誰何
亡骸には必ず傷が二つあった。太い血管が通る箇所に一つ、急所に傷が一つ。双方的確な位置で、急所の傷で即死のようだった。どの遺体も
どれを取っても見事な一太刀で。眉間のど真ん中、
その
「それもそうだな。ま、当分は、下手人を捕まえる事が先決だ。引き続き頼むぞ」
一礼した山崎が出て行こうと立ち上がり、
「狙われているのは長州出身の、名のある者ばかり。しかし、気は抜かないでくださいね」
「わかってるさ」
「……ほんま、分かってんのかいな」
眉根を寄せる山崎は、シッシッと手を振る土方に呆れた表情を見せつつ、部屋を去って行った。近頃は土方達の名も有名になりつつあるが故に、身を案じてくれているのだろう。
襖が閉まるのを目の端で掠め見てから、土方は再度筆を取る。書き物を進めつつ、雲行きの怪しいこの事件をどうにかしなくては、と思案するのであった。
あれから、
人斬り少年の情報は未だ得られないどころか、積み重なる事件に不可解な点が増え、捜索は難航するばかりであった。
「総司!」
立ち止まった沖田のもとに駆け寄ってきたのは、人懐っこい笑顔を浮かべた青年だ。名を、
「なあ暇だろ。
「甘味! 行きましょう!」
甘いものに目がない沖田は、彼の誘いに一も二もなく返事をした。すぐさま自室から、銭の入った巾着を掴んで来ると、足取り軽く藤堂と共に村の甘味処へと向かう。
沖田と藤堂が所属する、
幕府の弱体化と黒船来航を背景に、世は
天皇の居所であり、政治の中心である京都は、諸藩から尊王攘夷*・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化していた。退廃化阻止の為に動いた
江戸での募集に応じた浪士、総勢二百三十余名の中に沖田達もいた。江戸市中にあった、
寒さの厳しい二月の末、将軍に先立ち、約半月かけて京に到着した一行に早速災難が降りかかった。江戸へ帰還の危機だ。旅の本当の目的は、将軍警護でなく尊王攘夷の
一時はどうなることかと思ったが、今でもこうしてなんとか活動を続けている。彼等が住まうのは壬生村。京に上って間もないが、日々町の見回りを行うので、沖田も藤堂もすっかりこの土地に慣れていた。
二人は店に着くと、紺に白字で井島屋と染め抜かれた暖簾をくぐる。行きつけの甘味処だ。特に、みたらし団子が絶品である。
「いらっしゃい。総司君じゃないですかぃ」
皺の多い目尻を下げ、にこにこと柔和な笑顔を浮かべるお爺さんが、ひょっこり顔を出した。二人の姿を見つけると、嬉しそうに声を掛けてくれる。何度も通ったお陰か、この甘味処の主人とはすっかり顔見知りの仲だ。
壬生浪士を
「平助君も。ゆっくりしていってなぁ」
注文を取った彼はそう言うと、店の奥へと消えて行った。
「楽しみですね」
「毎回思うけど、あれだけ頼んでよく太らないよな」
藤堂は頬杖をついて、呆れたように目の前の沖田を眺めた。目を爛々と輝かせながら、依然品書きを眺めている。薄い茶色の総髪が嬉しそうに弾んでいた。
「何言ってるの、甘味は俺の剣の
「単純に好きなだけだろ」
甘味が運ばれて来ると、待ってましたとばかりに、沖田はだらしなく相好を崩す。壬生浪士組きっての剣客が、甘味一つで形無しである。
「ちょっと! お前の所為で、皿が机に乗り切らないんだけど!」
騒ぐ藤堂を
「そう言えば、辻斬りの
藤堂は周りを伺ってから、こそっと沖田に顔を寄せて
「いいなあ!」
藤堂は一口大福を齧って、更に続きの話を催促する。
「ずるいよ総司、俺も一戦してみたい。どうだった? 強かった? どんな太刀筋だった?」
