが肩を竦めて首を横に振るのが見えて、なにか大変なことが起こるかもしれないのだけがわかった。







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