第31話 薔薇の涙
職員室に入り、赤草先生に用件があることを述べると先生はアリナ絡みであることを察して場所を移すことになった。
場所は生徒指導室だった。悪事を働かない俺には無縁の場所であるがゆえに無駄に緊張した。
「すみません、突然」
「いいのよ。大体予想はついてるから」
「ファッションショーの時のアリナの変化に気づいてました?」
「もちろん」
俺はあのファッションショーの後、もう1人のアリナとの会話を先生に伝えた。
お互いに自分が基本人格ではないことを主張していること、お互いもう1人のために消えたがっていること、記憶の欠落があること。事細かにアリナのことを伝えた。先生は終始真剣に耳を傾けてくれた。
最後に俺は言った。
「アリナは病院に連れて行った方がいいんじゃないですか? 俺が関与することは明らかに悪影響だと思います。適切な治療をした方が絶対彼女のためになると思うんです」
「私も勧めました。でも、彼女は望んでないの。一度そう言った時『これは私ともう1人の私の問題です。変に弄り回されたくないんです』と返されたわ」
「俺は例外になるんですかね」
赤草先生は一呼吸置いて不自然な間を作った。
「……これは内緒なのだけど、いい?」
「気になりますね」
「本当に口外禁止。守れますか?」
「守ります」
「実はね、もう1人のアリナさん──あの穏やかなアリナさんが私に頼んだの。『もう1人の私と相性のいい話し相手を見つけてあげてください』って」
「赤草先生が考えたことじゃなかったんですか!?」
「そう。彼女に頼まれたから。そしてその適性があるのは彗くんだと思って、あの日、図書室まで引っ張っていったんです」
アリナの要望で俺と毒舌アリナは出会うべくして出会ったということだった。
しかし優しいアリナは俺に対して「もういいよ」と言った。毒舌アリナは元の学校生活に戻る。またあの図書室で本を読む少女に戻る。
それはそれでアリナにとっては至福なのかもしれない。だが初めて会ったときのアリナは寂しさを紛らわすために怒り散らしているようにも見えた。
また孤独に戻ってほしくないというのが俺の本音だ。
眉間にしわを寄せ、自ら嫌われにいくような見苦しい姿はやめてほしい。アリナには美しく咲く薔薇のようにいてほしかった。
「俺はどうすればいいんでしょうか」
「正面から目を見て話してみて。きっとアリナさんは彗くんには本音を話してくれるわ。放任になってしまうけれどアリナさんにとって大切なのは、私より彗くんだから」
「どうしてそう思うんです?」
「女の勘です」
「このタイミングでその決め台詞ですか……」
「でもね、感覚ってとっても大事よ。あなたはアリナさんにとって特別な人なのは間違いない。確信してる。だから自分とアリナさんを信じて」
妙な説得力に俺は反論する気が失せた。それこそ先生のいう『感覚』なのだろう。
放課後はあっという間に来た。
本来は放課後に赤草先生に相談をしようと思っていた。だが先生が以前残業に関して愚痴をこぼしていたことを思い出し、急遽昼休みにした。そのためアリナに今日は何もないとあらかじめ伝えてしまっていた。
しかし薔薇園に彼女はいるだろう。
「彗」
「どうした馬」
荷物をまとめていたところに真琴がやってきた。
「もう被ってない。それよりも相談だ」
「妊娠したのか。相手は誰だ」
「最近さ、ある女子からアプローチがあるんだが――」
「多分お前のこと好きなんだろ」
「まだ何も話してないんだけど」
「いや、好きなんだろ。お前のことが好きなんだ」
「お、俺のことが、好き……?」
「そうだ、好きなんだ。自信持て」
「う、うおぉおお!」
教室をぐるりと見渡すとこちらを見る女子生徒がいた。三森流歌だ。お淑やかで物静かなタイプの子だ。おそらく文化祭を通じて仲良くなったのだろう。準備の段階でも一緒にいるところをよく見た。
「彗、これは期待してもいいよね!?」
「いいんじゃねーの? お幸せにな」
「あざーす! 彗もな!」
「やめろ」
興奮冷めぬ真琴を放置し教室を出ると、次は廊下で鶴に捕まった。
この学校は俺を薔薇園に行かせまいと組織ぐるみで計画しているのかと疑うくらい中々進めない。
「彗待ったー!」