藤堂が、子供さながらジタバタと足をばたつかせるので、皿の載った机が不安定に揺れた。沖田は団子を飲み込んで、ぴ、と指を立てた。口の端にみたらしが付いている。
「あくまでも、俺が推測するに、ですよ。ただの怪しい奴かもしれませんし。しかし、ありゃ我流の剣ですね、完全に。戦場でがむしゃらに鍛えた叩き上げの剣だ」
「どれくらい強い」
「まだ何とも言えないけど、俺達と互角にやり合える程度かもしれない」
「へえ……」
藤堂は目を丸くする。
「下手人の可能性は大きいんじゃないか?」
「ああいう殺り方の人斬りには、なかなか興味が湧きますしね。一度聴取しても損はないでしょう」
「ああ、あれな」
藤堂は死体の回収を手伝った時のことを思い出した。
花街の片隅で死んでいた男は、見事足の
一緒に回収に行った土方は、死体を見ながら気色の悪い笑みを浮かべていたが、確かにあの鮮やかな
藤堂も腕に覚えのある剣士。下手人に会ってみたいものだと思っていたが、沖田に先を越されたのは実に残念である。
「おじさん、追加ー」
「はいよ」
「まだ食べんの」
沖田のその言葉に、思惑に
二人帰る頃には既に陽が傾いていた。冬の冷たさを感じるものの、京は春めいた気候になってきている。
「たらふく食べれましたね」
「思い出しただけで胸焼けが……」
上機嫌の沖田に対して、隣を歩く藤堂は頰をげっそりとさせる。
「そうかなぁ。平助も」
沖田の声がふつりと途切れた。不審に思った藤堂が、「どうした」と訝った。藤堂の声が全く聞こえていない様子の沖田に、藤堂が顔を覗き込むと、開ききった沖田の瞳孔がある一点を注視していることに気付く。薄茶の
あの、少年だ──。
確信した瞬間、沖田の周囲からは全ての雑音が消えていた。木枯らしが鳴らす木々のざわめきも、鳥の
空を朱に染めていた陽が、音もなく沈んだ。
通りは、瞬く間に薄暗さを纏う通りへ変貌し、店の提灯には次々と明かりが灯っていく。
ぶわり。音が聞こえそうなほど、沖田が漂う空気が変化した。それを肌で感じ取った藤堂は、「おい」と沖田の肩を咄嗟に掴む。
「やっと、会えた」
「は?」
嬉々とした呟きに、藤堂は戸惑った。口許には冷笑を湛えているというのに、瞳は熱を持った刃の如く鋭い。遠くの少年だけを捉えて、離さない。
沖田は足早に歩みを進めた。突如、少年が足を止め、急に進行方向を変えて路地を曲がった。
「気付かれたか」
沖田は土を蹴り、駆け出した。地面が履き物の形に凹む。
「ちょっ、おい! 総司!」
訳も分からぬうちに置いて行かれた平助は束の間立ち尽くし、彼の背中に向かって叫ぶ。しかし直ぐに、沖田に加勢しようと彼もまた地面を蹴った。
「もしかして、総司が言ってたのって、これ?」
「予想以上に小さい」という言葉を飲み込んで、藤堂は沖田と対峙する少年を見た。小兵*だとしょっちゅう揶揄われている藤堂よりも、優に頭一つ分は小さい。そしてその異様な外見に、思わず藤堂は彼を無遠慮に凝視した。
細い一本道。素早く少年の退路を二人で断つ。
小柄な体躯の子供一人に対し、こちらは浪士組きっての隊長二人だ。余裕だろうとたかを
「え、ちょ! お、わっ。
藤堂は目を
「平助、ちゃんと避けてくださいね!」
「いや何これ! 聞いてないんだけど!」
騒いでいる間にも、次々と飛んでくる幾つもの手裏剣を、沖田と藤堂は華麗な手捌きで弾いてゆく。少年が狙う位置は確かに的確だが、弾くに
「久方ぶり、ですね」
無表情の少年に向かって、沖田はにこりと微笑んだ。不気味な包帯が、風に靡かれて残すのは白い
「突然で悪いんだけど、
