第15話日常からの逸脱3
大丈夫か?」
「うん………うん」
ふわふわして力が抜けるようだった。
この人は敵対していた国の人で、奴隷以前はどんな人かも知らない。それなのに腕の中がこんなに安心するなんて。
「どうして来てくれたの?」
来ないでって言ったのに。退屈だったからかな、ごめん。
「あんなこと聞いたりしたんだ、心配するに決まってるだろう」
「あ………」
ノアは言葉を詰まらせる私に構わず背中へと隠すようにし、果物ナイフを拾い上げた。
「マナを傷つけるな、彼女は自分の傷は治せない………『リランジュールの鷹』」
「その目、まさか『シュランバインの紅蓮の盾』か?」
え、今なに、なんて?リランジュールとは、この国。シュランバインとは隣国。それは分かるけど、つまり二つ名ってこと?スゴい、恥ずかし気もなく呼び合うとか、この世界の人スゴい。
「そういうことか」と、ジベルがクックッと笑う。
「まだ生きていたとは驚きだ。腱を断ち切ってから随分衰弱していたから棄てたはずだが、マナのおかげか」
ノアの袖を思わず掴んだ。
「なんてことを!あなただったのね!」
「マナ、落ち着け」
「いくら敵だったからって、やり過ぎでしょう!」
カッとなって喚き散らす私と違い、二人は落ち着き払っていた。
「なぜそなたが怒るのだ?」
ジベルは不思議そうな顔をするばかり。
「怒っていいでしょ!」
あの死にかけた姿、首輪を外した時に謝ってくれた彼、気を許して初めて笑った顔、ノアという人を少しだけでも知り得た。だから腹が立って仕方無かった。
掴みかからんばかりの私を片手で制止、ノアはゆっくりと後退していった。
「『鷹』、貴様のせいで性奴隷まで落とされたが、あいにく死にかけて務めもろくに果たせず売りに出されていたからな。その時にマナが買ってくれた。まだ運は尽きてなかったわけだ」
「そうか、マナに飼われているのか。その印は貴様が付けたのだな」
二人がほぼ同時に床を蹴り、刃がかち合う。
私は飼っていない。性奴隷いらない。そう弁解する余地はなく、刃の立てる音がひっきりなしに響いた。
だが短い果物ナイフ一つのノアが次第に押されてきた。
「よくも私の背に傷を付けてくれたな。長く痛んで厄介だったぞ」
「くっ」
ナイフを両手で支えて剣を受け止めているノアを見ながら、ごめん、私が傷治しちゃいましたと心の底で詫びる。
ノアは、筋力体力共に回復しきれていないし、栄養失調が長く続いた為にまだ痩せている。息が苦しそうだし、ナイフを持った手に力が入らなくなっているようだ。
「ノア!」
ナイフが回転しながら宙を舞った。ジベルが撃ち込んだ刃が彼の肩に刺さった。
「ううっ」
「きゃあ、だめ!」
剣を引き抜かれ、ノアは血が流れ出した傷を手で庇いながら距離を取った。
咄嗟に彼を支えるために前に回り込めば、彼は慌てたように片腕で私を庇うようにしてくれた。
「やめなさい、ジベル。これ以上は許さない」
神聖力でジベルの心臓を一瞬で停止させることだってできる。したくないだけだが、今は実行してもいいと思えた。怒りすぎて自分でも冷たい声が出たようだ。私の考えでも伝わったのか驚いたのかジベルがしばし目を見開いていて、ようやくザワザワと外が騒がしいことに気付いた。
午後の客と通行人が入り口から見ていた。店内は戦闘の割には、それほど荒れてはいないがただならぬ光景に皆唖然とした様子だった。
パッと手を引かれてノアが駆け出し、入り口の人々を分け入るようにして外に出た。困惑しているジャックにすれ違い、私は頼むのを忘れなかった。
「ジャックさん!店の戸締まりお願い!できれば片付けも!」
金庫には鍵がかかっているから問題ないだろう。
ジベルは人の目が付きすぎているせいか追いかけては来ない。店からやや離れた所に彼の従者が倒れていて、そこにも人が集まっていた。馬車もあり、きっと私を拉致って連れ出す為に用意していたのだろう。
家に戻り、ノアは布で肩を縛って止血を施しただけで、鞄に保存できそうな食料や必需品を詰め込み始めた。
「ノア、肩を治させて」
「平気だ。ここを急いで出るからマナも荷物を用意するんだ。『鷹』は執念深い。必ず追ってくるはずだから」
「どこへ行くの?」
不安が声に混じり震えた。私の声に、ノアが顔を上げて唇を噛んだ。
「すまない」
片手で頭を引き寄せられ、彼の鎖骨にコツンと額が当たった。
「あんたを連れて行く、許してくれ」
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