朋友 -Houyuu-




「あれ、おチビ。面白そうなことしてますねぇ」


 ガッシャンと大きな音をたてて、沖田の視界を凄い勢いで転がって横切って行き、もんどりうって中庭に転げ落ちたのは、新米隊士の爽葉だ。沖田は庭に潰れている彼を眺めながら、浮世絵の描かれた菓子袋から金平糖を数粒取り出して、口の中に放り込む。それをぼりぼりと歯で噛み砕きながら、縁側から爽葉を見下ろし、甘い香りを口許から零している。

 足が頭の上にあるという変な姿勢のまま、爽葉は首だけぐりんと沖田の方に向けて、「うるさい」と一言文句を言った。


「ったく、邪魔だっつってんだろうが。チビ助」


 鴨居に片手をついて姿を現したのは、煙草を咥えた土方だ。沖田を見ると殊更眉間の皺を深くして、面倒事が増えるだろう、と明らかに懸念している様子。沖田はまた袋に手を突っ込んで、金平糖を掴み取った。色とりどりの星形の砂糖は、晴天から降り注ぐ光を吸っては、柔らかに散らばらせている。


「昼の巡察、完了しましたぁ」


 沖田は気の抜けた声で、巡察の報告する。尚も菓子を咀嚼し続ける沖田に、土方は呆れた眼差しを送った。そして、土の上に座り込み、身体中に付いた泥を払っている爽葉を見遣る。あたかも被害者であるかのような表情をしているが、被害をこうむっているのは土方の方である。

 近頃は何故こうも、仕事を邪魔する奴ばかりが増えるのか。厄介な沖田は言わずもがな、揃うと面倒な原田、藤堂、永倉の三人組に加えて、一人でもピーピーと雛鳥ひなどりの如くうるさ爽葉こいつときた。心労祟って、煙草の消費量が増えるのでは、といささか危惧している。


「総司。トシがまた恋文書いてるぞ」

「本当?」


 薄茶色の瞳を急に爛々らんらんと輝かせ、にこつく沖田を押しやって、土方は額に太い血管を浮かせた。


「ただの手紙だって何べん言ったら分かるんだ。終いには落書きしやがって、この糞餓鬼が。書き直しじゃねぇかよ」

「糞餓鬼じゃないぞ! この糞土方、禿げろ! 禿げてしまえ! 髪をえなくなっちまえ!」

「うるせえ、俺は未だ三十にもなってねえんだ。今から禿げてたまるかよ」

「確かに早めに禿げて貰いたいですねぇ。爽葉、一緒に、土方禿げさせようの会でも作りましょう。じわじわとしつこく嫌がらせをして、懊悩から精神的に追い込めば自然と髪は抜け落ちます」

「入会した奴から切腹だ」


 シャーッと猫のように、土方を威嚇する爽葉。それに便乗して、余計なことを吹き込む沖田は殊更憎たらしい。幼少期はもう少し可愛げがあったものを。

 泥塗れになったまま、部屋に入って来ようとする爽葉を、部屋を汚されては堪らないと、土方は再び庭に転げ落とした。


「ちょうど暇な奴がいるじゃねえか。餓鬼同士で遊んで来い」


 二人に馬鹿にしたような嘲笑と一瞥をくれてから、土方は高らかな音をたててぴしゃりと障子を閉めた。


「試合でも、しましょっか。土方さんの夕餉の魚を賭けて」

「乗った」


 そう言うが早いか、二人は競うようにして狭い廊下を踏み鳴らして稽古場まで駆ける。壁にずらりと掛かられていた竹刀から、二人はそれぞれ適当に竹刀を引っ掴むと、早速向き合った。

