第31話 隔てる

 よく晴れた青空のもと、校舎の外壁に吊り下げられた、昨日まではなかったはずの垂れ幕。見れば、既に学園内で知らない人間の方が珍しくなった字城とわという俺と同じ一年生の俊秀が、どこどこという権威ある絵画コンクールで最優秀賞を獲得したという結果報告だった。 

 明らかに学校とは関わりない、プライベートで参加したであろう大会。その成果をまるで学校の手柄として喧伝するようなやり方に、よくやるなあと一周回って感心した。ややもすると、ここ数年落ち込み気味な入学志願者数をV字回復させようと躍起になっているのやもしれない。つまるところ、字城は広告塔の役割を押し付けられたわけだ。

 

 それから数日後の全校集会で、名前を呼ばれた字城が壇上へとのぼった。遠目にもわかる儚げな容貌は単体でも商品価値を持ちそうなのに、そこに天才的絵画センスが上乗せされるのだから手に負えない。きっと、神様が十分過ぎるまでの時間と資源を注ぎ込んで造形したのだろう。そのしわ寄せで適当に作られた人間のことを思うといたたまれない気持ちになる。

 しかし、どういう理屈があって校長経由で表彰されることになるのだろうか。腑に落ちない部分が多かった、というかすっかり全て腑に落ちなかったが、本人が黙って登壇している以上、無関係の外野がなにかを思うだけ野暮ったい。一種のプロパガンダと思って思考停止するのがなによりだ。


 だが、他にすることがないのもあって思案は止まらない。字城とわは、その無機質な目で、一体なにを見ているのだろうか。容姿に恵まれ、才能に恵まれ、おそらくこの場にいる誰よりも神に愛された彼女が、愛されなかった俺たちを見下ろして、なにを思うのだろうか。


 答えは簡単。わからない、だ。


 恵まれない人間に、恵まれた人間の気持ちはわからない。――同様に、恵まれた人間に、恵まれなかった人間の気持ちはわからない。両者の間にそびえ立つ壁は堅牢かつ強固で、取り付く島もない。呆れかえるほどのないない尽くしに、小さく嘆息。


 ただ。


 誰からも羨まれる存在であるはずなのに、字城の表情に達成感や優越感が滲んでいるようには見えなかった。


 無論、壁越しの戯言に過ぎないが。


********************


「や」


 手をあげてご挨拶。詐欺の初心者みたいな手口だったが、存外上手くいくものらしい。宗教勧誘を断った話とか、家を空けているご両親から頻繁に届け物があるらしい話とかを聞いていたから、ドアが開くところまでは想定内。


「なん……」


 思っても見なかった来訪者に、字城は目を白黒させていた。その混乱に乗じる形で、俺はするりと家の中へ入りこむ。


「久しぶり……でもないか」


 数日前に顔を合わせている相手だから、久しいということはないのだろう。だが、それまでほぼ毎日のように連絡を取っていたのもあって、ぽっかり穴が空いたような感覚がする。

 字城の目元は、なんとなく腫れぼったかった。寝起きか、泣いていたか、あるいは両方か。ぱっと見の情報だけでは結論が出ず、それについては一旦保留しておく。


「なんにもメッセージないから、家で倒れてるんじゃないかと思ったよ」


 手にしたスマートフォンをこれ見よがしにからから振って、その隙に後ろ手でドアを施錠。断固出て行かないぞという意思表示だが、伝わったかどうかは謎だ。仮に伝わっていなくとも、立ち去る気など毛頭ないのだけど。

 少なくとも、言いたいことは全部言う。そうしないと収まらない。


「なんで……」

「それは俺の台詞だろってツッコミ待ち?」

「…………」

「とりあえず、赤点回避おめでとう。あれだけ頑張ってたんだから必然だけどね」


 嫌味っぽく聞こえただろうか。まあ、実際に嫌味として言っている以上、感情伝達は望んだ形で成立しているわけだが。


「で、どうして急に学校やめるなんて言い出したのさ」

「……聞いたんだ」

「そりゃ聞くよ。だって本人がだんまりなんだから」

「それは……」


 いつもはこれでもかというほど真っすぐ目を見つめて話す字城が、今に限って明後日の方向に視線を飛ばしている。その行動は後ろめたさを如実に表したものであり、自身の行いがどう評価されるものかはきちんと理解しているようだ。それゆえに、余計タチが悪い。天才の気まぐれというならどうしようもないことだと諦められるが、彼女の決断はあくまで理性的なものだ。ならば、あの努力とそこから得られた結果を水の泡にして構わないだけの動機が存在することになる。

 当初、彼女が返事をしてくれないのは試験で失敗したからだと思っていた。もしそうなら、それもまた仕方のないことだと受け入れられた。俺に告げるのが、もっとも苦痛を伴うだろうから。

 でも、現実はそうじゃなくて。


「……森谷には悪いことしたと思ってる。でも、もう、いい」

「なにが?」

「燃え尽きた。テスト終わったらすーって」

「そんな言い分を信じろと?」


 いくらなんでも口から出まかせが過ぎる。テスト終了とともに消えるような熱の入り方じゃなかったのは、誰の目にも明らかだ。彼女の頭には明確な展望があって、それ目がけて直進していたはず。赤点回避でいいところを平均点付近まで駆け抜けたややオーバーヒート気味の熱量には、どこか執念のようなものすら見受けられたというのに。

