派閥 -Habatsu-
「さぁ来い、総司」
「俺の突き、今日は受け止められるかな? おチビ?」
鋭い音を響かせ、爽葉と沖田はもう何度目かになる試合に突入する。竹刀が鳴らしたとは思えぬ音だ。他の隊士達は道場の隅に寄って、汗滴る身体を休めつつ、その姿を遠巻きに見守っていた。
浪士組の稽古は相当激しいが、それに輪をかけて沖田の指導は厳しいものだった。その上、天才肌の沖田の説明は読解が難しいと、平隊士達の間では有名な話である。稽古が終わり、道場を出た途端倒れる隊士が続出することも多々あるほどだ。そんな平隊士達にとって、爽葉と沖田の試合は一試合が長い上に、一日に何度も行われるので、ある意味貴重な休憩時間となっていた。
「うわぁっ」
隊士達が固まって休んでいた場所に、爽葉が弾き飛ばされて雪崩れ込んで来た。隊士達を押し倒しておきながら、爽葉は彼等に目もくれず、ひっくり返った姿勢からすぐさま飛び起きると、勢いそのままに体勢を立て直して、また沖田に突進して行く。まるで獣のようである。
こんなことはもう慣れたことで、隊士達も特に気にはしない。小兵で軽い爽葉は受け止めても大した被害にはならない。寧ろ、壁に激突されるよりは、と受け止めに行ってやることもよくあることであった。
「っしゃあ! 取った!」
小さい身体を思いきり広げ、爽葉が破顔した。そして、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「もう一回やりましょう」
はしゃぐ爽葉を
「いいよ。まだ三十九勝四十一敗五十一引き分け、もうちょっと勝算稼がないと」
「また引き離しますけどね」
にやりと笑む爽葉は、木刀を手の内で回して、早速沖田から距離を取る。構えた鋒はゆらゆらと
「うお、お前等またやってんのか。懲りねえな」
木を焦がしながらも競り合う二人を見て、入り口から顔を覗かせた原田は、少々呆れた口調でそう零した。原田の後ろから道場を覗いた永倉も、汗塗れで試合をする二人の姿に目を細める。
「今日何度目だ?」
近くにいた隊士に原田が尋ねると、汗を拭っていた彼はその手を止めて、
「八回目です」
と、
その返答に頰を引き攣らせて、原田は永倉と共に稽古場を離れる。
「稽古中だろうに……」
原田はそう言って、苦笑した。
巡察帰りの二人は、土方の部屋へと向かう外廊下を、肩を並べて歩く。
「そういや、ぱっつぁん、チビちゃんと仲直りしたんだって?」
「はあ?」
永倉は眉根を寄せて、原田を見た。原田は、首の後ろに回した槍に両腕を引っ掛け、腹の立つにやけた表情を浮かべている。短気な性格であることが微塵もわからない、艶っぽく大人びた目元。余裕のある笑顔を緩め、見下ろしてくる原田に、永倉は思わず顔を顰めた。
「凄く喜んでたぞ。ほんと子供だわ、ありゃ」
つい先日のこと。原田はやけに上機嫌な爽葉と
「えへへ、新八と仲直りしたんだー、ってな」
「……仲直りじゃねえよ」
爽葉の声真似をする彼に、永倉は呟き気味に
仲直りなどではなかった。永倉も流石に、庇ってもらった手前、礼をしないなどと言う不義理な男ではないので、爽葉と立ち話程度に会話を交わしただけだ。感謝の言葉と少々の非礼を述べただけ。
「ただそれだけだ」
「元々世話焼きのお前のことだから、爽葉と良い組み合わせになると思うんだがな」
原田は毎度こう言うが、永倉は認めたくはなかった。だがしかし、今後は彼と上手くやっていかなければならないことは、正真正銘の事実である。
「よう。巡察、終わったか」
「ああ、土方さん。終わったぜ、異常なしだ」
丁度廊下の曲がり角から姿を現した土方が、二人に向かって片手を挙げる。原田は槍を下ろし、
「なあ、芹沢さん見なかったか」
「見てねえよ」