 円を描くように、足音を忍ばせ、腰は低く、目は逸らさない。それが例え、心の目だとしても。


「今のところ、俺の三十五勝二十九敗六引き分け。今回もおチビの負け戦ですね」


 流れるような綺麗な姿勢で刀を構えた沖田は、そう言って笑う。その様は美しく、滑らかで、隙がない。爽葉はハン、と鼻を鳴らして皮肉っぽく歪めた口を開いた。


「それはどうだか。油断は命取りだぞ、総司」


 水に濡れた氷が割れるようにして、張り詰めて緊迫した空気に亀裂が入った。

 シュン、と空を縫って爽葉へと伸ばされた刀を紙一重で弾き返し、そのまま翻って来た第二打も難なく避ける。その剣が作り出した風圧は、去り際に爽葉の頬を掠めた。

 沖田の力の込もった一撃をつばに一番近いところで受け止め、腕を緩めてその力を逃す。俊敏でありながらも、見かけによらず力のある剣だ。最後の瞬間に益々冴えは増し、威力は強くなった。

 爽葉は少し沈んでいた膝を更に曲げ、横薙ぎの一線を躱す。腕をしならせて、短刀の連撃を沖田の胴に向けて放った。彼は器用にそれを弾き飛ばすも、額からは汗が散った。

 爽葉は左手を地面につき、身体を上手く反転させて足元に滑り込み、沖田の足元を狙う。それをさせまいと、素早い足捌きで移動。沖田は竹刀で爽葉を追い払う。

 しかし、爽葉の動きはまるで軽業師かるわざし。くるりと回転しながら、沖田の竹刀から逃れる。沖田の竹刀の側面には、爽葉が足で蹴った跡。


 「当たらなかったか」


 沖田は舌打ちした。

 沖田は、ゆっくりと剣先の焦点を爽葉に合わせる。それに応じてか、爽葉の姿勢も低く低くと、野獣と化した。

 沖田は息を吸った。剣先を上げて右にずらし、左小手に合わせる。平正眼へいせいがんの構えだ。

 それを見て、周りで試合を見物してた者達がどよめいた。この構えと不足のない相手、そして何よりも沖田から漂う殺気が、これから繰り出されるであろう彼の得意技を示唆している。

 集中した沖田の気を感じ取ってか、対峙する爽葉の身体が急に、物騒な圧を纏った。


「一発で仕留めてあげるよ」


 言葉だけを其処そこにとり残して、沖田の身体は既に、爽葉の懐へと向かって来ていた。

 その音を拾って、すぐさま爽葉の短刀が風を切り裂いて前へと突き出される。

 砲弾から飛び出した鉄のつぶての如く、目にも留まらぬ速さで迫ったきっさきを、爽葉は僅かな幅しかない刃先で受け止めた。

 摩擦で、チリ、と互いの刃が火花を散らしたように思えた。

 瞬転、次の突きが繰り出される。

 沖田の突きがあまりにも素早いもので、爽葉は一度刀を後方に引っ込めることなく、同じ流れの中で、今度は鍔の側面で受け止めた。ガリッと木が砕けた。

 呼吸を忘れる。破片が飛び散って爽葉の頭上に舞う間に、更に次の突きが唸る音が彼の鼓膜を揺らす。


 速い。間に合えっ──。


 ガッ! と、竹が破砕する音と、弾き飛ばされた爽葉が壁に激突する音が重なった。

 背中をしたたか壁に打ち付けた爽葉が、声にならない息を洩らす。そのまま崩れるように地面に潰れると、沖田をギロリと睨んだ。実際は見えてはいないのが、惜しいところだ。

 手に握ったままの脇差の竹刀は、柄の真ん中辺りで真っ二つに折れていて、もうほんの五寸もなかった。刃の方は、反動で何処かへ飛んで行ってしまったようだ。

 手応えはあったから、きっと力が足りなかったことに加えて、重心が寸分ほどずれていたのだろう。


「どう? 俺の三段突き。なかなか痺れるでしょ」

「うっさい。……甘いっての」

「強がっちゃって。ま、最後の突きを受け止めたことは、褒めてあげます」

「上から目線が余計腹立つ」


 そう言い捨て、身体を起こそうとしたはいいものの、背中の強打は流石に身体にこたえたらしい。意思に反して、爽葉の四肢は、思うように動かなかった。膝を地面に突っ張って、ぎくしゃくとした動きで上半身を起こしても、痺れた背中が痛かった。そんな爽葉を片手で難なく引っ張り起こして、沖田は、「ごめんね」と小さく呟いた。