少年は沈黙を貫いていた。暫くして、返事の代わりに両足が開かれ、身体の重心が下がった。砂利と擦れる音が、やけに大きく響く。沖田はそれを見て、軽く目を伏せた。
「捕まえちゃおうぜっ」
藤堂が両手を前に出し、捕まえる素振りをして笑う。
ふざけた表情から一変。す、と目を細めた藤堂の纏う気が、冴え渡った殺気に変貌した。
振り下ろした藤堂の刀の刃が届かない距離で、少年が急に後方に飛び
驚いたことに、少年は身軽にもすぐ側に生えていた木に飛び移る。しかし、すぐさま追いついた二人の刀が、彼の腕と太腿を深く斬った。枯葉の上に赤い
少年は小さく
「あいつは猿か」
あまりのすばしっこさに唖然とする藤堂の横で、困り顔の沖田は頭を掻く。
「また捕らえ損ねちゃいました。土方さんに怒られそー」
軽い口調の割に、鋭い視線が少年の消えた方へと向けられていた。
事が急展開を迎えたのは、それからすぐのことであった。
「土方さん」
この男、名を
「なんだ、その拾いもんは」
山崎が背負っているのは子供だろうか。随分と小柄な
「怪我をしているらしく、手当をしようと思いまして」
「だったら俺の部屋使え。一番近い」
土方は部屋の襖を開け、山崎を招き入れた。行灯に火をつけ、押入れから布団を引っ張り出して
「こいつ」
土方が思わずそう洩らせば、手際良く手当をしながら、山崎が口角を吊り上げて笑った。
身体中に真新しい傷があるようで、布団には少年の血で見る間に大きな染みができた。その赤黒い痕は円を描いて、布団の白を侵食しながら、じわりじわりと広がっている。
「本当に変な野郎だな」
壁に寄りかかって腕を組み、土方は横たわる少年を眺めた。懐から
「四条河原で回収しました」
先程、甘味処から帰ってきた沖田と藤堂から、改めて報告を受けてたばかりであった。勿論、辻斬りの件である。聞いた話を思い返しながら、少年の容姿と照らし合わせる。幼顔に小柄な身体、藍色の髪、目元を覆う白い布、腰にはおんぼろの脇差が一本のみ。
「土方さんが喜びそうな土産でしょう?」
いつの間にか手当を終えた山崎が、くつくつと
「報告通り、右腕と太腿に深い傷があります。この少年で間違いないようですね」
「……面倒事が増えたな」
そう吐き捨てる土方に対し、山崎はにやにやとした気色の悪い笑みを深めるばかり。
「気になっていたんじゃないですか。普段の事件の処理より、よっぽど楽しそうですよ」
「んなわけねぇよ」
ぶっきらぼうに言い放った土方を見上げ、山崎は、「図星」と、推察をまるで事実かのように告げる。普段なら気付かない程の言い澱みも、この男の前では悪足掻きに等しい。観察眼に
楽しそうにしている山崎を見て、観念したように煙が混じった溜息を吐き、土方はひらひらと手を振った。
「こいつを隣の部屋に寝かしとけ」
「はいはい。と、いう事は俺に監視しとけと」
「察しが良いじゃねえか」
土方は
「鬼の土方さんは人使いが荒いねぇ」
山崎は首を竦める素振りをしてから、ひょいっと片手で軽々と少年をおぶさり、部屋を出て行った。土方は、新たな厄介ごとに再度溜息を零す。
「俺の休息はいつ来るのかね」
煙草の火種が、じりり、と燃えた。
公武合体… 江戸幕府の弱体化を、朝廷との連携によって安定させようとする政治運動
尊皇…天皇を敬うこと
攘夷… 外国人排斥運動
京都所司代…江戸幕府の役職の一つで、京都の治安維持の任務にあたった部署のこと
町奉行… 領内の町方の行政・司法を担当する役職
小兵…小柄
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