返事の代わりに、苛立ち紛れの舌打ちを一つして、土方は頭を掻いた。
芹沢は、近藤と共に壬生浪士組の局長を担っているが、その組内においても出身ごとに、近藤派と芹沢派に分かれがちである。屯所の拠点も住み分けられていて、近藤達は
「どうしたんだ」
永倉の訝しげな疑問に、土方は懐を
「金のことだ」
やっぱり、と二人は土方同様、困ったように眉尻を下げた。
近頃、土方と芹沢が言い争っていることと言えば、資金集めのことぐらいだ。芹沢は豪傑肌が幸いして、金を強引に提供させたり貸させたりと恐喝まがいの手段に出るので、土方がもっと穏便に上手く済ませと言って度々喧嘩に発展している。
確かに、会津藩の御預かりの組織とはなったものの、所詮、非正規組織である。給料手当てが無く、金銭的に困っていた。金を借りざるを得ないのは承知のことだ。ただ、彼等が資金を使うのは、組織の為だけでなく、酒と女など、
こんな食欲旺盛な男ばかりの大所帯にして、悲しいことに飯はひもじい。最近拾われたあのチビも、育ち盛りか何だか知らないが、予想を遥かに超えた食いっぷりに、更に食費が
「そういや、芹沢さんにチビちゃんを会わせたのか」
「まだだ」
目当ての煙草を持っていなかったのか、彼の右手は結局何も掴まずに懐から出てきた。眉間に皺が寄って、仏頂面が更に厳しい顔付きになる。
「隊士募集と入隊時期がずれたからな。いやに目立つ」
「しかも、チビちゃんの性格と剣術は、余計芹沢さんの興味を引いちまいそうだな。気に入れば、しょっちゅうちょっかい出して来るぞー」
原田はそう言いながら想像でもしたのか、「ひゃー」とわざとらしく頬を両手で挟んだ。身体が大きいからか、その可愛らしい仕草が、彼には本当に似合わなかった。
「あいつが、芹沢一派に加わることは無いと思う」
その言葉を発した声に驚いて、少し目を見張った土方は、直ぐに面白がるように「へえ」と
「てめえがそう言うなんざ、予想してなかったな」
「だな」
原田も興味深げに、永倉を覗き込む。
「どういう風の吹き回しだ」
笑いを含んだ二人の視線を邪険に手で払うふりをして、永倉は顔を
近藤も原田達もあの土方すら、揃いも揃ってあんな軽々しく、突然現れた素性の分からぬ人斬りを隊士として引き入れるなんて。ずっとそう思っていた。上京して来たばかりだというのに組織を潰させてはならないと、爽葉を
土方の用意周到さには、散々舌を巻く思いをしてきた。今回も例外では無かったということだ。それを理解した今、皆よりも何歩遅れの彼との関係を築き始めるべきだと、何よりも永倉自身もそう考えていた。切った張ったのこのご時世、いつ乱闘になるやも知れないこの組織で共に歩んでいく者同士なら尚更、そういうことは大切なのである。
「早めに会わせておくか。引き延ばしたところでいいことはねぇからな」
「資金の方の話はどうすんだ」
「そっちも近いうちに片すさ。じゃ、お疲れさん」
原田の茶化したような発言もさらりと躱わして、土方は黒い着流しの裾を靡かせて去って行った。
「やっぱお前、真面目だよな」
「るせえ」
小突く原田の巨体をど突き返し、永倉も広い肩で風を切って歩き出す。まだ今日も陽が登ったばかり。何か波乱の起きそうな、予感のする日である。
藍の髪に付いていた幾つもの
「ぷはぁっ」と気持ち良さそうに水を頭から被った少年は、吹いた風に顔を冷やされて、急いで手拭いで水滴を拭った。
昼時の稽古終わり。支度の遅い爽葉はひとり、井戸の前で汗を流して身支度を整えていた。沖田はさっさと次の指導に行ってしまうし、最近会話を交わすようになった他の隊士達も、支度を済ませたとあらば、直ぐに自室に着替えに向かってしまった。確かにこの時期外を