「なぜ謝る。ますます腹立つ」


 そう軽い調子で頰を膨らませた爽葉を見て、やや驚いたように目をみはった沖田は、悪態を吐かれたというのに、柔い笑顔を顔いっぱいに広げた。


「俺の三段突きを初見で受け止めたの、土方さんと一君とおチビ、君ぐらいですよ。……おチビは若干失敗してたけど。今後に期待してます」


 支えてもらいながらだったが、調子に乗った沖田をど突いて、「覚えとけ」と威勢の良い捨て台詞を放った。

 それから休みを挟んで、またしても数回激しい試合を繰り広げた後、汗塗れの格好のまま二人は帳場ちょうば*に寄った。何か腹に入れられるものを摘み食いしようと、揃って棚を漁る。沖田は菓子泥棒の常習犯なので、帳場の何処に何があるか、大体の位置を把握していた。


「菓子はこの辺りに保管してあるんです。ほら」


 嬉しそうに沖田が引っ張り出したのは、煎餅だ。その匂いを嗅ぎ取って、爽葉も「煎餅!」と嬉しそうにしている。


「おい、こっちにもあったぞ」


 下の戸棚に体ごと顔を突っ込んで、もぞもぞと何か探していた爽葉は、しっかりと干物を掴んで出て来た。沖田はたまらず、「……猫?」と呟いた。


「そんなところにも隠し場所があったんですね」

「僕の鼻は誤魔化せないからな」


 土方が言っていたのはこれか、と沖田は、干物を持って喜しさに小躍りし出す爽葉を、棚を漁りながら横目に捉えた。

 視力を失えば、それを補おうとして他の能力が発達するらしい。土方によれば、動物や人間が外界を感知するための多種類の感覚機能の内、視覚以外の四つ、聴覚、触覚、味覚、 嗅覚の発達が見受けられるそうだ。沖田も、土方の盲目の兄に何度か会ったことがある。脳の作りが違うのではないか。そんな思いすら抱かせるほど、彼の察知能力は人並外れて鋭敏だった。

 沖田は先程の試合を思い返す。爽葉の剣だって、そうだ。四つの感覚だけに依存して、戦っている。嗅覚で敵や味方の位置を把握したり、触覚で物との距離を測ったり。かと思えば、聴覚で刀が風を切る音を捉えて戦う。人間離れしているこの感覚機能の発達が、彼の相手の動きを先読みしたような反応の良さと、真似のできない妙技を生み出しているのであろう。それでもきっと、盲者もうしゃの全員が全員、成せる技ではない。爽葉の先天的な才能と、何千何万も重ねた苦労が実った結果なのだろう。


「なあ。これ山南にも分けて道連れにしてやろうぜ。多分今頃、間食の時間だ」


 菓子がこんもり乗った皿を沖田に押し付けて、「先行っとけ」と爽葉は言う。


「あっちにもありそうなんだ。もう少し、探してから行く」

「じゃあ先行ってますよ? 土方さんとかに見つからないようにね」


 しかし、帳場を出て行った沖田の代わりに現れたのは、よりによって、懸念していた最悪の人物だった。

 爽葉は何故か、彼のことはすぐに解る。それは煙草の匂いに混じって仄かに鼻腔に届く、彼自身の香りの所為なのか、他の人より少し低めの体温の所為なのか。将又はたまた、淑やかにも無骨にも感じる、独特の威圧感の所為なのか。それともなんだろう。彼の発する魅惑と刺激に溢れた、魅惑的な雰囲気を察知できるようになったのか、彼の歩き方の音を覚えたからか。実のところ、爽葉自身、よく分からない。


「てめぇ……また摘み食いか!」

「いひゃい! いひゃい! 離せぇ! 頰がちぎれるぅ!」


 土方の袴をげしげしと蹴って、羽交い締めされた体勢から脱出すると、爽葉はつねられて赤くなった頰をしきりに摩った。


「本気でやりやがって」


 眉根を寄せて被害者ぶる爽葉に、土方の小言は止まない。


「どうせ総司もだろう」


 土方のじとりとした指弾の視線が刺さるのが分かった爽葉は、ふん、と腕を組んでふんぞり返った。


「山南にも分けるから、三人だ」

「巻き込むんじゃねえよ」


 ポカ、と頭を叩かれて、爽葉は反論をしようと土方を見上げた。土方も随分と背が高いらしい。原田ほどではないが、視線を交わらせるのに角度が要る。ここの者達は発育がいいのか、軒並み背が高い。