「学年一の頭脳を持つギャルが何の用で」
「妙な噂立ってるんだけど!」
「あー言うな言うな。俺は誰とも付き合ってねぇ。じゃあな」
「彗の恋路なんてどうでもいい! 幻の日羽アリナ説! 知ってるよね?」
「知らんね」
「誰もみたことのないアリナさんがファッションショーに現れたって噂! 彗もあの場にいたじゃん!」
「あー……」
人格が入れ替わった時のことだ。事情を知らない者からすれば奇妙であったはずだ。特に一緒に出演したモデルたちは尚更だろう。ステージから戻ったアリナが正反対の性格になっていたのだから。
「緊張してたからじゃねーの?」
「私も見てたけど明らかに別人レベルだったじゃん」
「あれだ、集団幻覚ってやつだろ」
鶴はむすっとして不満げだ。俺が曖昧に受け答えしているからだ。
「それ、私も聞いた」
横から飛び込んできたのは白奈だった。もう数年ぶりに話した気がする。
以前『過去の告白』をされてからお互い気まずかったのだがもう白奈はケロっとしている。
しかし俺はというとやっぱり動揺した。
「2人してなんだ。俺をはめようってのか」
「白奈も訊いたの?」
「うん。アリナさんが別人になったって」
「それそれ! ねえ、彗。何か知ってるんでしょ? 教えてよ!」
「俺はアリナ広辞苑じゃない。俺たちの勘違いということもある。ショーだからアリナが演技してただけかもしれんぞ」
不満げな表情がまた増えた。白奈だ。
俺は冗談は得意だが嘘は苦手だ。これは逃げるしかない。
「やべ、地球を救わなきゃ。反地球軍のやつらが攻め込んでくる」
「何言ってるの」
「ヤバいんだって。救わなきゃやばいんだって。じゃあ行くぞ」
「頭おかしい」
「なんとでも言うがいい。俺は地球を救う為に歩かねばならん。廊下で喋ってる暇はない。さあ、お嬢さん。各々自分の放課後を有効活用するんだ」
2人のリアクションを見る前に俺は走った。夕日が俺の背中を後押しした気がした。
廊下を走ってはいけないがやむを得ない。アリナの事情を守るためだ。俺の生活態度にマイナスがついても許容できる代償である。
感謝しろよ、毒舌薔薇。罵倒は勘弁してくれよ。
「なんで来てんのよ、汚物」
薔薇園に入ってすぐそう言われた。
「早くトイレ行って。ちゃんと流すのよ。身体を細かくバラバラにした方が流れやすいわよ」
「もはやホラー映画だ」
案の定、薔薇園にはアリナがいた。花に囲まれて本を読んでいたようだ。口では言わないが相当この空間を気に入っているとみた。
「あんた今日は何もないんじゃなかったの?」
「急遽用事ができた」
「私に?」
「そうだ」
アリナは眉をひそめた。本日3人目の不満顔いただきました。
俺はアリナと机を挟んで正面に座った。アリナは足を組んで身体を斜めに向けたが、俺は依然として正面を向いたまま話を始めた。
「文化祭の時、もう1人のお前と話した」
「聞いたし知ってる」
「アリナにとって俺と関わっていくことが果たして良い方向に転がるのか、わからなくなった」
「そ」
「お前ともう1人のアリナは、お互い自分を人生の途中で生じた人格だと主張している。俺はわからないんだ。誰を救えばいいのか、そもそも救いとは何なのか、アリナは何を望んでいるのか。アリナにとって何が正しき道なのかも。正直、俺の存在はアリナにとって毒なんじゃないかと思っている。良い方向には進んでないと思う。ダメだ、上手く言えん」
アリナは黙って聞いた。
嘲ることもなく、怒ることもなく、ただ穏やかな表情で耳を傾けてくれた。本は机上に置かれていた。
「あんたがここにいることに、ちゃんと意味はあるわ」
思ってもみなかった言葉が出た。それに驚いて脳が思考をやめる。
「私は……辛い記憶と感情ばかり抱え込んでる面倒な女なの。過去が私を縛り付けて私をぐちゃぐちゃにする。だからよく覚えてないことばっかり。アルバムを見てもピンとこないし、最初は家族が他人に見えた」
アリナは涙を流していた。1枚、壁が壊れた気がした。彼女の涙はそれほど俺の心を打った。
「私、この世の中が何もかも嫌いだった」
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