凍えるような寒さにも調子を乱さず、爽葉はゆっくり休んで、ゆったりと身支度する。山南との茶飲みにもまだ時間があるし、土方にちょっかいを出すにも彼は仕事中で、稽古前に追い払われたばかり。藤堂や原田達は巡察か、沖田同様稽古の指導。とどのつまりは、暇なのだ。
井戸の桶を片し、手拭いもしっかり洗ってから水気を切って、物干し竿に引っ掛けた。手拭いの刺繍は、やや年寄りくさい柄。バシャバシャと適当に水を浴び、汗を流していた爽葉に、八木のおっちゃんが貸してくれたものだ。浪士組の屯所は、八木十一代目当主、
「悲しいくらい貧乏なんだな」と正直な感想を口にしたら、いつものように土方に引っ叩かれた。あいつは乱暴でいけない。
「ん?」
春になって風光るこの頃は、綺麗な鳥の声がよく聴こえてくる。求愛の囀りか、腹を空かせて鳴く声か、
藤堂に連れられて、何度か昼間の街に出てからはすっかり慣れたもので、昼間の巡察は爽葉の楽しみの一つとなっている。人の喧騒に揉まれ、雑多な音に耳をすませ、興味唆られる匂いを嗅ぐ。その分とても疲れるが、それよりも好奇心が勝った。何より、今まで触れてこなかった未知なる体験は、爽葉の価値観を大きく変え始めていた。
鳥の鳴き声に子供特有の甲高い
「変わった奴だな。お前、何処の
野太い声が掛かる。それと同時に、幾つもの視線が一斉に爽葉に向けられた。敵視ではなく、殺意もない、純粋に訝しむ眼差し。咄嗟に反応した右手は結局、一瞬ピクリとしただけに留まった。
「誰だ」
僕に目を向けて来るのは。
爽葉は唇を噛む。
好奇心? 懐疑心? 恐怖心?
子供の視線とは全く別の男の視線は、一体全体、何の心でこの身を貫くのか。
爽葉は口を一文字に結ぶと、膝を軽く曲げた。
「威勢の良い小童は、嫌いじゃねえよ」
純粋なものとは異なり、濁りさえも感じるその視線は、
「僕は小童じゃない」
爽葉は噛み付く。
「そうか?」
豪快な笑い声を上げながら、男はのっしのっしと近づいて来た。大柄な男のようだ。周りに、幾人もの子供を引き連れている。
「お前にも絵を描いてやろう」
「要らん。そんなもん」
腕を組んで、「ふんっ」と顔を背けた爽葉を見て、男は腹の底から声を出して、その姿を笑った。
「ねえ」
爽葉の小袖の裾が、軽く引っ張られる。
「君も描いて貰ったら。このおじさんの絵、すごく面白いんだよ」
男の子の声だ。
「儂はまだじいさんじゃねえ」
男はそう言うが、先程の爽葉の発言と似たり寄ったりの
「なあ、小童。てめえは目が見えねえのか。それとも何だ、ただの怪我か。ん?」
遠慮もへったくれもない。土方みたいだ、と爽葉はゆるりと半身振り返った。
この出会い頭にも関わらず、全く崩す気のない高圧的な態度と物言い、皮肉にも実力を感じざるを得ない、彼から放たれる気配は、不覚にも剣士として
やはり、土方のようではないか。彼からは、手練れ特有の匂いを感じる。
「言う義理なんてないだろう? 絵描きのおっちゃん」
男は周りにいた子供達を向こうへと追いやって、爽葉へと一直線に歩みを進めた。一歩が大きい。相当な巨躯だ。カシャンカシャンと薄い金属を擦り合わせたような細く鋭い音が、彼の歩みに合わせて懐の辺りから鳴っている。何を持っているのだろうか。
爽葉の見上げる顔に、影が差す。ゆっくりと爽葉との間を詰めた男は、その巨体で爽葉を完全に陽光から遮っていた。
「……!」
突然、一瞬前までは全く纏っていなかった、痺れるほどの殺気と圧倒的な威圧感が、爽葉の四肢に巻き付くように絡み付いて、渦に引き摺り込もうとした。
乱暴的なまでの牽制。苛烈な攻撃的気配。長年培ってきたであろう、紛れも無い本物に引き出されたのは、爽葉の本音だ。
「……おっちゃんと剣を合わせてみたいものだな」
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