 今さら理解不能の天才キャラを演じようったってそうはいかない。俺がこの一ヵ月で得た情報だけでも十分に、今の発言の支離滅裂具合を論うことができる。安易な逃げは許さない。納得できる回答が得られないのなら、俺は何時間だってここに居座る心づもりだ。


「……とにかく、学校はもういい。最後に一ヵ月ちゃんと学生やって、満足した」

「あのなぁ」

「それに、森谷、元々言ってたじゃん。私に勉強なんて必要ないって。……なら、喜んでよ」

「…………」


 こめかみが引きつる。この女、まさか本気で言ってるわけじゃないよな。そんなふざけたこと、冗談なんか通じるわけがない状況で平然と口にするわけないよな。仮にそうだったとしたら、俺は……。


「これで、自分の時間全部絵に使える。……森谷も、その方がいいって思うでしょ?」

「おちょくってんのか?」

「…………」


 言葉遣いが乱れ、語気が荒ぶる。理性のコントロールが効くラインを飛び出した感情は、俺の中のとりわけ醜い部分を集約して字城へ刺さっていく。


「いつの発言掘り返してんだよ。俺はとっくに手のひら返して、字城が学生続けることの意義を捻り出してたってのに」

「……捻り出さなきゃ見つからないなら、必要ないじゃん」

「そうだよ! 無意味だったよ!」


 びくっと字城の肩が跳ねる。華奢な女相手に大声で詰め寄っている自分のダサさ加減は重々承知だが、直近一ヵ月の働きを思えばこのくらいは許されて良い。


「どんだけ考えたって、学校や勉強に時間を浪費する意味なんてなかったよ。それでもなんとか強引に自分の中で妥協できる理由を探して、納得させてたんだ。人とのつながりが創作に生きるんじゃないかとか、一番感性豊かな時期に一人閉じこもるのはもったいないとか、他にも色々。……たとえ、この期間がきっかけになって、青春捨てて死に物狂いで一点集中してた誰かの後塵を拝す日がきたとしても。これまで研いできた感性が刃こぼれしたとしても。本人にとって必要だって思えるなら、構わなかった。……でも、でもさ」


 寂しさに震える字城を、それも肥やしだ、経験だと突き放すわけにはいかなかった。天賦の才を持つものに与えられた、有限の時間。その中でもっとも非効率かつ非合理な使い道と頭では理解していても、本人が必要というのであればなんとか飲みこめる。いずれ生きてくるのだろうという、一時の慰めになる。

 それを、


「字城がいいって言うから目を瞑っていられたものを、それが今さら必要なかったって後ろ足で蹴飛ばされたら、俺は自分のやってきたことをどう評価すればいいんだ? 無駄なことに必死になってた馬鹿か? 波打ち際に砂の城でも建てたと思えって? そんなの、納得いくわけないだろうが。少なくとも世界で唯一字城とわだけは、そこにあった意味を否定しちゃ駄目なんだよ……」


 だから嘘でも建前でも、彼女にはあの時間を肯定してもらわないといけない。やっぱりやめたは通用しない。

 だって、それじゃあお道化みたいだ。振り回されるだけ振り回され、最後にはなにも残らない。特定の時期だけ虫食いのように穴が空いて、もう戻ってくることがない。


「別に、無意味だって言ったわけじゃ」

「そうなるんだよ、自動的に。本気の否定っていうのはさ」


 少なくとも、字城は本気だった。だから俺もでき得る限りのことをした。最後の最後で上手くいって良かったねと笑い合う。それだけあれば、俺は十分だったのに。


 しかし、問題の本質は、そんなところにすらなくて。


「そもそも、さっきまでの言い分のどこに本音がある。……まだ、俺はちゃんとした理由を聞いてない」

「……そんなの、森谷の思い込みでしょ」

「そうだよ。思い込みだよ。一方的に思い込めるくらい、仲良くなったつもりだったんだよ」

「…………」

「友達だって感じてたのは、俺だけか……?」

「…………」

「それとも、寂しいって言ったのも、一人はいやだって言ったのも、全部ひっくるめて嘘か……?」


 あの日、あの夜。薄闇の中でのぞかせた弱さこそが、嘘も偽りもない字城の素顔だと信じている。だから余計に、あり得ないと思ってしまうのだ。せっかくできた縁や関係を、ガムを吐き出すみたいに捨てるなんて。また、この広い家で一人孤独に耐える暮らしに逆戻りするなんて。


「……だって」


 長きにわたる沈黙を破り、ようやく字城が口を開いた。注視するまでもなく唇は震えており、それが声にも反映された。


「私、こんなに痛いって知らなかった……」


 それは嘆きにも贖罪にも聞こえた。……こんな感情も持っていたんだなって、場違いなことを思った。


 果たして今、俺たちを隔てる壁はきちんと機能しているか。

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