「あ……」


 上を見上げ過ぎたようだ。そう思った時にはもう体は平衡感覚を失って、ぐら、と足元が不安定に揺れる。しまった、と爽葉は思わず、顔に焦燥を走らせた。身体が後方にかしぐのに足が咄嗟に反応出来ない。目眩を起こした時同様、一抹不安が過ぎる。この感覚はいつまで経っても苦手だ。

 転ぶ、と確信した時、爽葉の腕が掴まれ、ぐん、と勢いよく引っ張られた。気付けば、土方の低い体温を近くに感じる。やけにそれが心地良くて、爽葉は包帯の奥で目を見開いた。


「ったく。何してんだ、阿呆」


 思いの外近くで、土方の低い声が聞こえた。耳を寄せてしまった胸元からはその振動が伝播して、爽葉の体の髄にまでその声を響かせた。悔しいが、やはり凄く良い声だった。

 咽喉につっかえていたお礼の言葉は、気恥ずかしさに口走っただけに終わった。


「そういや、屯所内は歩けるようになったのか」


 直ぐに離れて行った、土方の体温や香り。それを残念に思う自分に、慄き半分、嫌悪半分の思いが堂々巡りする。そんな厄介な思考を頭の隅の方に押しやって、爽葉は首を横に振った。


「西側が、まだ」

「あぁ。あっちか」


 苦虫を噛み潰したような表情で、言葉を濁した土方は、


「風呂の奥は」


 と続けて尋ねる。


「あ。そっちもまだ」

「連れてってやるよ」


 手を引っ張る土方に導かれ、爽葉は廊下をゆっくり歩く。珍しい事もあるものだ、とぼんやり考えながら、その繋がれたてのひらに、暗闇しか映さぬ瞳の視線を落とした。

 藤堂や原田、沖田は、普段からよく進んで案内役を買って出てくれた。屯所のあれやこれやは、大抵その三人に教えて貰う。斎藤や山南も、茶を飲みながら色々話してくれたりしていた。この男は、屯所に爽葉を閉じ込めたくせに、案内もろくにしやしなかった。いつも仕事があると言っては他の者に爽葉を押し付け、邪魔だと言っては爽葉を邪険に払っていたというのに、どんな風の吹きまわしなのだろうか。


「お前、本当にトシか。こんな優しい筈がないだろ」


 思わず口をついて出た本音に、ミシリ、と土方の額に数本の皺が寄る。


「てめえ、人の親切心を疑うたぁ良い度胸じゃねえか」

「日頃の行いからトシに対する猜疑心さいぎしんしか生まれない」

「日頃の行いが悪るいのはてめえの方だろが」


 舌打ちして、爽葉の腕を引っ張る強さは強くなったけれど、導き方は丁寧で手馴れていて。爽葉は複雑な面持ちで、目の前の彼の背中を睨んだ。頰を膨らましたって、口を尖らせたって、前だけ見て歩く彼は、後ろの爽葉の小さな反抗に気付かない。それがつまらないような、味気ないような。いつもこんな調子であしらわれるのだ。どうしたって自分が子供扱いを受けているようにしか思えなかった。

 腹いせに、土方の背中に拳をぐりぐりと押し付けて気分を紛らわせていた爽葉の頭を、彼は力一杯叩く。この男は、加減というものを知らないのだろうか。


「この辺りだろ」


 手を離され、一人で立つと、渋く温い風が爽葉を包み込んだ。肺がいっぱいになるまで、其処に落ちていた空気を吸い込んでは、吐き出して、また吸い込んでは吐き出す。爽葉の小袖の胸元が、それに合わせてゆっくりと上下した。土方は壁に身体を預け、深呼吸を繰り返す爽葉の姿を、腕を組んで後方から見守っている。




帳場…台所

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る